第138話 ベッドサイドモニター
「超機動伝説ダイナギガ」がなんと25周年とのこと。四半世紀です。時の流れの恐るべき速さに呆然としてしまいます。そんなわけで、当時色々と書き溜めていたプロットや設定を元に、小説化してみようと思い立ちました。四半世紀前にこんなものがあった、そんな記録になれば良いなあなどと考えています。とりあえずのんびり書き進めますので、よろしかったらのんびりお付き合いくださるとありがたいです。なお、当時の作品をご存知無い方も楽しめるよう、お話の最初から進めていきたいと思います。更新情報は旧TwitterのXで。Xアカウントは「@dinagiga」です。
「わたし、宇宙病に感染したことがあるの」
マリエの言葉は、この場にいる全員を驚愕させるに十分だった。
「じゃあマリエちゃんは宇宙に行ったことあるんだ!すご〜い!」
ひかりだけ、驚愕のベクトルが違ってはいるが。
「宇宙病を完治させるには、何年もかかると聞いていますわ」
「うん。ずっと眠ってて、起きてもずっと隔離室にいたの。何年も」
マリエの語り口はいつもと違って饒舌だった。だが、一同がそんな変化にさえ気付かないほどに、語られる内容が衝撃的だったのである。
マリエが四歳の頃、父と母と共に宇宙へと旅立った。ヨーロッパ各国が共同で運営している欧州宇宙機関の調査宇宙船、ゴールデン・ハインド号で土星の衛星タイタンの調査に向かったのだ。
マリエの父、ヤン・フランデレンは、オランダ宇宙研究所で宇宙物理学を研究していた。母、風花フランデレンは父と同じ研究所で、宇宙飛行士の健康管理や医学運用を行うフライトサージャンを努めていた。
当時のマリエはまだ四歳だ。ゴールデン・ハインドの目的や土星の衛星タイタンについては、ほとんど理解していなかった。だが、父母と一緒に暮らす生活は、彼女にとって地球上でも宇宙でも、たいして変わりは無い。幸せだったのだ。
だが、そんな生活は長くは続かなかった。
父が宇宙病に感染した。次いで母も感染した。
陰圧感染隔離室の分厚い二重窓から見えるのは、ずっと眠り続ける両親の姿だった。マリエはその光景を忘れることはできない。今でも時おり夢で再現されるのだ。
「その後、わたしも感染したの」
そう小さくつぶやいたマリエを、皆静かに見つめている。
「それからなの」
マリエが顔を上げてひかりに視線を向ける。
「機械の言葉が聞こえるようになったのは」
最初それは夢の中での出来事だった。
「ねぇマリエちゃん。退屈じゃない?」
マリエは両親と同じ、陰圧感染隔離病棟のベッドに寝かされていた。
まわりを見回してもこの病室には誰もいない。
「だれ?」
「ボクだよ、ボク」
声のする方を見ても、やはり誰もいなかった。
そこにあるのは、患者の心電図、呼吸状態、血圧などの生体情報を表示しているベッドサイドモニターだけである。
「あなたなの?」
マリエの問いに、モニター画面に映し出されている波形が、まるで笑顔のような形を作る。
「あ、笑った」
マリエも少し笑顔になる。
この日から、ずっと眠り続けているマリエの退屈な生活は、モニターさんの登場でガラリと変わった。
ある日、マリエはいいことを思いついた。
「ねえモニターさん」
「なんですか?マリエさん」
「ぱ行で遊ぼ!」
「ぱ行遊び」は、マリエがいつも父や母と楽しんできた言葉遊びだ。日本では幼稚園などで教育などにも取り入れられている。
ルールは簡単だ。「ん」以外の全ての文字を「ぱ行」に変換して話す。それを聞いて何の名前を言っているのかを当てるのだ。
「いちご」は「ぴぴぽ」、「ホットケーキ」なら「ぽっぽぺーぴ」なんて具合。
そんな遊びなのだが、言葉をぱ行に変換することと、イントネーションだけで物の名前を当てることは、大人にとってすら結構難易度が高い。マリエが大好きな、そして得意な遊びだった。
モニターさんは「ぱ行遊び」が得意だった。
マリエとほぼ互角に渡り合ってくる。
味気ないマリエの入院生活が、モニターさんのおかげでとても楽しくなった。
だが、マリエは知っていた。その全てが夢の中の出来事であることを。
そして、その日はやって来る。
ガチャリと、ドアにしては大きめの音がした。
隔離室の防護扉がゆっくりと開いていく。
ベッドに腰掛け、本を読んでいたマリエが顔を上げた。
「いらっしゃい、マリエ」
久慈が立っている。防護服は着ていない。
「いいの?」
とまどいながらマリエが聞いた。
「ええ。あなたの中にあった悪いものは、全部除去できたわ」
久慈の笑顔に、マリエが駆け寄った。そのまま飛びつくように抱きつく。
「もう大丈夫よ」
マリエに抱きつかれたまま、久慈はマリエの頭をよしよしとなでた。
その後マリエは、一般病棟へと移された。
隔離されていない、誰からも拒絶されない、普通の病室だ。
マリエの体内から、全ての袴田素粒子の除去が完了したのである。
ベッドに横になりながら、長かった闘病生活を振り返ってみるマリエ。もちろん、病気の完治はとてもうれしかった。だが、マリエにとってたったひとつだけ、心残りがあったのだ。
モニターさん……。
ベッドサイドに設置されたモニター画面にふと目をやる。
治療期間にマリエを支えてくれた彼とは、もう会えないのである。
その時だ。心電図、呼吸状態、血圧などの生体情報を表示している画面がふらふらと揺れた。そしてその波形が笑顔のように変化する。
「モニターさん!」
「夢の中みたいに、言葉でお話はできないけど、その時から機械の気持ちが分かるようになったの」
マリエは珍しくニッコリと笑っていた。




