可愛いものなんて興味ないって顔した女の子(※俺の好きな子)が、人に隠れてこっそり可愛い格好をしているのは可愛い
人気のない小さな公園で、女の子が一人、ぎこちなく歩いていた。……足を怪我したペンギンのような歩き方で。
いや、足怪我したペンギンが実際にこんな歩き方するかはわかんないけど、イメージとしてだ。
その変な歩き方がハイヒールの靴のせいであることは、見てすぐにわかった。
それだけなら別に普通に通り過ぎていただろう。
問題はその女の子が――俺の好きな子で、なおかつ学校では女の子らしいものを徹底的に遠ざけている(ように見せかけているのがバレバレである)子だということだった。
思わずガン見した。
だって考えてもみてほしい。髪が短く、化粧っ気もまったくなく、制服すらスラックスを選んでいるようなボーイッシュな女の子が。俺の好きな子が。
――パステルブルーのふわっとしたワンピースを着て、可愛いハイヒールの靴を履いている!
いや見るだろ。ガン見だわ。
ガン見しかないけど、ガン見しすぎて気づかれた挙句……焦りのせいか転ばせてしまったことはマジで申し訳ない。
「ほ、帆秋さん大丈夫!?」
「だい、だ、だいじょぶ、だいじょーぶ」
慌てて駆け寄れば、大丈夫じゃなさそうな返事をしながら帆秋さんがよろよろと立ち上がる。いつもと目線が違うのが新鮮だった。
帆秋さんは引きつった顔でワンピースについた土を払い、じり、と一歩退いた――と思ったらまた転びかけた。何とか持ち堪えたが、バランスを取るのに苦労している。
「……ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だって!! だからその、……っ誰にも、言わないで」
消え入りそうな声とともに、その頬は赤く染まっていった。くしゃり、とスカートをきつく握る小さな手。
何を、とここで訊くのはかわいそうだろうか。かわいそうだな。
こんなに可愛い格好をしていることも、転んだことも、とにかく俺が目撃したすべてのことを口止めしたいのだろう。
「うん、言わないよ」
「ぜ、絶対言うなよ!? 言ったら、えっと……この靴履いてお前と社交ダンスするからな!」
「どういうこと!? え、ってか帆秋さん社交ダンス踊れんの? すごいね」
「……踊れない」
「なるほど、お前の足を踏みまくってやるぜって宣言だったわけね」
随分遠回しで面白い脅し文句だった。帆秋さんは割とこういうところがあって、そこも好きなところの一つである。
一番好き……というか可愛いと思うのは、可愛いものなんて興味ありませんよ、という顔をしていながら、そういうものが好きなのがバレバレなところだけど。
友達の可愛い持ち物に目を輝かせているところをよく見るし、お弁当が動物のキャラ弁仕様になっているときには「これはお母さんが勝手に」と言い訳をしながらも嬉しそうに食べていたりするのだ。めちゃくちゃわかりやすい。
帆秋さんとは、高校に入ってから知り合った。きっかけは単純で、同じクラスになったから。
現在はもう春休みなので、二年になってもどうか同じクラスになれますようにと願うばかりだ。
好きかも、と思うようになったのは秋頃で、好きだな、と思うようになったのはついこの前だった。
なんかもう、表情とか言動とか全部ツボ。面白いし可愛い。
そんなわけで、観察対象的な意味での好意なのか恋愛的な意味での好意なのか、なかなか判断がつかなかった。
だけど、気づかれないようにこっそりと見つめながら、帆秋さんもこっち見てくれないかな、と思うことが増えていって。……俺のこと好きになってくれないかなとか思うようになっちゃって。
これはもう好きだなぁ、と結論づけるしかなくなったわけだ。
……にしても、帆秋さんの脅しは俺にメリットがありすぎる罰だった。
好きな女の子と社交ダンスって何? 踏まれたとしても痛みなんか全然気にならないやつじゃん。
しかし、ここで喜んだ様子を見せたりなんかしたら撤回されてしまうかもしれない。それどころかキモがられること必至。
あえて神妙な顔つきで了承すれば、帆秋さんはようやく少しだけほっとしたようだった。
そして、しばらくの沈黙。
「……」
「……」
「……水無瀬、帰んないの?」
「帰らなくていいならここにいたいかな。暇だし」
「……っていうかこんなとこで何してんの」
「図書館で本返してきた帰り。俺のうち、あれなんだよね」
近くのマンションを指差せば、帆秋さんの顔が微かにしかめられる。知り合いの誰にも見つからないようにと選んだ場所だったのだろうから、俺は何も悪くないけどちょっとだけ申し訳ない。
何かを考え込んだ後、帆秋さんは小さくため息をついた。
「……それじゃ、あたしはもう行くから。ばいばい」
「場所移して練習するの?」
「まあ、うん」
「ついてっちゃ駄目?」
「ダメ」
すげない返答だったが、俺の絡みにイライラしている様子はない。……もうちょっと絡んでも平気かな。それともここで引いておくべきか?
