第91話 アイくん
「超機動伝説ダイナギガ」が今年(2023年)なんと25周年とのこと。四半世紀です。時の流れの恐るべき速さに呆然としてしまいます。そんなわけで、当時色々と書き溜めていたプロットや設定を元に、小説化してみようと思い立ちました。四半世紀前にこんなものがあった、そんな記録になれば良いなあなどと考えています。とりあえずのんびり書き進めますので、よろしかったらのんびりお付き合いくださるとありがたいです。なお、当時の作品をご存知無い方も楽しめるよう、お話の最初から進めていきたいと思います。更新情報は旧TwitterのXで。Xアカウントは「@dinagiga」です。
山下美咲は自室のベッドにいた。
昨日はハードワークだった。なら、今朝はもう少し寝ていてもいいわよね?
ぼーっとそんなことを考えながら、まどろみの感覚を楽しむ。
起きているような、そうではないような、ふわふわとした気分が心地いい。
目を閉じたまま、ゆっくりと寝返りをうつ。
このままずっと眠っていられたら、なんて幸せなのだろう。
彼女がそう思ったその時、ぶしつけな声が耳に響いてきた。
「お目覚めの時間です。美咲さん、そろそろ起きて下さい」
感情のあまり感じられない、優しそうな男性だ。
「あと10分だけ……」
美咲は枕に顔をうずめたままそう答えた。
「美咲さん、10分前もそう言いましたよ」
あ、そうだった。
仕方ない、起きてやるか。
気持ちのいい眠りをさまたげられたのはちょっとムカつくけど、目覚ましの時間を決めたのは私だしなぁ。
ゆっくりとベッドで体を起こす。
大きなあくびをひとつ。
「おはよう、アイくん」
「おはようございます、美咲さん」
この部屋のコンピューターには名前が付いている。
AIだからって「アイくん」とか、センス無いわよね。
その名前は彼女が付けたのではない。この船の各部屋のコンピューターには、設計チームが考えた名前があらかじめ付けられているのだ。クルーのほとんどは、それを変えずに使っていた。
「少し明るくして」
照明がスッと明るくなる。
確かに便利なんだけどね。
そう思いながら、美咲は窓の外に目を向ける。
漆黒の空間に、きらびやかな星たちの光が流れていた。
ここは宇宙船サン・ファン・バウティスタ号の美咲の自室である。略してサン・ファン号の目的は、太陽系の各惑星の調査だ。今は火星へと向かう途上にあった。
サン・ファン・バウティスタ号という名前を聞けば、大航海時代のヨーロッパ船に思われるかも知れない。だが、この名の船は純粋な日本船だ。
江戸時代のはじめ、慶長18年(1613年)に仙台藩の伊達政宗が、スペインやメキシコとの貿易交渉のために建造した木造のガレオン船である。全長およそ55メートル、横幅およそ11メートルと、当時としては国内最大級に巨大な帆船だった。
石巻市の月ノ浦を出港したサン・ファン号は、およそ3カ月で大平洋横断に成功しメキシコに到着。その後、乗り組んでいた日本の使節団はスペイン艦隊に乗船し、日本人として初めて大西洋を横断することになった。そして1615年10月29日ローマに到着、同年11月3日には法王パウロ5世への謁見を果たしている。
そんな由緒ある名前をこの船に付けたのは、日本の宇宙航空研究開発機構、JAXAである。初代サン・ファン号に負けない巨体を誇るこの船は、JAXAを中心に集められた民間の企業連合によって運営されていた。
「アイくん、紅茶が欲しいな」
「茶葉はどうしますか?」
「そうね……ダージリンのアールグレイをホットでお願い」
アールグレイはおそらく、世界で最も有名なフレーバーティーだろう。
フレーバーティーは茶葉に人工的に香りをつけたもので、アールグレイの茶葉には柑橘系のベルガモットフレーバーがつけられている。
ダージリンは茶葉の種類、アールグレイはフレーバーの名前。
紅茶マニアの美咲は、茶葉とフレーバーの組み合わせを考えるのが好きなのだ。
最近のお気に入りフレーバーはアールグレイ。
1830年代にイギリスの首相を務めたグレイ伯爵の名前を冠したこのフレーバーは、強めだが上品な香りが楽しめる。カフェなどではアイスティーによく使われるアールグレイを、ホットのストレートでいただくのが最近の美咲のこだわりだ。大好きなドラマの主人公の定番セリフ「アールグレイをホットで」が好きなだけなのだが。
「美咲さん、紅茶です」
「ありがとう」
フードプロセッサーに現われた真っ白なティーカップから、ベルガモットのいい香りが立ち上っている。
美咲はベッドから立ち上がり、そのカップを手にテーブルにつく。
ふんわりと広がる香りを楽しみながら、彼女はひと口、紅茶を飲み込んだ。
アイくんのいれる紅茶、やっぱりおいしいわ。
まあ、この船のフードプロセッサーで楽しめるものは、全室同じ味ではあるのだが。
「今日の予定はどうなってる?」
「今日の予定はありません。自室でのんびりとおくつろぎください」
美咲はこの船の副長だ。船長に次ぐ階級であり、船長以上に忙しい。
あれ?副長にオフってあったかしら?
美咲は自分でも気づかずに首をかしげていた。
「美咲さん」
「どうしたの?アイくん」
「地球人類について、教えていただけますか?」
陰圧感染隔離室に寝かされている女性の脳波データを、袴田教授と遠野拓也、そしてこの病院のドクター牧村陽子が見つめていたのと同時刻のことであった。




