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24-1-13『人殺し令嬢は華のように笑った』


 犠牲者、延べ九十人以上。

 空前絶後の大量殺人事件の容疑者は、幸せな未来を約束されたはずの“清華令嬢”だった──。


 かつて実家の工場を財閥企業に潰され、恨みを胸に弁護士を目指す司法修習生の日葵(ひまり)。弁護修習中のある日、同級生を殺戮した財閥令嬢・瑞喜(みずき)の刑事裁判に立ち会った彼女は、被害者遺族の振り回す刃物から瑞喜を守ろうとして刺されてしまう。

 目が覚めると、日葵の意識は一年前の瑞喜に乗り移っていた。

 そこにあったのは、まだ事件が起こる前、ただ平和だった学生生活の日々。

 誰よりも恵まれた環境にありながら、なぜ令嬢は殺人鬼に成り果てたのか。惨劇の裏で彼女は誰を想い、何に胸を痛めたのか。疑問を抱きながら夢と現実を行き来するうちに、日葵の信じた正義は足元から揺らいでゆく。


「私はただ、正しい人の味方でありたかった。

──本当に正しかったのは、いったい誰ですか?」







 勉強になるからついてきなさい。

 そういって、高瀬(たかせ)先生は私を拘置所へ連れてきた。

 面会窓口に立ち寄って申請書類を書き、免許証と一緒に提出する。「弁護人の方ですね」と受付係が応諾した。


「そちらの方は?」

「うちで弁護修習中の子です。将来、こういう訴訟にも関わるだろうと思ってね」


 そうですか、と受付係が頷く。手渡されたロッカーの鍵を私は見つめた。罪を問われて裁判中の被告人を、逃げ出さないように幽閉する疑似的な監獄。それが拘置所だ。面会の際には職員が臨席し、外国語や手話は厳禁。電子機器類の所持も厳しく制限される。

 ここに暮らす人々は人間扱いを受けられない。

 それだけのことをしたからこそ、ここにいる。


「あの、会いに来たのって……」

桜野(さくらの)瑞喜(みずき)


 先生は平然とその名を口にした。

 ごくん、と嚥下の音が廊下に響いた。身体を固める私に、先生は「緊張することはないよ」と苦笑する。


「今日は挨拶に来ただけです。明日から公判だからね」

「……どんな子なんですか」

「ただの十八歳ですよ。()()()()()をしでかす子には見えない」


 まぁ、人は見かけによらないものですが。そう呟きながら先生は面会室に入ってゆく。いそいそと私も後に続く。アクリル板の仕切りの向こうに、同じレイアウトの殺風景な部屋が広がっている。パイプ椅子に腰かけて待っていると、向かいのドアが開き、刑務官が入室してきた。

 私は固唾を飲んだ。

 連れられて入ってきた少女の佇まいに、不気味なほどの静けさを覚えて。

 腰を下ろした少女に先生は「お元気そうで何よりだ」と語りかけた。こくりと少女は首を垂れた。


「法廷に立つのは初めてでしょう。食事は喉を通っていますか」

「美味しくないけど、少しだけね」


 言葉少なに先生と会話を交わす少女を、私は恐る恐る観察した。伸びた背筋、傷みのない長い髪、折り目のない上質なポロシャツ。そして、生気のない二つの瞳。


「あなたは?」


 少女が視線をこちらに向けた。「教え子だよ」と先生が補足してくれる。


「司法修習生の羽田(はねだ)日葵(ひまり)さん。早い話が法律家の卵です。歳も近いし、私よりも羽田さんとの方が分かり合えるかもしれないね」

「弁護士に話すことなんか何もないわ」

「何度も言うようですが()()()ですよ。我々はあなたを糾弾するためにいるのではない。あなたの罪を少しでも軽くできるようにと──」

「私のやったことを帳消しにできるような力があなたにあるとでも?」


 冷ややかな少女の言葉に先生は押し黙った。背筋を伸ばしたまま、少女は退屈げに顔を背ける。


「弁護人なんかいなくても同じよ。()()()の特権がある限り、どんな重罪を犯しても私は死刑にならない。もちろん無罪にもね。だったら、こんなの時間の無駄じゃない?」

