第182話 隔離病棟の日常
「超機動伝説ダイナギガ」がなんと25周年とのこと。四半世紀です。時の流れの恐るべき速さに呆然としてしまいます。そんなわけで、当時色々と書き溜めていたプロットや設定を元に、小説化してみようと思い立ちました。四半世紀前にこんなものがあった、そんな記録になれば良いなあなどと考えています。とりあえずのんびり書き進めますので、よろしかったらのんびりお付き合いくださるとありがたいです。なお、当時の作品をご存知無い方も楽しめるよう、お話の最初から進めていきたいと思います。更新情報は旧TwitterのXで。Xアカウントは「@dinagiga」です。
【この作品は原作者による「超機動伝説ダイナギガ」25周年記念企画です】
「牧村先生、また宿直室に泊まったって本当?」
研修医の三田大輔が、隣で作業中の女性看護師に声をかけた。
彼はまだ24歳だが、現在UNH国連宇宙軍総合病院に所属する研修医の中ではエースと目されている。外科、内科、小児科と巡り、現在この素粒子内科で研修の日々を送っている。医者らしく、清潔感あふれる好青年、といったところだろうか。ナースステーションでの評判も悪くない。だが、彼女いない歴イコール年齢なのがコンプレックスだよ、が彼のいつもの口癖だった。だが看護師の間では、あれは絶対にウソに決まってる、きっと彼女がいるに違いない、との評判でもちきりである。
「そうなんですよ。最近の先生、山下さんにつきっきりですから」
そう答えたのはナースの相原恵美23歳だ。彼女が動く度に、ショートの黒髪がサラサラと揺れている。スカートタイプのナース服だが、その頭にナースキャップは無い。19世紀の中頃から、看護師のトレードマークであったナースキャップだが、現在ではほとんどの病院で廃止されている。白衣と違い洗濯の頻度が低いため、衛生的ではないという声があがったのがきっかけだと言われている。しかも、あの独特の形を保つために「のり」が使われているのだが、その「のり」に細菌が発生するという調査結果が発表されたのだ。ある調査では、ナースの手や指よりもナースキャップの方に多くの雑菌が繁殖している、という報告もあったと言う。
「先生、お昼ごろにはまた出勤されるそうですよ」
「出勤て、宿直室からだろ? 一度ちゃんと家に帰った方がいいと思うんだけどなぁ。先生が過労で倒れたらシャレにならないよ」
「私もそう思います」
医師の勤務形態は過酷だ。2024年4月に働き方改革が施行されたものの、年間の時間外労働の上限は一般の業種よりかなり多い。一般が年720時間に対して、医師は年960時間と決められている。一ヶ月の時間外労働は100時間未満だ。だが、決まりどおりに行かないのが医療現場である。予想もしないトラブルや担当患者の急変により、どんな時間であっても呼び出しが行なわれる。まさに、盆も正月も無い、という現場なのだ。
「そういう三田先生も、今月もう100時間超えてるんじゃないですか?」
「しーっ!それはナイショ。総務にバレたら大変な騒ぎになっちゃうよ」
唇の前に右手の人差指を立てて、大輔は首をすくめる。
「牧村先生のこと言えないじゃないですか。ホントに皆さんしょうがないんだから」
恵美が呆れたような声を出した。
「で、長谷川先生は?」
「ああ、長谷川先生ですか」
恵美がまた呆れたように言う。
「あの人は逆に遅刻です。どうしてこの科の先生方は極端な人が多いのかしら」
そう言ってぷぅっと頬をふくらませる。
この子は怒っても可愛いんだよなぁ、癒やされるよなぁ。
そんな大輔の気持ちは、誰かの大きなひと言で吹っ飛んでしまった。
「おい青年、お前私のことを起こしてくれなかっただろ」
「出た!」
「出たって、幽霊か害虫みたいに言うな」
今話題になっていたこの科のドクター、長谷川潤子だ。29歳にはとても見えない童顔で、身長も150cmあるかどうかといったところ。そのため患者から見学の女子高生に間違われたこともある。なので彼女は、病院内だけでなく街へ出る時ですら白衣を着用する。医療関係者ですよ、と言う自己主張なのである。
「長谷川先生、遅刻ですよ!」
「すまん、こいつがスマホ鳴らして起こしてくれなかったんだ」
恵美の抗議に、潤子はポリポリと頭をかく。
「どうしてボクが長谷川先生を起こさなくちゃならないんですか?!」
「だって私はお前の指導医だぞ。ここへ来て一ヶ月も過ぎて、私の行動が読めないのか? マズいことに、牧村先生に起こされてしまったじゃないか」
仮眠を取ろうと宿直室へ向かった牧村が、勤務時間になっているのに爆睡している長谷川を見つけ苦笑している姿が大輔の脳裏に浮かんでいた。ちょっとニヤついてしまう。
「何がおかしい?」
「いえ、別に」
「おおかた、また私が牧村先生に怒られると思っているんだろ? この変態め」
「どうしてそれで変態になるんですか?!」
「どうしてもだ」
これがいつもの二人のやりとりである。
ナースの恵美は、この会話を毎日聞かされているのだ。
でも、これで長谷川先生って天才的に優秀なんだもんなぁ。
恵美は知らないうちに苦笑していた。
「まあいい」
「良くないです!」
「入院患者の様子はどうだ?」
ふいに仕事モードに入った潤子に、大輔はあわてて答える。
「特に変化はありません。皆さん、眠っています。山下さんも」
「そうか。今日の外来はどうなっている?」
素粒子内科の外来患者は、他科に比べてあまり多くは無い。ほぼ完成されたワクチンのおかげで、患者数は一気に減少している。これまでの研究成果に、袴田教授のネオ素粒子物理学は革命的な変化を及ぼした。ほぼ100%近く、感染を予防できるようになったのだ。そして日本では、年一回の接種が義務付けられている。
また、衛星携帯電話用に張り巡らされた衛星ネットワークを利用して地球全体を覆う防御シールドを展開しているHSN・袴田素粒子防御シールドSatellite Networkのおかげで、その感染者数は如実に減りつつある。もちろん、現在の技術ではHSNと言えど、袴田素粒子の侵入を100%防ぐことは出来ず、いまだに暴走ロボットや感染者が出てしまうのだが。
「今日は数人の患者が診察を待っています」
「そうか」
潤子が壁の時計に目をやる。
もうすぐ9時、診察の時間である。
「じゃ、診察室に行くぞ、青年」
「その青年っての、やめてくださいよ」
「どうしてだ? 青年」
大輔と潤子は5つしか年が違わない。
彼女から見て大輔が青年、と言うのは確かにおかしなことだった。
「もういいですから、早く行きましょう!」
潤子はカッカッカと笑いながら、大介を従えて部屋を出ていった。
「本当にこの科の先生方は極端な人が多いのよねぇ」
病室に一人残された恵美が、呆れたように肩をすくめた。




