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16-3-19『走れ、敗者復活線!』

 衰退する地方都市に路線を持つローカル私鉄・御崎電鉄は、市民や自治体からも見放され、廃線の危機に瀕していた。市役所からの出向で御崎電鉄に赴任した青年・鹿島は、若き女社長・有田の指揮の下、御崎電鉄を「全国から乗りに来る面白電車」とするべく、知恵と資金を振り絞って数々の企画を実行に移してゆく。

 当初は御崎電鉄への出向を左遷と思い込み、その存続に乗り気でなかった鹿島も、周囲のやる気や乗客たちの笑顔にほだされ、いつしか御崎電鉄の延命を本気で願うようになる。経営破綻が刻一刻と迫る中、奇抜な企画の数々は当たり、利用者はゆるやかに増加してゆく。だが、鹿島の古巣である市役所は、彼らの奮闘を快く思ってはおらず──。

「意地でも走らせ続けてやる。たった一人でも客がいるのなら!」

 どんなときも求めるのは誰かの笑顔だけ。時代に置いてゆかれたローカル鉄道と、その存続に心血を注いだ青年の、壮大な悪あがきの物語。






 濁流のようなセミの合唱。

 まばゆい青色の彼方には入道雲。

 暑苦しい夏の景色を引き締めるように、つんと金属質の緊張が張り詰める。俺はスマートフォンを耳から離して、緊張の主を待ち受ける。やがてそれは古びた轟音に変わって、雷雲のように唸りながら近づいてくる。ヌッと現れた錆色の車体に青空を遮られて、事務室は暗くなった。

 クハ800形、二両編成。御崎(みさき)三川(みかわ)行。

 みすぼらしいオンボロの車窓に人影はない。

 ゴロゴロと音を立てて電車は過ぎ去ってゆく。手狭な事務室はふたたび明るくなった。


『聞いてんのかよ』


 画面の向こうから不満げな声が漏れる。


「聞いてるよ。神岡(かみおか)の好きな日程にしてくれ。こっちは有休なんかいつでも取れる」


 投げやり気味に俺はスマホを握り直した。昼食を終えたばかりで何事にも気だるかった。電話の相手は『張り合いがねぇな』と口を尖らせた。


『せっかく合コンに誘ってやってんのに。どうせそっちはおっさんばかりでろくな出会いもないんだろ』

「否定はしないけど」

『市役所にいた頃は彼女ほしさに遊び回ってた仲じゃねーか。あの頃の元気はどうした。御崎電鉄に精気でも抜かれたのか』

「どうだか。緊張感は抜けてきたかもな」


 ひとけのない事務室を俺は見渡した。時計の針は正午を越えたところだ。直属の上司を筆頭に、ほかの社員は近所の食堂へ繰り出していった。社長も外出中でしばらく戻ってこない。ぐったりと上体をもたげて、邪魔くさい名札を胸元から外した。


【御崎電気鉄道株式会社 総務部係員 鹿島(かしま)


 手に取った名札をぼんやりと眺める。肩書きだけは前職より立派か。総務部なんて二人しかいないのにな。ふっと漏れた失笑は電話口の向こうにも届いたようで、『なんだよ』と返事が返ってきた。「別に」と俺は目を閉じた。適当に相槌を打って、電話も切って、冷えた机に顔を横たえた。

 俺、やっぱり、来るところを間違えてるよな。

 踏切が鳴り始めた。錆びた轟音を散らしながら反対向きの電車が迫ってくる。光を遮られて事務所の中が暗くなっても、もう俺は顔を上げなかった。




 首都圏近郊の海沿いにある人口六万人の街、御崎市。

 遠洋漁業の拠点であること以外、めぼしい産業は何もない。それなりに名の知られた岬があり、灯台などの観光資源を抱えてはいるものの、観光客で稼ぐには心もとない。衰退の約束されたような街に若者が寄り付くはずもなく、急速な少子高齢化も進行中。中心街はもれなくシャッター街。JRの乗り入れる御崎駅も利用客は少なく、ダイヤ改正のたびに減便の憂き目に遭う。

