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右手


 神が実在するならば、それはなんて役に立たないものなのだろう。

 朽木詩音(くちきしおん)は総合病院のベッドに横たわり、(かす)れた声で嗤った。




 父と母は、どちらも音楽界の権威と言われるほどの人物だった。そして、詩音にも音楽家として大成するように教育を施そうとした。

 ピアノ、バイオリン、歌唱……様々なものを練習させられ、そして詩音はその全てで結果を残した。

 それは、センスもあったのだろう。だが、それよりも大切だったのは弛まぬ努力、そして何よりも音楽を楽しいと感じる心だった。そして、育ててくれた父と母へ、期待に応えることで恩返しをしたいという想いもその一因だった。


 けれど、ある時詩音は奇病を患う。

 全身が徐々に筋張って動かなくなっていく病気だった。

 中学二年の春に発症したそれは、詩音からあらゆるものを奪った。

 身体の自由、音楽の楽しさ、そして、両親からの愛情。


 中学で音楽はやめた。そこそこ優秀な地方の公立高校に入った。しかし高校一年の夏頃には病気が悪化。入院生活を余儀なくされる。


 父母は愛情のほぼ全てを弟へ注ぐようになった。

 ある程度の情けはあったのか、病院は個室だった。


 絶望の日々だった。

 毎日少しずつ動かなくなっていく身体。

 今ではもうベッドから動くこともできない。

 目はなんとか動くが、それ以外の体できちんと動かせるのは右手くらいなものだ。


 最近はあまり眠れてもいない。

 だからだろうか。目の前にこんなものが浮かぶように見えるのは。


 そこには、闇が侵食するかのように〝黒い光〟を放つ──きっと幻覚に違いないが──魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。


 夢だろうか。ああ、そうだ。きっと夢に違いない。休まず働く脳がバグって幻覚を見せているのだろう。


 だが、夢じゃなかったなら。もし、これが地獄への一本道に現れた非日常であるならば。


「手を……伸バすよナ゛ァ」


 朽木詩音は暗闇に浮かぶ、闇より深い色合いの魔法陣に手を伸ばし、


 ──触れた瞬間、彼の意識は弾け飛んだ。






 風が吹いている。体表を撫ぜるような空気の動きを感じ、詩音は微睡(まどろ)みから這い出した。


(窓、誰かが開けたのかな)


 窓の方へ視界を向けようとして困惑する。

 見回すと、ザラザラとした岩肌のような地面に、開け放たれた木の扉。

 ここは明らかに詩音の知る病院ではなかった。


 しかし、それよりも不可思議なことがあった。

 まるで、足の甲に眼球があるかのように、床スレスレに視点があるのだ。

 人間の視界としては、明らかにおかしかった。


 あまりの事態に、咄嗟にナースコールを探しかけ、すぐにあるわけがないことに気がつく。

 自嘲する。それほどまでに自分は焦っていたのか、と。


(どうしてこうなったんだろ……。最後の記憶は6月13日、夜。……そうだ、黒くて怪しい、何か。魔法陣のようなナニカに触れて──それが最後の記憶か)


 そんな馬鹿な、とは思うが、考えなしに因果関係を結んでしまえばこう結論が出る。


(魔法陣に触れて、どこか別の場所に飛ばされた、ってとこか。しかも、視点は明らかに低いところにある。異世界転生、それも小人に転生した……なんてことだったり)


 体に感じた違和感を解消するために、視界を自分の方に向けてみる。


(おいおい……)


 ()()()()()乾いた笑いが出ていただろう。

 詩音もおかしいと思っていたのだ。

 確かに右手の感覚はあった。元々病状が悪化してからは、唯一動かすことのできる場所であったから──それもある程度だが──気にも留めなかった。

 けれど、()()()()()()()()()()()()()


 まるで、己の肉体を構成する要素が右手だけであるかのように。

 そして、その悪夢のような空想は当たっていた。


 詩音は右手だけの存在になっていた。

 右腕の存在が忘れ去られたかのように、右手の接続先がぷつんと消えていたのだ。


 元の身体との違いは視点が手の甲にあることだけだった。それ以外の肉体がないことを除けば。


(なんだこれ。やっぱ夢か? でも、この現実感はどう考えても夢じゃない、よな……?)