でもせっかく、こんな場所で好きな子に会えるとかいう奇跡的な偶然に恵まれたのだ。このチャンスをふいにしたくはなかった。
あと普通に、春休みで会えないのめちゃくちゃつらい。今のうちにもうちょっとだけでも話したい。
だから俺は、「でもさ、」と会話を続けた。
「足くじいちゃったりしたときに運べる人員がいるんじゃない?」
「スニーカーに履き替えれば普通に帰れるし」
帆秋さんが視線を向けたベンチには、袋がのっていた。中身は見えないけど、たぶんあれにスニーカーが入っているんだろう。
「履き替えたとしても、無理したら捻挫悪化しちゃうと思うんだけど……」
「…………でも、水無瀬にそこまで面倒かけるのも」
あ、ちょっと揺れてくれた。
そして家族に迎えにきてもらうという選択肢が出てこないあたり、家族にも秘密の特訓だったらしい。
俺が運ぶとなるとおんぶってことだし、この歯切れの悪さはそれが嫌なのもあるんだろう。好きでもない男子におんぶされたい女子はいないしな。
……自分で考えてて悲しくなってきた。いや、そういう意味では好かれてないだけで、仲自体は割といいはず。帆秋さんのことを男友達とほとんど同列に扱ってる奴らとは違って、距離を詰めきれてはいないけど。
「さっきも言ったけど暇してるし、全然面倒なんかじゃないよ。運ばれるの嫌だったら、んー……あっ、そうだ傘を杖代わりにするのとかは? もし帆秋さんが捻挫しちゃったら、俺がうちからソッコーで傘持ってきて貸すよ。でもその前に氷で冷やしたほうがいいかな……保冷剤とかも持ってくる!
それならこのままここで練習したほうがいいよね。どうせ俺にはもうバレてるんだし、人に見られてたほうが緊張感もあって上達しやすいんじゃない?」
これでだめだったら大人しく帰ろう、と思いつつ適当なことをまくし立てれば、帆秋さんは「確かに」と納得したようだった。
これで納得してくれるんだ……。帆秋さんが素直で助かった。
彼女の気が変わらないうちに、練習を促す。
帆秋さんは言われるがままに一度前を向いたものの、ちらりとこちらを見て釘を刺してきた。
「……あたしが変な歩き方してても笑わないでね」
「変? ペンギンみたいだったけど」
「ペ……!? こ、こんな高いヒール初めて履いたんだからしょうがないじゃん! あとペンギンはもっと可愛いぞ!」
「あ、ちがっ、ごめん、バカにしたわけじゃなくて、ペンギンみたいでか……」
口から滑りかけた言葉を呑み込む。きょとんとしている帆秋さんと目が合った。
「か?」
「……ナンデモナイッス」
「……うっす」
あっぶな、可愛いって口に出すとこだった。帆秋さんに気づかれてませんように。
…………いやでもこれ、流れ的に気づかれてるよな。ペンギン=可愛いの等式できちゃってたし。ペンギンみたいで『か』って言ったらもう可愛い一択しかない流れだった。いきなり何言ってんだこいつって引かれてませんように!
とりあえず誤魔化したくて、にこにこ笑ってみる。絶対引きつってるけど。
帆秋さんはなんだか微妙な顔つきで口を開け、結局そのまま何も言わずに閉じた。そっとしておいてくれるらしい。
さすが帆秋さん、優しい。
その優しさに甘えて話を元に戻す。
「とにかく、絶対笑わないから大丈夫だよ。俺が笑ったら社交ダンス経由しないで足踏んでもい……あっ、進んで踏まれたいみたいな変態的意味じゃなくね、普通に! 今のは話の流れでね!」
失言しすぎじゃないか俺。っていうか帆秋さん相手なら焦って補足しないほうがよかったかも。余計に怪しい。冷や汗がやばいことになってる。
「……ふふ、うん」
けれど何がおかしかったのか、帆秋さんは小さく笑った。
え、可愛い……。好き。冷や汗なんて一瞬で引っ込む。
そんな内心はおくびにも出さず(出していないはずだ)、俺も微笑み返した。
「じゃあ、今度こそ練習どうぞ。あ、今更だけど邪魔しちゃってごめんね」
「……まあ、水無瀬ならいいよ」
「……そっ……あ……う、ん。ならよかった」
――落ち着こう。
これはあれだ、俺なら他の男子みたいに練習中にはやし立てたりしないからってことだ。いやさすがにはやし立てるとかは他の奴もしないか? とにかくそう邪魔にはならない存在として認識してもらってるだけで他意はない、他意はない。落ち着け。
……でもそういう存在として認識してもらってるのは嬉しい。なんか特別枠じゃない、俺?
