第374話 人に歴史あり
「超機動伝説ダイナギガ」がなんと25周年とのこと。四半世紀です。時の流れの恐るべき速さに呆然としてしまいます。そんなわけで、当時色々と書き溜めていたプロットや設定を元に、小説化してみようと思い立ちました。四半世紀前にこんなものがあった、そんな記録になれば良いなあなどと考えています。とりあえずのんびり書き進めますので、よろしかったらのんびりお付き合いくださるとありがたいです。なお、当時の作品をご存知無い方も楽しめるよう、お話の最初から進めていきたいと思います。更新情報は旧TwitterのXで。Xアカウントは「@dinagiga」です。
【この作品は原作者による「超機動伝説ダイナギガ」25周年記念企画です】
「そうだ!回転蹴りで決まりだ!捨身技だぜ!」
自分の部屋でノートPCにかじり付いていた俺は、思わずそう叫んでいた。
中学の頃の俺は、毎週ネットで生配信される乗用ロボットの格闘技戦に夢中だったのだ。その名も「ROBO-MMA」。人間で言う総合格闘技のことだ。打撃技、組み技、寝技など、格闘技の様々な技術を駆使して試合での勝敗を競う、乗用ロボットによる格闘スポーツである。各ロボットの性能も重要だが、この時代の乗用にそんなに大きな性能差は見られない。つまりパイロットの操縦技術こそが、その勝敗を左右すると言われている。
ROBO-MMAはトーナメント方式で、世界中の乗用二足歩行ロボットが参加してくる最も人気の高い大会である。公式リングは36メートル角の8角形。まだ乗用ロボットがポピュラーではなかった時代に、遠隔操作や自律稼動ロボットで行なわれていた大会「ROBO-ONE」からの伝統である。最初の公式リングは3.6メートル角の8角形だった。そこから時代とともに大型化して現在に至っている。
「うわっ!ダウンさせられた!やっぱり本場のアメ車は強いなぁ」
ルールは簡単で、攻撃がヒットして相手を倒すと1ダウン、3回ダウンを取ると勝利となる。なお勝敗が決まらない場合は2分間の延長戦に持ち越されることになっていた。
「性能的には日本車も負けてないのになぁ。操縦技術の違いなのか?」
いつも俺は試合に手に汗を握りながら、そんなことを思っていた。
勝つためには、操縦の技を磨かないといけないのだろうと。
『へぇ、棚倉くんロボット格闘技好きそうやったけど、当たってたんやな』
両津の声が、無線で正雄機のコクピットに届いた。
「言ってなかったかな?」
『聞いてへん』
「ほんまでっか?」
『それ、イントネーションめちゃくちゃやで』
二人で爆笑する。
『ちゅーことは、アメ車とアメリカの選手に憧れて、ミネソタ校に留学したん?』
正雄がニヤリと笑った。
「まぁ、それもあるが……」
『他にも理由あるん?』
ほんの少しの沈黙の後、正雄は苦笑を浮かべながら話し始めた。
「マイダディへの反発と言う、青春ドラマの主人公を演じたことがメインの理由だと言えるんだぜベイビー」
正雄の父は、城北大学エンジニアリングデザイン学科の准教授だ。
大学の専任教員になると、ほとんどの場合講師として勤務する。その講師が、研究や経験を積むと「准教授」と呼ばれるようになり、さらに研究を積み重ね、経験を積むと「教授」となる。教授と准教授の違いは大学によって異なり、その多くは明確な基準を定めてはいない。だが正雄の父の場合は少し変わっていた。教授は大学教員の中でも最も上位の役職で、研究室や研究予算が与えらることもあるが、学部や大学の運営に携わるようになることが多い。つまり父は学校運営などに時間を取られずに研究だけをしたかったのである。正雄の父にとって、人生は研究なのであった。
エンジニアリングデザインとは、工業製品を作り出すプロセスで生産に至るまでの全ての段階を指す用語だ。一般的な工業用語のデザイン=設計だけではなく、 設計以前の構想、アイディアの抽出はもちろん、設計以降の試作、評価、検討、製品化の段階もすべてエンジニアリングデザインに含まれる。中でも正雄の父が夢中になって研究していたのは、操縦の必要が無い「完全自動制御ロボット」の開発だった。
ROBO-MMAに憧れ、パイロットの操縦技術こそが最も大切なものと考える正雄とは、相反する研究内容だったのである。
『ほんで、オヤジさんの研究に反発して、アメリカ留学を決めたんやな?』
正雄が無線越しにフフッと小さく笑った。
「そういうことだぜベイビー」
『人に歴史あり、マイトガイにも歴史ありっちゅーことやなぁ』
「マイトガイヒストリー!」
『いや、わざわざ英語にせんでもええって』
「ところで……」
正雄の真面目そうな声が、両津の耳に響く。
「両津くんにも、ヒストリーはあるのかい?」
少し考え込んでから、両津は語り始めた。