 ここはどこなのか。自分は何になってしまったのか。

 非常事態に混乱する詩音の脳裏。ファンファーレが響いた。


『こちらは一定期間内に召喚の説明が為されなかった場合に行われる自動通告です。おめでとうございます! 貴方は勇者に選ばれました。神に選ばれた貴方には、貴方を選んだ神の加護が与えられています。その力を使って、異界からの侵略者ネイヴィジュの眷属を倒しましょう! なお、勇者への汎用召喚特典としてスキル【自己鑑定】【言語理解】が与えられます。自身の能力を知りたければ【自己鑑定】と念じてください。それではより良い異世界ライフを!』


 意味が分からなかった。いや、意味は分かっても理解が追いつかなかった。

 自分は、異世界にいて、力を与えられていて、それで勇者らしい。ただし、あるのは右手だけだ。

 右手だけで何ができるというのだろう。指からビームでも出せるのだろうか?

 それでネイヴィジュ? とやらの眷属を倒せ、と?

 もし全てを信じたとして、勇者を呼び出すくらいなのだ。一般人には困難なことをやらせようとしているのだろう。

 その困難を右手だけで為せ、と?

 無謀だ。詩音はそう結論を出した。


(いや、それとも、超強力な異能が与えられていて、本当にできるのか……? というか、そうじゃないといよいよ何のために呼び出されたのか分からないし、そうだよな)


 脳内で情報を整理していく中、詩音はとあることを思い出した。


(そういえば【自己鑑定】って念じたら自分の能力を知れるって言ってたっけ。……ダメ元で念じてみるか)


『【自己鑑定】』


 心の中でそう唱えると、まとまった情報が視覚的イメージを伴って浮かび上がってくる。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

◆名称

◇なし

◆種族

◇ミミック(幼体)

◆状態

◇ダンジョンの支配

◆称号

◇〖勇者〗

◆存在力

◇10

◆スキル

◇【隠密】

◇【自己鑑定】

◇【言語理解】

_____________


 もはや頭を持っていない詩音だったが、まるで頭痛がするような気分だった。


(ツッコミどころが多すぎる……。名称がなしになってるのは、まぁ一旦置いておくとして、種族がミミックの幼体?)


 手のひらをベタンと地面に張り付かせ、手の甲に生じた視界で天井を眺めながら、詩音は考える。


(ミミックってのは、アレだよな。宝箱に擬態してて、気づかずに開けようとしたら襲いかかってくるやつ。あいつらの幼体って、こんな感じの右手だけの存在なのか?)


 もしかするとヤドカリみたいに、生まれた後に貝殻──ミミックなので宝箱だが──を探して入るタイプの生態なのだろうか……?

 異世界の生命の神秘に想いを馳せる詩音の上にはくるくると星が回っていた。


(まぁ、スライムに転生する話もあるくらいだ。ミミックに転生することも、ある、かもしれない。……それよりも、不穏なのは状態に書かれてる〝ダンジョンの支配〟っていう記述だ。自由意志は持っているつもりだし、今のところ支配されているっていう実感はないけど、な)


 五指は自分の意思通りに確かに動く。ここがダンジョンで、自身がこのダンジョンに支配されているというのなら、支配の影響が及ぶ前にここから逃げ出してしまおうか。そして、支配の届かないどこか遠くへ……。

 ミミックであるのに宝箱もない片手落ち──落ちているのは片手どころか片手以外だが、HAHAHA──の状態で、眷属とやらが蔓延(はびこ)るこの異世界を生き残れるかは不安だ。