俺がにやけそうになるのを我慢している間に、帆秋さんは真剣な顔で練習を再開した。
ふらふら、よたよた、ゆっくりと。やっぱり足を怪我してるペンギンのような歩き方だ。不格好なところが逆に可愛い。
真っ直ぐ歩いて小さな公園の端まで着いたら、今度は逆方向へ真っ直ぐ。
「……なあ、暇じゃない? 大丈夫?」
しばらくして帆秋さんは俺の近くで立ち止まり、ちょっと不安そうに尋ねてきた。無言で眺め続ける俺に居心地が悪くなったのかもしれない。
「全然。たの……」
「たの?」
「……楽しいです……」
たの、まで言ったら誤魔化しきれなかった。
あーもうこんなの見てて楽しいって普通おかしいじゃん俺の馬鹿! 帆秋さん「そ、そう……?」って首傾げてるし絶対引かれてる!
駄目だな、この状況に浮かれすぎて口が滑りやすくなってる……。気を引き締めなければ。
「でも人に見られてるのって、やっぱり気合い? みたいなの入っていいのかも。さっきより全然転びそうにならないし」
「ほんと? 俺役に立ってる?」
「うん、ありがと」
「えっへへへ、どういたしまして。……待って今俺めちゃくちゃキモい笑い方した気がする、今のなし」
全然気を引き締められてない。
リテイクしていいか訊いたら普通に却下されてしまった。そんな……。
愕然とした俺に、帆秋さんはまたくすくす笑う。明らかに今日の最初より表情がやわらかくなっているので、緊張とか動揺とかがほぐれてきたのかもしれない。
「今なら喋りながらでも歩けるかも。水無瀬も喋ってたほうが楽しくない?」
「うん、楽しい!!」
「わっ!?」
いきなりの大声にびっくりしたのか、帆秋さんの肩が跳ねる。
その拍子に帆秋さんはまたバランスを崩してぐらりと傾き――自力でなんとか持ち直した。反射的に出してしまった俺の手は、そっと引くことになった。
……支えるためだっていっても、付き合ってもない女子の体にさわっちゃだめだよな。そうならなくてよかった。おんぶまで考えてた俺が言うなって話だけどな。
でも下心はな……いとは言いきれないというかありまくりだけど……とにかくよかったよかった。
うん。
うん、よかったな……。
「びっくりさせてごめん、帆秋さん……」
「そ、そんな落ち込まなくても。こっちこそ反応しすぎたし」
「いや、なんか、色々……」
「おー……?」
怪訝そうな帆秋さん。ひたすら申し訳なくて、話題を探す。
「え、えっと、あ、そうだ。答えたくなかったら全然違う話に変えていいんだけど、いつもと違う格好しようって思ったきっかけとかってあるの?」
「……別に大した話でもないけど」
そう言いつつも、帆秋さんは答えてくれるようだった。
再びゆっくりと歩き出したので、俺も後を追って会話がしやすい位置をキープする。
「ユキちゃんっていう、友達? 近所のお姉ちゃん? がいるんだけど、なんかかっこいい人でさ。ユキちゃんみたいになりたいなって思って、昔から色々真似してたんだ。喋り方とか服装とか。そしたら今更……こういう格好するの、恥ずかしくなって」
こういう格好、と言ったところでワンピースの裾をちょっとつまむ。
恥じらい混じりのその仕草が可愛くて、帆秋さんと仲がいい男子たちに心の中で謎のマウントを取ってしまう。お前らこんな可愛い帆秋さん見たことないだろ!
