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23-1-03『さよなら、北極星の花唄(うた)』



「──ねぇ。私、今度は何かを遺してゆけたかな」



ユニットの核だったボーカルが自殺し、活動停止に追い込まれてしまった学生バンド【ポラリス】。

生き甲斐を失い、いまにも朽ちそうな生活を送るギター・ヤヨイのもとに、死んだはずのボーカル・エミが突然戻ってきた。一ヶ月後の大晦日までの命であることを明かしたエミは、メンバーを集めて再始動を宣言。年越し野外ライブへの出演を目指し、【ポラリス】は息を吹き返す。

なぜエミは命を絶ち、そして戻ってきたのか。

待ち受ける本当の別れにどう向き合えばいい?

それぞれに苦悩を抱えながら練習を重ね、晴れ舞台を目指すヤヨイたち。生き甲斐を取り戻した【ポラリス】の音楽は、凍てついた師走の街に色とりどりの波紋を広げてゆく──。


全ては、消えゆく大切な人のため。

そして凍えそうな自分自身のため。

持てる全てを歌に懸けた五人の、ひと冬の奔走の物語。



 



 引きずるようにギターケースを背負い、ビルの軒下へ立つと、視界いっぱいに電球の光があたしを迎えた。賑やかな雑踏が身体を打つ。天の川を地上へおろしたような景色に、道行く人々が足を止めている。

 フェスタ・ステラ。

 とうとう今年も始まった。

 首から提げたヘッドフォンにあたしは頬を埋めた。繁華街を貫く大通りの、葉を落として丸裸になった並木を、のべ六十万個の電球が金色に飾る。期間は十二月いっぱい、大晦日の午後十二時まで。例年一〇〇万人超もの来場者を誇る、この北国の街の風物詩だ。

 首をすくめ、足早に脇道へ入ろうとして、ふと足が止まった。道端の木へ巻き付いた電飾のなかに、おぼろに点滅する一粒の電球を見つけた。そばへ寄って覗き込めば、傷んだフィラメントが脈打つように燃えている。省電力のために電球の大半がLEDに交換された今も、一つだけ旧式の豆電球がどこかに残ってるんだって──。福祉大の同級生が、そんな噂で盛り上がっていたのを思い出した。

 見つけた者には奇蹟が訪れる。

 たしか、そんなことも言っていたな。

 ギターケースの紐がずれて肩に食い込んだ。薄っぺらな奇蹟を無邪気に願えるほど、あたしは夢見心地にはなれなかった。ただ無言で、ケースの肩紐を背負い直して、冷えた地面に視線を落として歩いた。半端な奇蹟なんか要らないと、コートの前を引き締めながらあたしは強がった。


「……奇蹟を名乗るなら、死人を蘇らせるくらいのこと、やってみせてよ」




 あたしは学生バンドの一員だった。

 一年前、まだあたしが二十歳だったとき、ボーカルの女の子に誘われて参加した。いまもバンド自体は存続しているけれど、他の子が何をしているのかは知らない。一ヶ月半前に活動を停止して以来、誰とも連絡を取っていない。

 あたしを誘ってくれたボーカルの子は、死んだ。

 飛び降り自殺だった。

 あれからあたしは大学にもバイトにも行けていない。いまも無意味にスタジオへ足を運んで、壊れたレコードプレーヤーのように練習を重ねている。もう披露する相手も、披露する機会もなくなったのに、ほかのことが何も手につかなかった。ただ、バンドスコアの散らかる部屋で、静かに朽ちてゆきたかった。

 寒空の下、とぼとぼと街灯の影を踏みながら三十分。アパートの玄関までたどり着いたところで、夕食を買い忘れていたのに気づいた。凍える手でポケットの中をまさぐりながら、一晩くらい抜いてもいいやと投げやりに考えた。北国の寒波は人肌の温もりや思考力を容赦なく奪い去ってゆく。あの子の身体も、こんな風に冷たくなっていったのだろうか。


弥生(やよい)


