ドッペルゲンガーが結婚して家も買ってた
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「ドッペルゲンガーが結婚して家も買ってた」
「は?」
ざわざわと騒がしい居酒屋の一角。そこに座って開口一番そう言った相田宗光に対し、親友である沢口光雄は、短く間抜けな反応を返すことしかできなかった。
そんな彼に不満そうな顔をして、宗光は同じ言葉を繰り返す。
「だから、僕のドッペルゲンガーが結婚してて、しかも家まで買ってたって言ってるんだよ。おまけに何か高そうな車付き」
宗光がかける眼鏡のレンズに、ポカンとした顔の光雄が反射する。
「いや、俺はまだドッペルゲンガーの所で詰まっているんだが」
呆れた表情を隠しもせず、明るい金髪をガシガシと掻きながら光雄は言った。
「まさかドッペルゲンガーを知らないのか?」
「ドッペルゲンガーは知ってるよ、アレだろ? 自分と姿形が同じヤツ」
「なんだ、知ってるじゃないか。じゃあ何の理解に詰まってるんだ?」
「心底わからない、みたいな顔をするな。いつもの如く突然『大事な話がある』って呼び出された上に、親友が真剣な表情で意味不明なことを口走ってきたんだぞ。なるほどそうか、それは大変だったな、って返せるわけがないだろう。一から十まで説明しろよ……ったく、すみませーん! 注文いいですかー?」
よく通る声で光雄が言うと、
「はーい、少々おまちくださーい!」
元気な店員の声が返ってきた。
二人はビールと梅きゅう、チャンジャと厚焼き玉子といういつものセットを注文して、とりあえずの乾杯をした。ぶつかったグラス同士がカキンと子気味良い音を立てる。
「で? ムネ、一体何があったんだ?」
ぐいと身を乗り出す光雄。
宗光はもう一口ビールに口を付けてから、「聞いてくれよミツ」と話を切り出した。
「最近仕事を辞めて無職になった僕が、習慣になりつつあった散歩をしていた時のことだ」
そこまで言って宗光が一呼吸置いた瞬間に、光雄はビールを置いて左手を前に出した。
ストップのジェスチャーである。
「待て、お前また無職になったのか?」
愕然とした表情をする光雄に対し、
「そんなことで話を遮るな。話をしてくれと言ったのはミツだろう」
憮然とした態度で宗光は言った。
「……すまない」
全然「そんなこと」ではないと思うのだが。
という一言をぐっとビールと梅きゅうで流し込んで、光雄は律儀に頭を下げた。
「僕の横を一台の車がすり抜けて、ちょっと離れた先にあった一軒家の車庫にスッと収まったんだ。ああ、なんだか高そうな車だな。僕には一生縁が無いんだろうなと遠目に眺めていると、車のドアが開いて、運転手が降りて来たんだ」
そこまで言って、宗光はチャンジャに手を付けた。程よい辛みが舌の上に広がる。
「運転手の顔は、何度も見た顔だった。いや、毎日鏡の前でうんざりするほど見たことのある、見たくもない顔だった」
ゴクリと、光雄が生唾を飲みこむ。
「そいつが、ムネのドッペルゲンガーだったのか?」
「あぁ」
鷹揚に頷き、宗光は「しかも」と続ける。
「奴が降りてきた直後、助手席から綺麗な女性が降りて来たんだ」
「つまりその人が」
「妻だろうね。僕には生涯縁が無いであろう女性と、僕のドッペルゲンガーは結婚していたんだ。あの時の僕の気持ちが、ミツにわかるか?」
「…………」
そう言われて、光雄は黙り込んだ。
同情していた、というのもあるが、理由の大半はそこではない。
万が一、ここで少しでも「わかる」という旨の言葉を発すると、彼のネチネチとした説教が始まるためだ。長い付き合いの中で、光雄は学習していた。要領の良い男だった。
「問題はそれだけじゃない。ミツ、もう一度ドッペルゲンガーの特徴を言ってみろ」
「自分と姿形が同じヤツ、だろ?」
「そうだ。じゃあここで問題だ」
醤油で茶色く染まった大根おろしを乗せた厚焼きたまごを一切れ食べて、宗光は言った。
「──僕とそいつ、どっちが本物だと思う?」
「? お前じゃないのか?」