まあ、まあ? 帆秋さんはいつでも可愛いので。その帆秋さんと普段近くにいるって点では、あいつらは俺に常に勝ってるってことになるけど。
けど今この瞬間には俺が勝ってる。帆秋さんの瞬間最高可愛い度は今このときが最高だと思う。
「いや、いつもみたいな格好も好きでやってるんだけど、やっぱり可愛い格好っていうのもたまにはしてみたいかなっていうのはあって、けど恥ずかしくて、あっ水無瀬はいつもみたいな格好って言ってもわかんないか、基本Tシャツとジーンズとかそんな感じなんだけどたぶん想像つくよな」
語ること自体恥ずかしいのか、帆秋さんはどんどん早口になっていた。自分でも気づいたのだろう、小さく息をついて一旦言葉を休める。
「……でも、ユキちゃんが最近女の子っぽい服着るようになって。制服くらいでしかスカートなんてはいてなかったのに、今じゃワンピースとか着るんだ。そんで、すっっごい可愛いわけ。
それならあたしも、って。ユキちゃんとこういう格好で遊び行ったりもしたいしさ。だからこっそりワンピースとか靴とか買って、わざわざ適当に何駅か離れたとこ来て、誰にもバレないように練習してた……って感じ」
「なるほど……」
顔も知らないそのユキさんに感謝。おかげで俺はこんな可愛い帆秋さんと二人っきりで喋れてます、ありがとうございます。
……っていうかわざわざ数駅分移動してたんだ……。地元じゃ知り合いに見つかる率も高くなるもんな。なのに俺に会っちゃうとか帆秋さんめちゃくちゃ運悪い。いや、俺の運が良すぎたのか。
恥ずかしげに語っていた帆秋さんの表情が、しかし不意に曇った。
そして、ぽつりと零す。
「……でも。どうせ、似合ってないでしょ」
「え?」
咄嗟に意味を呑み込めずぽかんとする俺に、帆秋さんははっとしたように「ごめん何でもない!」と謝ってきた。
「マジごめん、気にしないで。違う話しよ」
「……似合ってるよ」
「…………ありがと」
苦く、困ったように笑う帆秋さん。俺の言葉を少しも信じていないことは明らかだった。それでも「嘘だ」とか否定はせずにお礼を言ってくれるのは、俺に気を遣ってくれているのだろう。
違う話をしようと言われているのだから、本当はそれに従うべきだ。だけど……お世辞だと思われたままなのは嫌だった。
ただのわがままだとか自己満足だとか言われたら、そのとおりだと答えるしかない。
できるだけ真摯に聞こえるように、俺は表情を引き締めて口を再び開いた。
「お世辞じゃないからね。ほんとに似合ってる。帆秋さんの知り合いの誰に聞いてもそう言うと思うよ」
「い、いや……それはさすがに……」
「少なくとも俺はめちゃくちゃ似合ってると思うし、か……か、かわ……か…………っほんと似合ってる、と思う……」
せっかくキリッとした顔で話してたのに台無しだった。言ったも同然のところまで言うくらいなら、潔く言い切ってしまったほうがマシなのに。
でも無理無理、無理だって。面と向かって可愛いって言うとか俺には難易度高すぎる。もう今これだけですでに顔熱くて死にそうなんだけど。
帆秋さんは、思わず、といったふうに目を丸くして立ち止まる。
俺はその視線から逃げるように顔を逸らした。
俺、帆秋さんの前じゃ結構スマートな男ぶってたんだけどなー! 今日だけで絶対そのイメージも崩れた。もうだめだ。ただのアホだってバレたら帆秋さんに好きになってもらえる可能性が低くなる。今たぶん可能性ゼロ。
……いや1%くらいないかな。あってくれ。
そんなふうに祈っていたら。
ふっと、帆秋さんが笑った気配がした。
「――うん、ありがとう」
背けていた顔を元に戻す。
照れくさそうに頬を染めて、帆秋さんが真っ直ぐ俺のことを見ていた。かわっ……かわいい。可愛くない? 可愛い。瞬間最高可愛い度また更新した。
危うく可愛い一色になりそうだった脳内をなんとか整理した結果、「うんうんうん」となぜか三回もうなずいてしまった。
……とにかく、今度はちゃんと伝わった、のかもしれない。
帆秋さんの笑顔を見ただけで、底辺まで落ち込んでいた気持ちが浮き上がった。我ながら単純すぎる。
可能性、5%くらいある気がしてきた。すごい。俺が百人いたら五人は帆秋さんに好きになってもらえるってことだ。…………そういうことじゃないか? でもすごい。
ほっとしたけど顔はまだまだ熱いので、俺は急いで話題を変えた。
「じゃあ今度こそ違う話にしよっか!! さっきは俺が質問したから、次は帆秋さんの番ね!」
「あ、そういう感じ?」
「ち、違った……ね……」
「いや、いいよ。何質問しようかな」
んー、となんだか楽しそうに考え込む帆秋さん。……止まったままなんだけど、歩く練習しなくていいのかな。でも考えてる邪魔をするのも申し訳ない。
そのまま黙って待つこと数十秒。
「……水無瀬って、なんであたしのこと帆秋さんって呼ぶの?」
「うん? どういうこと?」
予想外の質問が飛んできて首を傾げる。
「だって男子は大体、帆秋って呼ぶから」
「ああ、そういう。でもなんでって言われても、女子のことはみんなさん付けしてるし……癖?」
「……ふ、ふーん」
その『ふーん』はいい意味悪い意味どっちのふーん……!?