「ちょっと、そんな言い方……!」


 黙っていることができずに私は身を乗り出した。


「先生は国選弁護を請けてくれた恩人でしょ! あなたの味方なんか、頼まれたって誰も引き受けない! それなのに──」

「やめなさい羽田さん。クライアントですよ」


 ぴしゃりと鞭を打たれ、私は口をつぐんだ。少女はとうとう私に視線もくれず、まっすぐに背筋を伸ばすばかりだった。

 桜野瑞喜、十八歳。

 無差別大量殺人事件の被疑者だ。

 彼女は同級生を苛烈ないじめの末に殺害し、証拠隠滅のために高校の寄宿舎へ放火した。多数の生徒が逃げ遅れ、死傷者数は九十人超に上ったとされる。しかし何よりも世間を騒がせたのは、その空前絶後の人的被害ではなく、彼女が巨大財閥企業・桜野グループの創業家令嬢──『清華族』であることだった。



 事務所近くのカフェで先生は私を叱った。国選弁護といえども立派な仕事だ、信頼関係を損ねてどうするのだと言った。けれどもあいにく、私は先生のような人格者ではなかった。


「清華令嬢だから──特権階級だから、先生はあの子を大事に扱うんですか?」

「憲法の講義で何を学んできたんだね。日本国憲法は法の下の平等を謳っている。我が国に特権階級など存在しない。彼女はただ、恵まれた実家の庇護を受けているだけです」

「それが特権だと言ってるんです! 不自然な不逮捕、不起訴、刑の減免、どれも実際に起きてることです。憲法との整合性なんか取れてない!」


 負けじと私も噛みついた。脳裏には工場経営者だった両親の顔が浮かんでいた。大口取引先だった巨大財閥企業から一方的に契約を切られ、工場は倒産した。あのとき私は弁護士になることを誓ったのだ。巨悪に立ち向かい、横行する理不尽を糺すために。

 清華族。

 財閥企業の創業家一族を、この国ではそう呼ぶ。

 終戦直後、名だたる財閥たちは復興費用の供出と引き換えに財閥解体を免れた。以来、創業家は戦後復興への協力を盾に政財界への発言権を強め、様々な権益を振るう特権階級になった。罪を犯しても罰を受けず、庶民を搾取して苦しめる巨悪。『清華族』の呼び名には、そんな侮蔑の意味がこもっている。


「君は少し頭を冷やした方がいい」


 先生はコーヒーを一気に飲み干した。


「桜野瑞喜は死刑にはならない。犯行当時、まだ彼女は十七歳だったからです。彼女を守っているのは特権ではなく少年法だ」

「それでも世論は極刑を望みますよ。みんな、九十人も庶民を殺されて我慢の限界なんです。法治主義は民意を蔑ろにするための言い訳じゃない!」

極刑(それ)を望んでいるのは君自身じゃないのかね?」


 いいえ、と否定しきれずに私は睨み返した。先生の言い分が正しいのは分かっている。法を棄てれば人類はただの動物に成り下がる。だが、いくらそんな題目を並べても、もはや現実の理不尽は克服できないのだ。

 明日の傍聴は抽選になる。幸運を祈ります。

 そういって、先生は席を立った。



 東京地裁一〇三号法廷は傍聴人で混み合っていた。私は幸運にも前列の席を手に入れ、検察官が起訴状を朗読するのをじっと聴いていた。右の当事者席には高瀬先生が腰かけ、証言台には桜野瑞喜が立っている。矢のような傍聴人の視線を、その背中に無数に浴びながら。