「なら質問を変えてみようか。表と裏がまったく同じ模様のコインがあったとして、ミツはどうやって表と裏を区別する?」
「…………」
言われて、光雄はまたしても黙り込んだ。
しかし、今回の沈黙はわけが違う。親友の意図を理解して、恐ろしくなったからだ。
もしも自分が自分とまったく同じ姿形の人間と出会ったとして、どうやって己こそが本物だと証明できるのか。
泥沼だ。それに、万が一自分がドッペルゲンガーだと──つまり偽物だとわかったとき、一体自分は、何を思って何をするのだろうか。
考えれば考える程、暗い闇に引きずり込まれそうな気がした。
そうか、親友は今度こそ本当に大事な話があったのだと、光雄は確信した。
「大丈夫だムネ、絶対にお前が本物だ。俺が保証する」
だからこそ、彼は何の根拠も無くとも、絶対の自信を持って断言した。
卑屈で悲観的な親友が、少しでも自信を持てるように。
しかし、
「いや、そんなことはもうどうでもいいんだ」
「え?」
宗光は彼の言葉をさらりと受け流した。
全然「そんなこと」ではないと思うのだが。
という一言を、光雄はまたもや飲み込んだ。
「いやいや、正確にはどうでもよくはない。よくはないが、僕はこの一週間、どちらが本物かということについて葛藤し続けた。そして、止めた。不毛だからだ。さっきも言ったように、コインの裏表は区別できない。できないが、それは裏を返せば、どっちがどっちでも良いということだ。だから、僕は僕こそが”表”だと思い込むことにした。多分、”裏”の僕もそう思っていることだろう」
「そ、そうか」
思いの外希望的な結論に達していたことに、光雄は意外に思いつつも安堵した。
「まあ、でも」
浮かせた腰を正した彼に向かって、
「ありがとう。ちょっと自信がついたよ」
宗光はそっぽを向きながら礼を告げた。
「……どういたしまして」
これだから、こいつのことは嫌いになれないんだ。
光雄は頬を掻いた。
しかしそうなると、また別の問題が浮かんでくる。
「じゃあ、お前の言う大事な話ってのは一体何なんだ?」
すっかり乾いていた口内を潤すため、光雄は半分近く残っていたビールを一息に飲み干した。
「ああ、それはな?」
つまり、と宗光は続けた。
「僕のドッペルゲンガーが、僕よりも遥かに幸せそうなことが心底気に食わないって話だ」
「……」
一拍置いて。
「すみませーん! 生もう一つくださーい!」
こいつの話は酒を片手につまみを食べながら聞くくらいで丁度良い。改めて、光雄はそう思った。
二杯目のビールに口をつけた光雄を特に気にすることもなく、宗光は話を再開した。
「助手席から綺麗な女性が降りてきたって話をしただろ?」
「ああ、そうだな」
「でも、それだけじゃあ普通、その人が妻かどうかなんてわからない」
「まあ、それはそうだ」
「なら、何故僕は彼女が僕のドッペルゲンガーの妻だと断定できたのか、わかるか?」
「わかるわけないだろ。もったいぶるなって」
真剣に考える必要も無い。光雄は完全に肩の力を抜いていた。
「お腹が膨れていたんだ」
「妊娠していたってか? そんな一目でわかるほどの状態だったのか?」
「いいや、そこまでではなかった。だけどその三日後、近所のスーパーのベビー用品売り場で微笑ましい会話を交わしている二人を遠巻きに見たことで、僕は確信したんだ」
「……待て」
なるほど、と頷こうとして、光雄は親友の発言に耳を疑った。
「近所のスーパーでって、また偶然出会ったのか?」
ドッペルゲンガーに二回会うと死ぬ。
そういう話も聞いたことがある。
「そんなわけないだろう。幸せそうな二人が本当に夫婦なのか、確かめるためにこっそり尾行したに決まってる」
「…………」
三度目の絶句だった。当然の如くストーカー行為をする親友と、これからの距離の置き方を一瞬考えた。
「ともかく、これで一から十まで話した。要約すると、僕のドッペルゲンガーは結婚していて、家も買っていて、何だか高そうな車にも乗っている上に、新しい家族を授かっていたんだ」
「あ、ああ」
光雄がドン引きしていることに、ほんのり赤ら顔の宗光は気付いていない。