内心びくびくしている俺に、帆秋さんはもう一つ質問してきた。
「……それと、あたしのことよく見てるの、なんで」
「――へ?」
「気のせいかなって思ってたけど、でもやっぱりどう考えてもめっちゃこっち見てるし」
バ、バレて、た……!?
真っ白になった頭で、なんとかその事実を呑み込む。じわじわとまた熱くなった顔は、はたから見れば真っ赤だろう。せっかく平温に戻ってたのに……!
帆秋さんはそんな俺を、感情の読めない顔でじっと見つめてくる。
気のせいだとゴリ押しすれば、帆秋さんなら納得してくれる気はする。
でもその場合、自意識過剰じゃない? と言っているも同然だ。だからゴリ押しはなし。俺の保身のために帆秋さんに恥をかかせるわけにはいかない。
一応嘘ではない「見てると面白いから」という答えも、帆秋さんを傷つける可能性がある。面白いと言われて喜ぶタイプには見えないし、これもなし。
じゃあ、「可愛いから」? さっきの流れでも言えなかったんだから無理。ここでそこまで言ったらそれはもう告白だし。
……いや、でも。
――ここまで来たら、告白するべきなんじゃないか?
正直に、誠実に答えるべきなのでは?
そもそも、もう数日もしたら新学期なのだ。
どうかまた来年も帆秋さんと同じクラスでありますように、と祈ることに忙しくて、違うクラスになったときのことをあんまり考えてなかったけど……もしクラスが離れたら、これ以上帆秋さんと仲良くなることもできずにそのまま縁が切れてしまうかもしれない。
それは……嫌、だな。
そう思ったら、口が勝手に動き始めていた。
「お、れが、帆秋さんをよく見てるのは」
うつむいてしまいそうな顔を上げて、逸らしてしまいそうな視線を合わせる。
それだけで一生分の気力を使い果たしたような気分になったが、最大の難関はこの先だ。
「帆秋さんのことが――」
震えてみっともない声を、それでも帆秋さんは真剣な顔で聞いてくれる。待ってくれている。
「す、」
「す……か行の二文字目……だからです」
――やっちまったな~って感じだ。めちゃくちゃやっちゃったわ。最悪すぎる。告白って言っていいのかこれ。告白っていうかゴミじゃね? ここまで言えるならちゃんと言えよ俺。何が誠実にだよ。クソだよ。
内心でひたすら自分を罵ったところで、出してしまった言葉はもうどうにもならない。
だけど幸いと言っていいのかどうなのか、帆秋さんはそこに関しては気にしていないようだった。代わりに目を見開いて、「やっぱり!?」と叫ぶ。
「…………やっぱりって何!?」
「こんなこと言うとあれなんだけどなんかちょっと前からそんな気がしてて、あとその、周りからも水無瀬ってあたしのこと好きなんじゃない? とかいっぱい言われてて……」
……ちょっと前からそんな気がしてて?
周りからも? いっぱい? 言われてて?
