インスタントフィクション 渚
病院のベットで窓を眺めてる彼にもう一度問いかける。
「ーー本当に覚えてないの?」
彼はわたしの声が聞こえてないかのようにじっと遠くの海を眺めていた。
「聡とこの間行った九十九里浜も、そこでプロポーズしてくれたのも、この指輪も全部全部覚えてないの?」
押し寄せた涙が引いていった。
彼は振り返り、わたしの顔を見つめる。その顔からは以前の面影が見当たらない。まるで別人のようだ。
「ごめん、自分が誰なのかもわからないんだ。君は聡って言ってくれたけど、聡はどんな人だったんだい?」
「わたしを優しく包み込んでくれる温かい人よ」
そうか、と言うと彼はまた窓の向こう側を眺めた。
ーー渚。彼は呟いた。
「いつも違う姿で押し寄せくる。でも、ちゃんと海に帰っていくんだ」
彼はもう一度私を見る。
「君のことをもう一度教えてほしい」
真剣な眼差しで見てくる。
「わたし、渚っていうんだ」
わたしは微笑み、涙が押し寄せてきた。