「僕はアラサー独身無職なのに!」
ダンッとテーブルを叩く。ビールがほんの少し零れるほどに。
「そ、そうか。それは、なんというか」
終わってるな。
と言わなかったのは、彼の優しさだった。
「ということで、ミツ」
「なんだ」
と言いつつも、光雄は次の言葉がなんとなくわかっていた。
「お前のポジティブ思考で、僕を黙らせるくらいに慰めてくれ」
やっぱりな。いつものパターンだった。
そう思いながらも、
「わかったよ」
光雄は素直に頷いてあげた。本当に、どこまでも良い奴だった。
「まず、ムネとドッペルゲンガーの間に広がる圧倒的なまでの差についてだが」
「酷い言いようじゃないか?」
「事実だろ」
「ぐぅ」
一言で宗光を黙らせ、彼は続ける。
「これは、バタフライエフェクトみたいなもんだと思っている」
「バタフライエフェクトだって? じゃあなんだ、僕は蝶の羽ばたきで無職になったってのか? あいつは結婚して家も買って──」
「子どもも授かって高級車も持っているのに、か? 敢えて言おう、そうだ。その通りだ」
「そんなの理不尽じゃないか!」
「残念ながら、現実とは理不尽なものだ」
「お前、僕を慰める気があるのか!?」
「まあ待て」
どうどうと、赤ら顔の宗光を窘める。
「ということはだ、逆も然りだとは思わないか?」
「……なるほど」
その一言で、彼は理解したらしい。
馬鹿ではないんだよな。
冷静な目で、光雄の目から客観的に見て、宗光はそれなりに優秀だった。
「つまり、また次の“蝶の羽ばたき”で、あいつが僕と同じアラサー独身無職に成り下がっている可能性があるってことだな!?」
……何も理解していなかった。
こいつ、思考回路が最悪すぎる。
「違う」
光雄は短く否定して、
「お前のちょっとした振舞い次第で、素敵な仕事とパートナーが見つかる可能性もあるって言っているんだ。相手を自分の土俵にまで引き摺り下ろそうとするな」
正解を丁寧に教えてあげた。
「な、なるほど。それもそうだな。僕の悪い癖だ、すまない」
素直に謝ることはできる奴なんだ。思考回路は最悪だけど。
故に光雄は嫌いになれないのだ。宗光のことが。
「それに、ドッペルゲンガーってのは姿形が同じなんだろ? 能力や性格だって似たり寄ったりでも何もおかしくはない。だから、あいつにできたことがムネにもできたところで、俺は何も驚かないさ」
「でも、僕は仕事に就いてもすぐに無職になってしまうようなダメ人間なんだぜ?」
「それはお前が飽きっぽいからだ。さっきも『仕事を辞めた』って言ってただろ? クビになったわけじゃなくて、自分から辞めたわけだ。少なくとも俺からすれば、お前には飽きたというだけで仕事を辞めて、再就職してまたあっさりと辞められるだけの能力がある。そういう風に思っている」
「……ミツ!」
「あっ、おい! 抱き着くな! お前もう酔ってるのか! こら、離れろ!」
ガバリと抱き着いてきた宗光にそう言いつつも、光雄は強くは引き剥そうとしなかった。
しばらくして落ち着いて、
「ありがとな、ミツ。お前のおかげでまた少し頑張れそうだ」
宗光はしっかりと頭を下げて礼を言った。
「いいよ、いつものことだろ」
鼻の頭を掻きつつ、光雄はその礼に応えた。
「よし、じゃあ飲むか!」
「おい、まだ飲む気なのか!?」
「当り前だろ! ようやく元気になれたんだ。すみませーん! 店員さーん!」
「ほどほどにしろよ! また家までお前を運ぶのは嫌だからな!?」
「わかってるって。この日本酒を冷で。あ、おちょこは二つお願いします」
「はーい!」
「はぁ……」
また親友を六畳間のアパートまで運ぶ羽目になりそうだ。
内心でそんな覚悟を決めつつも、光雄はうっすらと口角を上げていた。
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励みになります。
『定食屋を継ぎたかった勇者』という長編も書いています。是非ご一読ください。
第一話URL:https://ncode.syosetu.com/n7408jd/1