第37話 目ざめ
「超機動伝説ダイナギガ」が今年(2023年)なんと25周年とのこと。四半世紀です。時の流れの恐るべき速さに呆然としてしまいます。そんなわけで、当時色々と書き溜めていたプロットや設定を元に、小説化してみようと思い立ちました。四半世紀前にこんなものがあった、そんな記録になれば良いなあなどと考えています。とりあえずのんびり書き進めますので、よろしかったらのんびりお付き合いくださるとありがたいです。更新情報は旧TwitterのXで。Xアカウントは「@dinagiga」です。
都営ロボット教習所アムステルダム校には、その広大な敷地内に世間からは隠された施設がいくつもあった。最先端の科学技術を扱える機器が整った研究棟や、高度医療施設だ。そんな中には袴田素粒子のラボもある。
その一室、陰圧感染隔離室のベッドに一人の少女が寝かされていた。彼女の腕からは、何本もの点滴チューブが伸びている。
陰圧感染隔離室は、部屋内の空気を外へ出さない仕組みになっており、ウィルス等の室外への流失を防いでくれる。高度な医療が行われる場所には必要不可欠な施設だ。その上、世間にはまだ発表されていない技術を用いた特殊なシールドが、この部屋をすっぽりと覆っている。その壁は素粒子さえも通さない。もちろんニュートリノなど、極小のものを除いてではあるが。
マリエ・フランデレン、14歳。
彼女が袴田素粒子に感染したのは4歳の頃である。宇宙探査の任務に出た調査船で、彼女の両親と共に感染した。彼女たちの感染に気付いた宇宙船は任務を中止し地球へと反転、全速力で帰還した。だがそれには約半年の時間が必要だった。
その止まっているかのように長い時間の中で、彼女の両親は帰らぬ人となっていた。そして彼女自身の感染も進んでおり、その進行を防ぐため睡眠状態を保つこととなった。当時、すでに袴田素粒子感染症の治療法は発見されていた。だが、まだまだ不完全だった。感染の進行を防ぐと共に、治療法の進歩にはまだ長い時間が必要だったのだ。
陰圧感染隔離室に、防護服に身を包んだ人物が入ってくる。日本の都営第6ロボット教習所から派遣されてきた教官、久慈彩香だ。彼女は教官であると同時に、袴田素粒子の研究者でもあった。
「覚醒します」
室内のスピーカーから声がした。声の主は大きなガラス越しに二人を見ている。やはり研究者のようで、白衣を着た男性だ。彼は目の前にあるパネルを忙しげに操作している。
ゆっくりと目を開いていく少女。
マリエは、数年おきに睡眠と覚醒を繰り返していた。前回の目ざめから、すでに二年が過ぎている。
「お母さん?」
ヘルメットのガラス越しに見える久慈の顔を見つめて、マリエがそう言った。
「いいえ、でもそう思ってくれてもいいわ」
久慈は彼女に、優しく微笑みかけた。
「やだ、もーいや!」
マリエは自室の窓に向かってぬいぐるみを投げつけた。床には幼児用の玩具が散らばり、大きな絵本が開いたまま落ちている。とても殺風景な部屋。真っ白な壁、真っ白な机と椅子、そして真っ白なベッド。その壁の一面は大きな一枚ガラスになっている。ここは感染防止用の隔離室なのだ。
マリエが目ざめてから約一年。彼女はほとんどをこの部屋で過ごして来た。見た目は15歳だが、心は5歳の幼児である。彼女はそんな生活に耐えられなくなっていた。
「マリエ」
ガラスの向こうに立っている久慈が彼女に声をかける。ゆっくりとガラスに近づくマリエ。その瞳は悲しげに揺れている。
「もう少しがんばろ」
袴田素粒子感染症の治療法は、ほぼ完成に近づいていた。ただ、完治には長い時間がかかる。マリエは目ざめてからずっとその治療を続けていた。
「マリエはずっと眠ってたからね、頑張って早く大人にならなくちゃいけないの」
優しく久慈が語りかける。
「大人になったら……いいことある?」
「ええ。きっと」
マリエが、少し甘えるような表情になる。
左の手のひらを広げて、久慈はガラスにピッタリとつける。その手に合わせるように、マリエが右の手のひらをガラスに当てる。そしてほんの少しのズレが悲しいかのように、その手を少しだけ動かした。
それから約一年、マリエの成長は著しかった。子供の吸収力は驚くほどで、すでに年相応の知識と自我を獲得している。
そんなマリエの好みに合わせるように、真っ白だった部屋や調度品も色づいたものに変わっていた。落ち着いたベージュのカーペットに、様々な階調のブラウンをモザイク状に配色した壁紙。木目が見えるベッド。壁際に設置されたオーディオセットからは、静かなクラシックが流れている。
ガチャリと、ドアにしては大きめの音がした。隔離室の防護扉がゆっくりと開いていく。ベッドに腰掛け、本を読んでいたマリエが顔を上げた。
「いらっしゃい、マリエ」
久慈が立っている。防護服は着ていない。
「いいの?」
とまどいながらマリエが聞いた。
「ええ。あなたの中にあった悪いものは、全部除去できたわ」
久慈の笑顔に、マリエが駆け寄った。そのまま飛びつくように抱きつく。
「もう大丈夫よ」
マリエに抱きつかれたまま、久慈はマリエの頭をよしよしとなでた。
そのまま二人は隔離室を後にする。
「どこへ行くの?」
マリエの問いに、久慈は優しく微笑む。
「せっかく外に出られたんだし、お庭にも出てみましょ」
少し進むと、自動ドアがスッと開く。少し驚いたような、とまどっているような表情のマリエ。
そこには一台のロボットが立っていた。曲線を多用した洗練されたデザインだ。
「これは?」
マリエが聞く。
「マリエのロボット。あなたが運転するのよ」
「私が?」
マリエは少し心配げだ。
「大丈夫、マリエならできるわ。そのためにずっと頑張ってきたんだもの」
ロボットの肩越しに、朝の日差しが輝いている。
「まぶしい」
マリエは目を細めていた。