 提げたヘッドフォンから幻聴がきこえた。あたしは嘆息してヘッドフォンの電源を切った。


「ヤヨイ?」


 幻聴が止まない。

 あたしは探り当てた鍵をドアノブに挿し込んだ。からっぽの左手を冷えた感触が包み込んだ。


「ねぇ、ヤヨイってば」

「うっさいな!」あたしは苛々と吠えた。

(えみ)じゃあるまいし、気安くあたしを呼び捨てに──」


 振り払おうと怒らせた肩の向こうに、ハッシュカットの暗い茶髪が揺れていた。ギターケースの角が扉に当たり、激しい音が廊下にこだまする。その鈍く、冴えた衝撃につんのめりながら、あたしは彼女の大きな瞳に目を奪われた。


「元気そうでよかったぁ。久しぶりだね、ヤヨイ」

「エミ……っ」

「私、生き返っちゃった」


 はにかむ彼女の可憐な容貌を、寒波に痺れゆく五感がまだ記憶していた。千葉(ちば)(えみ)、二十一歳。教育大三回生。五人組バンド【POLARIS(ポラリス)】のボーカル。

 奇蹟は起きてしまった。

 あたしを置き去りにして逝った子が、そこにいた。




 お腹が空いたとエミは言った。ごはん食べに行こうよ、バンドの子たちにも声をかけてよ。言われるままにあたしはメッセージアプリを開き、忘れかけていた名前を探した。

 笑が帰ってきた。

 大至急、(かささぎ)通りのミルキーウェイに集合。

 たちの悪い冗談のような文面を仲間たちは律儀に読み、寒空の下を集まってきた。フェスタ・ステラの電飾が照らし出す、大通り沿いの雑居ビルの二階。行きつけのファミレスは、イルミネーション目当ての客で混み合っていた。


「──わー、今年も気合入ってるぅ。この街で暮らして何年も経つけど、私、ここの窓際から眺めるステラが一番好きかも!」


 窓に貼り付いてはしゃぐ笑を、あたしも、残りの三人も、血の気の抜けた顔で見つめていた。訊かなければならないことを誰が切り出すか。無言の押し付け合いが数分ばかり続いて、斜め向かいの席の男子が「その……」と口火を切った。ベースの厚司(こうじ)だった。


「死んだはずだよな、エミ」

「だから生き返ったんだってー。そろそろ信じてよ」

「俺、現場にも行ったんだぞ。烏瓜(からすうり)渓谷の橋の下まで……」

「あー。コージが棲んでるの、向こうの山の方だもんね。()()橋まで走れば十分もかからないか」


 ひとを熊みたいに言うなよ、とコージが不貞腐れる。あっけらかんとしているが、エミの口ぶりは自身の飛び降り自殺を肯定したも同然だった。隣席の女の子──キーボードの涼風(すずか)が、また肩を震わせた。


「なんで、死んじゃったんですか」

「私も覚えてないんだよね」

「覚えてないなんて──」

「本当だよー。だから今も成仏できてないの。未練がたくさんあるから」


 鼻の下を掻くエミは実に吞気だ。言葉を失ったスズカが、乱れた前髪の下で唇を噛んでいる。置き去りにされた四人の心境を、その面持ちは雄弁に代弁していた。


「おれたちを集めたのもそのためか?」


 ドラムスの甚平(じんぺい)が冷静に尋ねた。「うん」とエミは首肯した。


「未練を晴らしたら、また逝くのか」

「急拵えの身体だからね、一ヶ月しかもたないって神様に言われてるの。今日が十二月の一日だから、フェスタ・ステラが終わるまでの命かな?」

「……そうか」

「やりたいことは色々あるんだけどね。私、どうしてもまた、みんなでバンドをやりたかったの。フェスタ・ステラの最終日、市役所前の公園で年越しライブが開かれるでしょ? あのステージに立って歌うの、私ずっと憧れてて!」


 前のめりなエミの瞳は、澄み切った星空のように華やかだ。きっと賛同を得られるものと信じて疑わない、エゴイズムの極北のような眼光に、あたしの胃はきりりと痛んだ。

 ずっと前から知っていた。

 エミはこういう子なのだと。

 でも、そんなものに憧れているなら、初めから自死など選んでほしくなかった。


「無理だよ」


 こぼれた弱音に、エミがあたしを見た。


「あたしら、あれから何も練習できてないよ。出演依頼も出してないし、いまから準備したって間に合わない。だいたいエミだって歌えるわけ。一ヶ月しかもたないような身体で……」