「──罪名および罰条。殺人、刑法一九九条。ならびに現住建造物等放火、刑法一〇八条。以上につき審理を願います」


 起訴状を読み上げ、検察官が着席する。桜野瑞喜の佇まいに変化はない。裁判長は黙秘権告知を端的に済ませ、「それでは」と続けた。


「いま検察官の読み上げた起訴状について、述べたいことはありますか?」

「何も争わないわ。ぜんぶ事実だから」


 桜野瑞喜は淡々と言った。まるで、アリを潰したことを咎められているみたいに。


「むしろ残念よ。寮一棟、丸ごと燃やしたのに九十人しか殺せなかったのね。あんなの本当は皆殺しにしても足りなかったのに」

「被告人、不必要な発言は控えなさい。審理の参考になりますよ!」

「すれば? それで私の首を吊れるものなら吊ればいいわ。それが無理だというなら、所詮あの子たちの命は私一人のそれにも見合わない存在だったってことよ。違う?」


 後ろめたさの片鱗すら見えない桜野瑞喜の発言に、カッと私の胸は熱を持った。やっぱりそうだ。犯した罪と向き合う気など、彼女には最初から少しもなかったのだ。

 傍聴席は怒号に包まれた。「静粛に!」と裁判長が呼びかけたが、理性を失った聴衆には届かない。高瀬先生の顔はすっかり青ざめている。喉元まで込み上げた怒りを叫びそうになったそのとき──耳元に殺気を感じて、私は本能的に飛びのいた。


「そんなに死刑になりたいなら今すぐ殺してやるっ……!」


 般若の形相をした女性が私の脇をかすめ、柵を乗り越えて法廷に乱入した。その手には、刃渡り数センチにもなる包丁が握られている。どこからか悲鳴が上がった。怒号に気を取られていた刑務官が慌てて立ち上がった。桜野瑞喜は背を向けたまま、まだ無防備に立ち尽くしている。

 このままじゃ、刺される。

 あの刃渡りなら一撃で絶命する。

 衝動的に私は女性を追いかけた。柵を跨ぎ、手を伸ばして、包丁を振りかざす彼女を必死に引き留めた。「何すんのよ!」と絶叫した女性が刃物を振り回した。

 だめ。だめ。

 この子を私刑で葬るわけにはいかない。

 桜野瑞喜は法の名のもとに断罪されねばならないのだ。その歪み切った特権意識もろとも──。

 ざくり、と鋭い痛みが下腹部に走った。駆けつけてきた刑務官が女性を引き剥がした。脇腹に刺さった刃物の柄が赤黒く染まってゆく。立ちすくんだ桜野瑞喜が茫然と私を見下ろしている。その姿がみるみる遠くなって、ただ僅かな達成感だけが残されて、私はゆっくりと崩れ落ちた。









「──寝てるの?」




 微睡んだ声が耳にかかる。

 差し込む夕陽の眩しさに、私は重たいまぶたを持ち上げた。

 机に突っ伏していたようだ。見上げると、視界いっぱいに書架がずらりと並んでいる。ここはどこなのだろうか。目をこすると視界が冴えて、目の前にいる少女の顔が鮮明になる。「やっぱり寝てた」と彼女は嬉しそうに畳み掛けた。


「ごめんなさい。疲れてるのかな、私」


 口が勝手に言葉をしゃべる。

 身体が言うことを訊かない。

 頑張り過ぎなんだよ()()()()()、と女の子が微笑む。わずかに身体の自由が利き、とっさに私はスマホを取り出した。


 画面に映っているのは私ではなかった。

 制服を着た()()()()が、そこにいた。






【結果】1位票9、2位票7、3位票3、いいね15

    第一会場4位・全体12位(44pt)


・結果発表に目を通した瞬間「は?」と思わず声が漏れたくらいの大健闘。正直、会場内10~15位くらいが関の山だと思っていた。投票してくださったのはありがたいけど、こんな喧嘩腰の物騒な作品が4位に来るのはどうなの……?

・森鴎外の『高瀬舟』を原案に、流行りの悪役令嬢モノを自分なりに考えてみようと思い立って起案した作品。悪役を名乗るからには人間を殺す程度のことはやらないとねぇ……というのが着想の発端でした。作中には「清華族」「庶民」「新民」という架空の身分が登場しますが、それぞれが何を皮肉っているのかは分かる人には分かるでしょう。分からないなら時間の無駄なので読まない方がいいです。

・あらすじの段階で舞台が現代ではなく中近世~近代だと思い込んだ方が、本編にスマホが出てきて面食らうのを多く見かけた。悪役令嬢モノはやっぱりそういうイメージを持たれがちなんだろうか。



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