第90話 国連宇宙軍総合病院
「超機動伝説ダイナギガ」が今年(2023年)なんと25周年とのこと。四半世紀です。時の流れの恐るべき速さに呆然としてしまいます。そんなわけで、当時色々と書き溜めていたプロットや設定を元に、小説化してみようと思い立ちました。四半世紀前にこんなものがあった、そんな記録になれば良いなあなどと考えています。とりあえずのんびり書き進めますので、よろしかったらのんびりお付き合いくださるとありがたいです。なお、当時の作品をご存知無い方も楽しめるよう、お話の最初から進めていきたいと思います。更新情報は旧TwitterのXで。Xアカウントは「@dinagiga」です。
室内に、ピッピッという鋭い音が響いている。
白い壁、白い天井、グレーの床。色のついた装飾は何も見当たらない。
ベッドに寝かされているひとりの女性。歳は40代前半ほどだろうか。少しやつれたような頬だが、静かにぐっすりと眠っている。
彼女の腕からは、何本もの点滴チューブが伸びていた。そしてベッドサイドモニターには、脈拍数や血圧、血中酸素濃度の数字や波形が表示されている。そして彼女の頭には、多数の電極を持つヘッドホンのようなものがかぶせられていた。
この病室は陰圧感染隔離室である。
部屋内の空気を外へ出さない仕組みになっており、ウィルス等の室外への流失を防いでくれる。その上、世間にはまだ正式発表されていない技術を用いた特殊なシールド、対袴田素粒子防御シールドが、この部屋をすっぽりと包んでいた。最新技術を用いたそのシールドは素粒子さえも通さない。もちろんニュートリノなど、極小のものを除いては、であるが。
「彼女が例の患者ですか?」
「そうです」
問いかけたのは東郷大学の袴田伸行教授だ。袴田素粒子の発見者であり、その研究では世界でもトップを走る、袴田研究室の主宰者である。
「確か、ここに入院されてもう2年になるんですよね?」
袴田教授の隣で、陰圧感染隔離室のガラス窓を見つめながら一人の青年が聞いた。
遠野拓也22歳、遠野ひかりの五つ上の兄だ。
ここはUNH(UNCF general hospital)国連宇宙軍の総合病院である。二人に状況を説明しているのはこの病院のドクター、牧村陽子だ。艶のあるミディアム・ロングの髪を後ろでまとめた三十代後半の女性である。彼女は、俗に宇宙病と呼ばれる袴田素粒子感染症候群隔離病棟のチーフドクターであり、脳科学の研究者でもある。背すじがピンと伸びていて、白衣がよく似合っていた。
「彼女がここに来た時には、すでに末期の症状でした。進行を遅らせるために睡眠状態を維持してはいるのですが、完治にはまだ数年はかかるでしょう」
現在では、袴田素粒子感染症候群の治療法はほぼ完成の状態にある。だが、症状が重い患者の治療には、多くの時間が必要なのだ。
「お二人に見ていただきたいのはこれなんです」
陽子がコンソールのディスプレイに、何かのグラフを表示した。そこにはいくつかの波形が踊っている。どうやらリアルタイムに患者の状態を表示しているようだ。
「これは、HEEGの測定結果ですか?」
袴田が、食い入るように画面を見つめる。
HEEGとは、Hakamada Electroencephalographの略で、袴田脳波計のことだ。素粒子を可視化する袴田顕微鏡の技術を応用して、感染者の脳波から袴田素粒子の反応を取り出し波形にしてくれる。
人間の脳は、約1000億個の神経細胞でできている。それぞれの神経細胞は0.1ミリから0.005ミリの大きさで、それぞれが樹状突起と軸索で繋がっている。そのつながりを使って情報を伝達しているのだが、その媒体になっているのが活動電位と呼ばれる電気信号だ。この電気信号の電位差に注目して波形に表したものが脳波の正体なのである。
HEEGは、そんな脳波の中から袴田素粒子の反応だけを取り出すことができる。いうなれば、袴田素粒子の脳波を波形化すると言っても過言ではない。もちろん、袴田素粒子に自我や意思があるという、袴田たちの仮説を信じるのであれば、ということだが。
「ヒトの脳波と、ほとんど同じに見えますね」
じっと画面を見つめながら、拓也がつぶやくように言う。
「それから、こちらも見てください」
陽子がキーボードを叩くと、隣に別の波形が表示された。
大きな波と小さな波が、周期的に繰り返されている。
二つの波形は、とても似通っていた。だがよく見ると、その波はまるでお互いに呼応するような変化を見せている。
「これは?」
袴田がいぶかしげな声で聞いた。
「ここからは、まだ仮説の域を出ていないので電話ではお話しなかったんですが……」
陽子は自分を落ち着かせるように、ふうっとひとつ息を吐いてから、袴田と拓也に顔を向けた。
「彼女の左脳、特に言語中枢の測定結果なんです」
袴田と拓也の目が驚愕に見開かれる。
「これって!」
「うむ、彼女と素粒子が脳内で会話をしている可能性があると?」
「私はそう思っています」
陽子の言葉に袴田と拓也は、目の前のディスプレイでリアルタイムに反応している波形に見入った。
片方の波が大きくなっている間、もう一方の波は小さくなる。そしてその後に逆の動きを見せる。どう見ても、この二つの波形は呼応し合っていた。
「それで……」
陽子が二人から視線を外し、少し自信なさげに言う。
「ここから先は仮説どころか、私の妄想と言ってもいいのかもしれませんが……」
そんな陽子に、袴田が笑顔を向ける。
「我々科学者は、分からないこと、不明なことに対して仮説を立て、探求し、それを証明していく。まぁ失敗の方が多いかもしれない。だが、その積み重ねによって人類の科学は発展し続けて来たんです。ぜひあなたの仮説を聞かせてください」
袴田が力強い目で陽子を見つめた。
「分かりました……もし、私の考えが正しいとすれば」
袴田と拓也が息を呑む。
「この波形を分析することで、袴田素粒子と会話することができるかもしれません」
陽子の目は、自信あるものに変わっていた。