 そんな御崎駅を基点にして、一本のローカル線「御崎電気鉄道」が市内を走っている。全長五・五キロ、七駅しかない単線の路線で、岬や灯台のある海沿いの地区と中心街を結ぶように線路が引かれている。走っているのは東京の大手私鉄から譲り受けたオンボロ車両で、最高時速はたったの四十キロ。地元の高校生やわずかな観光客だけが収入源の、吹けば飛ぶようなローカル線だ。

 なんの因果か、今年の春から俺はこの御崎電鉄に勤めることとなった。もとの職場は御崎市の市役所だった。就職して三年も経たないうちに、青天の霹靂のごとく出向の辞令が降ってきた。どうして俺が、あんな死に体の鉄道会社に──。愕然としたものだが、もちろん不平なんか言えるはずもなく、俺は今、線路際の小さな社屋で、ちまちまと潰れかけの会社の仕事をこなしている。

 昼休みも終わる間際、事務所の前に車の停まる音が響いた。

 音の主は昼食に出かけていたタバコ臭いおっさん連中ではなかった。


「お疲れさまです、社長」


 声をかけると、「本当よ」と嘆息が返ってきた。足音も荒く踏み込んできたのは、まだ三十代のスーツ姿の女性だ。彼女は俺の机に寄ってくるなり、未開封の緑茶のペットボトルを置いた。


「あげる」

「別に要らないっすけど……」

「私も要らないのよ。冷えてないし」

「会議でもらったんですか」

「そう。入室したら机の上にあった」


 彼女──有田社長は長い髪を振りながら、暑苦しげに自席へ戻ってゆく。威圧感のある香水の匂いに俺は顔をしかめた。社員わずか三十名の御崎電鉄で、有田社長はたったひとりの女性だ。どんな経緯で社長になったのかは知らないが、もとは首都圏の大手私鉄の社員だったらしい。


「どうだったんですか、会議は」


 気まぐれに水を向けたら、社長は「ダメ」と天を振り仰いだ。


「話になんない。商工会議所もバス会社も銀行もみんな敵。そろそろBRTへの転換を考えてはいかがですか? ですって」

「BRTって何でしたっけ」

「バス高速輸送システム。線路を剥がして道路を敷いて、代行バスを走らせるってことよ。鉄道会社に勤めてるならそのくらい知っておきなさい」


 あいにく俺はみずから望んで入社したわけじゃない。舌先まで出てきた嫌味を飲み込んで、俺は「なるほど」と相槌を打った。

 御崎電鉄は乗客の少ないローカル線だ。放っておけば潰れてしまうから、御崎市が補助金を出すことで運行を支えてきた。けれども御崎電鉄の経営が一向に改善しないので、市民からも市議会からも多額の補助金への批判が上がり始め、ついに今般、関係者を集めて「運行維持対策協議会」が開かれた。御崎市にとって御崎電鉄が必要なのか否か、ゼロベースで議論をしようという試みだ。


「誰も彼も二言目には経営努力、経営努力。これだけ街も寂れて人口も減ってるのに、経営努力で何をしろっていうんだか……。批判するだけなら気楽よね」


 しばしぐったりと机に額を押し付けてから、社長は「ねぇ」と顔を上げた。


「会議室のセッティングしてもらえる?」

「何をするんですか」

「臨時経営会議よ」


 跳ねた髪をとかしながら告げる社長は、実年齢よりも老けて見えた。




 有田社長の報告を笑顔で聞き終えた者は誰もいなかった。垂れ込める沈黙の重みに負けたように、そっと社長は肩をすくめた。


「御崎市からの補助金が打ち切られれば、うちはいよいよ電車を動かせなくなる。どんな案でもいいんです。なにか打開策を考えましょう」


 俺以外の社員に接するとき、社長は必ず敬語を使う。なぜなら俺の次に若いのが社長だからだ。四、五十代の幹部たちは淀んだ顔を見合わせた。「打開策と言ってもなぁ」と切り出したのは、定年間近の運行管理部長だった。