「歌えるよ」


 エミは即答した。


「そうだよね。私が本物だって信じてもらうには、聴いてもらうのが一番かも!」

「ちょっと、ここ店の中──」


 そういうことを求めたつもりじゃないのに。立ちあがったエミにあたしは制止の手を伸ばした。胸に手を宛てがい、目を閉じたエミを、フェスタ・ステラの星明かりが照らし出す。身を乗り出した姿勢のまま、あたしもみんなも固まった。

 止めないで。

 あたしの光を奪わないで。

 理性を押しのけた何かが、金切り声で叫んでいた。



〈♪一番星をみつけた あわい天の川の彼岸

  おなじ空の果ての暗闇を見つめていた

  近寄れない遠ざかれない釣り合った重力(ちから)

  僕ら 無邪気に道連れを誓い合った〉



 一応、周囲を気遣っているのか、エミの声は落ち着いていた。長い睫毛を貝のように閉じ、歌詞も譜面も求めずにさらさらと歌う。エミが歌詞を書いた【ポラリス】のデビュー曲──〈アソシエーション〉だ。



〈♪君と君と僕 ただ心の組成(つくり)が似ているだけ

  同じ色の血を吐いて 同じ色の灯をともして

  だからきっとコールサックの闇の中でも

  君が生きているなら僕も生きているんだ〉



 エミと出会ったのはインカレの軽音楽サークルだった。揉め事に疲れ、居場所をなくしていたあたしの演奏を、エミは気に入ってくれた。あたしはエミの作る新バンド【ポラリス】に誘われ、その一員になった。如何なる時も北を指し、惑う人を導く北極星(ポラリス)。エミの掲げた理想に、その真摯な声に、あたしも共鳴したのだ。



〈♪はぐれないように励まし合った散開星団

  離れれば見失うくらい くらい 暗い光だから

  すれ違って擦り切れながら 段々暖を取り合えば

  遠くはないよな 宇宙の果てのはてなの彼方


  嗚呼 独りぼっちを思い出すのは

  また独りになってからでいい〉



 濁りのない、綺麗な正弦波を描く声色。

 聴くものをまっすぐに導く言葉。

 北極星の歌声が確かにそこにあった。──もう、二度と聴くことはできなかったはずの。

 一番サビのおわりでエミは歌を止めた。打ちのめされた仲間を見回し、彼女は「これで分かったでしょ?」と胸を張る。あたしは受け止めきれない感慨に埋もれたまま、ただ鼻を啜り、エミを見上げることしかできなかった。


「まだ、歌えるよ。みんなと一緒に歌いたいの」


 エミは畳み掛けた。

 その瞳に深い宇宙を宿しながら。


「だから、もう一度だけ私に力を貸して。ぜったい後悔させないよ。断ったら枕元に化けて出てやるから!」

「……もう出てきてんだよ」


 憮然とした声でコージが突っ込みを入れた。






【結果】1位票11、2位票7、3位票12、いいね5

    第一会場3位・全体8位(59pt)


・七度目の挑戦にしてついに会場内入賞を果たしたマイルストーン。ついでに全体順位も8位と大健闘した。やっぱり王道青春モノはいいですね! 特に今作の場合は「野外ライブに出演する」「エミの死を見届ける」という明確なゴールがあるのがいい。このあたりは同じく成功した『走れ、敗者復活線!』と同じかも。

・音楽系(吹奏楽、管弦楽、歌、アイドル等)に手を出しまくってきた手前、一度は挑戦してみたいと思っていたバンド小説ネタ。本当は本編部分をぜんぶ書き上げて、書き出し祭り終了と同時に連載する気でいたが、取材も執筆も全く追いつかなかった。元ネタ関係は色々ありますが、ちゃんと連載を完遂してからそちらで触れたいと思います。



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