 けれど、それ以上に〝支配〟されていると言う現状が嫌だった。

 そうと決まれば行動は早い方がいい。

 詩音は体に残された五指で、尺取り虫のように這って扉の方角へと進んでいく。


 その時だった。

 扉奥の左側から響く、ペタペタと地面を叩く足音。

 それは、裸足で歩いているかのように柔らかな音で、近づくに連れ段々と大きくなってくる。

 どのような機序でこの右手だけの存在に聴覚が発生しているのかは分からないが、とにかく詩音にはそう聞こえていた。


(この世界の人間、かな? ここがダンジョンなら、攻めてきた冒険者みたいな立場の人だったり……あれ、でもそれだと裸足なのはおかしいか。ダンジョンに住むゴブリンみたいな蛮族がいたりするのかもしれない)


 その思考は、現代日本に住んでいた者としては何らおかしくないもので──むしろ現状に適応できていた方であったかもしれない──しかし、この異世界では些か平和ボケしたものだった。


 扉の先から現れた人影。それは、深緑の繊維質に体表を覆われており、関節部はなだらか。目も鼻も口もないのっぺらぼうのマネキン人形のような、明らかな異形であった。


 深緑色のそれを見た瞬間、詩音の感情は恐怖に呑まれた。


(逃げよう、今すぐに逃げて、隠れなきゃ! そうじゃなきゃ死んでしまう!)


 そう感じさせるナニカがその人影にはあったのだ。


 直ぐにでも別の方向へと動き出し、逃げ出そう。

 詩音がそう決断した時、心の奥底から得体の知れぬ怒りが溢れ出した。


(敵を……敵を前に逃げ出すことは許されナイ。戦え……戦エ!)


 気がつけば詩音は人影へと踊りかかっていた。

 自分の右手のどこにそんな力が秘められていたのか。指先で地面を弾き、宙に浮かび、放物線を描く軌道でその人影へと飛びかかる。

 それと同時に、自身の気配が希薄になるような感覚も覚えていた。

 恐らくこれが【隠密】の効果なのだろう。自分でさえ知らなかった異能のツマミが勝手に回されていくかのような感覚。

 あまりの異常事態に思考が現実逃避を始めたのか、少しずつ冷めてきた頭で分析を始める。

 これなら人影に取り付くことはできそうだ。

 だが、その先どうすればいい?

 右手だけでこの異形を倒すことが果たしてできるのだろうか。


 飛びかかった〝先〟のことを考えていた詩音はすぐに楽観的な目論見を蹴飛ばすことになる。


 目も口も、鼻も耳も、おおよそ五感を持っていないように見えたその人影が、詩音の方へと振り向き、その右手をしなるように素早く振るったのだ。


 その勢いは速く、身軽である自分は軽々と吹き飛ばされるだろう。そして、壁に叩きつけられ死に至るのだ。


 脳内が悲観的観測を始める。

 地獄への一本道が分岐してもやはり向かう先は地獄だったのだと。

 けれど、それが明らかになるのはもう少し先らしい。


 まるで、助走をつけてプールに飛び込んだ時のようだった。

 詩音の身体は、人影の肉体──その右手に触れた瞬間、勢いよく指先から突き刺さり、その内部へと潜り込んでいった。

 

 深緑の人影が身体を壁や地面に叩きつけて暴れているのを、その体内で感じる。

 だが、その抵抗は何の意味もなさなかったようで、五指は本能にプログラムされたかのようにその体内を泳ぎ続けた。そして、恐らく頭部に達したのだろうといった位置で、右手は動きを止める。

 すると、それぞれの指先から〝編み上げられたロープが数百本の糸に解ける〟かのように肉がほつれて糸状となり、深緑の肉体へと根を張っていった。

 その異形は体を何度か震わせたのち、ぱたりと倒れたまま動きを止める。

 そして、詩音の思考も(もや)がかかるかのように徐々に薄れていき、やがて意識を失った。


(もう、わけがわからないよ……)


 倒れ伏していたその体が動き出したのは、数時間後のことだった。


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