「やれることはすべてやってきたじゃないか。人員も減らし、ダイヤも見直し、出費も切り詰めた」

「そうとも。これ以上のコストカットは安全運行に響いてしまう」

「だいたい沿線の振興は市の仕事だろう。ちゃんと言い返してきたのかね」


 ない袖は振れない、というわけだ。建設的な話し合いは期待すべくもない。ペンを握ってホワイトボードに向き合ったまま、俺は生温かな溜め息に溺れた。

 そもそも鉄道の特長は大量輸送にある。けれども人口減少とモータリゼーションの進展著しい地方都市において、大量に輸送すべきものがどれほど残っているだろうか。莫大な費用を投じて公共交通の維持に努めたところで、利用者がいなければ意味がない。いっそ跡地を道路にでもしてしまった方が、よほど市民のためになるのじゃないか。

 なんて、提案したら怒られるだろうな。

 黙って立ち尽くす俺の姿を、上司の蒲原(かんばら)総務部長が目ざとく見つけた。「おい」と蒲原さんは低い声を上げた。


「こういうときは若いもんの声が大事だ。なにか提案はないか、鹿島」

「え、俺ですか」

「市役所から出向してきているお前のことだ。俺たちよりは大局的な物の見方もできるだろう。何でもいいから言ってみろ」

「そんな無茶な……」


 思わず本音がこぼれてしまった。居合わせる社員たちの注目を浴びながら、困り果てた俺はなぜか社長の顔色を伺った。社長も難しい顔で俺を睨んでいる。普段よりも化粧が数段濃くなったように感じる。

 何でもいいから言ってみろ?

 冗談じゃない。口が裂けても言えるものか。“廃線にするべきだと思います”だなんて。

 何か、もっと穏当でそれらしい代案はないものか。近づいてくる轟音に俺は耳をそばだてた。窓の外を古びた電車が通過する。狭い会議室は薄暗く軋んだ。


「その……」


 電車を見送りながら俺は必死に頭を巡らせた。


「……利用客を増やすといっても、沿線人口が増えないことには通勤通学需要は見込めない。だったら観光に頼るしかありません。沿線に魅力がないなら、もう電車そのものを売り物にするしかないでしょう。素人に運転体験させるとか、車内でイベントをやるとか、奇抜な広告を施すとか。この電鉄自体を観光資源にするんです。……そんな元手があるなら、って話ですけど」


 一蹴されてもいい。役に立たないと思われて市役所に送り返されるなら本望だ。誰か一人でも批判の声を上げてくれと願いながら俺は身構えた。けれども誰も、何も発しなかった。みんな呆気に取られて俺を見つめている。

 社長がわずかに席を引いた。


「……それ、いただくわ」

「え?」

「実践してみる価値はあると思う。手当たり次第にやってみましょう。もう座視していられる時間はないのだから。企画はあなたに一任しようと思うのだけど、どうかしら?」


 俺は凍り付いた。発言の意味が理解できなかった。


「俺が……?」

「そうよ」


 社長の目は爛々と燃えている。


「あなたが、この電鉄の救世主になるの」


 不満の声はどこからも上がらない。蒲原さんは満足気に口元を引いている。

 本気、なのか?

 俺はみんなの頭が熱中症でおかしくなったのだと思った。






【結果】1位票10、2位票6、3位票3、いいね5

    第三会場4位・全体21位(45pt)


・あと一歩で「無惨に散」らずに済んだはずの惜しい作品。手癖で書いただけなのになぜかウケた。やっぱり過剰な描写や賛否の分かれる要素なぞ使うものではない。

・千葉県に実在する銚子電気鉄道をモチーフに書いた作品。お仕事ものの作品が祭りでどこまで受容されるのか調べるための実験作でもあった。最後はまとまりきらなくてかなり強引にまとめていたりする。

・どうでもいいが鉄道モノの祭り参加作だと12-3-6『ある乗務』が見応え満点で大好き。ここまでの作品を書けたら運転士目線の作品にしたかった。



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