…………クラス替えが楽しみになってきちゃったな。ほんと。帆秋さんだけ同じクラスであと皆別クラスになってくれないかな。マジで。じゃないと羞恥心で死ぬ。
でもそれより先に今、俺の目が死んだ気がする。
「そ、そっかぁ。やっぱりそうだったんだな……そっか……」
納得したようにうなずく帆秋さん。期待していいのか悪いのか全然わからない。
この状態が続くのは非常に心臓に悪いので、早いところ終わらせてしまいたかった。
「……帆秋さん」
「はい!」
名前を呼べば、なぜか帆秋さんはぴしっと姿勢を正す。可愛いんだけど、可愛いなと呑気に思える余裕はない。
「それを確認したってことは、今ここで、返事もらえるってこと……?」
「へんじ」
「へんじ」
「なん、の?」
「告白、の……?」
いやまあ、俺がしたのは告白じゃなくて実質ゴミだけど。ゴミをしたっていうのは言葉的におかしいけど、しちゃったんだからしょうがない。
帆秋さんは呆けたように、ぱちりと瞬きをした。
「……今?」
「考えてなかった?」
「か、考えてなかった……ごめん……」
さっと顔を青ざめる帆秋さん。
つまり、気になっていたことを確かめただけだと。
……うっわこれ俺が返事催促しなきゃまだ振られないで済んだんじゃない!? ここで考えてなかったって言われるのは絶対振られるじゃん!? はあああもうやだ。
でも帆秋さんもここまでしておいて「考えてなかった」は小悪魔すぎる……。また新しい魅力発見したーって喜ぶ余裕も今はないんだけど!
うろうろと視線をさまよわせる帆秋さんと、死刑判決を待つ気持ちでそれを見つめる俺。
長いのか短いのかよくわからない沈黙の後、帆秋さんはゆっくりと口を開いた。
「と、友達から、とか……?」
「……俺、まだ友達にもなれてなかった?」
希望がある答えのような気がしたけど、友達とも思われていなかったのならそれはそれで悲しい。
「あっ、や、そんなことはないんだけど、気持ち的にっていうか、あたしも水無瀬のこと気になってはいたけどまだ好きとかよくわかんないっていうか、こういうのって友達から始めるのが普通なんじゃないかなとかそういうあれで別に今友達じゃないとかそういうわけじゃなくて……あれ? あれ?」
しどろもどろ。ついには自分でも何を言っているのかわからなくなったのか、ぐるぐる目で首を傾げまくっている。
……とりあえずは。振られたわけではない、っぽい?
というかなんか、俺に都合がいい言葉が聞こえた気がするんだけど。俺のことが気になってたとかなんとか。幻聴か?
「と、とにかく水無瀬!」
「はい!」
いきなり名前を呼ばれて、今度はこっちが背筋を伸ばしてしまった。
「デートするなら普段の格好とこういう格好どっちがいい!?」
「デートしてくれるの!? なんで!?」
すごい勢いですごい方向から投げつけられた問いにぎょっとしてしまう。
幻聴とか通り越していっそもうこれは夢だろ。でもほっぺたの内側噛んだら普通にめちゃくちゃ痛い。
……デートに誘われてるって認識しちゃったけど、まだ勘違いの可能性もある、よな。
けれど返ってきた答えは、俺の認識を肯定するものだった。
「友達から始めるなら、友達になってるあたしたちが次にするのはデートかなって……」
なる、ほど……? そういうものなんだろうか。そういうものなのかもしれない。でもデートって言うなら、今のこれもほぼそんな感じだよな……公園デート……。
とはいえデートしてくれるというのなら、断る理由がない。それどころか大はしゃぎする理由しかなかった。帆秋さんの手を取って踊り出したい気分。帆秋さんが足を痛めない範囲でなら何回踏まれるのも大歓迎。
……じゃなくて。質問に答えなきゃ。
「……どっちかって言えば、普段の格好がいいかな」
「え、デートなのに?」
「デートだからだよ。なんの不安もなく楽しめたほうがよくない? もちろん帆秋さんがそういう格好したいっていうなら止めないし、できるだけエスコートの勉強してくるけど」
今日の練習で帆秋さんの歩き方も改善されてはいたが、正直まだ自然とは言えない。可愛いけど見ていてはらはらしてしまうし、帆秋さん自身だって似たような心境だろう。
デートするなら、帆秋さんにはちゃんと楽しんでもらいたいのだ。
帆秋さんは「確かにな……」と何かを考えるように口元に手を当てた。
「……それなら、靴だけ別のにするか。でも、えっと……デートとは別に、またこうやってたまに練習付き合ってもらっても、いい?」
「もちろん! 社交ダンスの練習だって付き合うよ」
「あはは、じゃあいつか水無瀬の足踏まずに踊りきるのが最終目標ってことで」
「いけるかなあ、俺、実はダンスすっごい苦手なんだよね」
「あたしもめちゃくちゃ苦手。リズム感がなくてさ」
大変なことになりそうだな、と二人して笑った。冗談なのか本気なのか、お互いたぶんわかっていなかった。
……俺は、本気だったらいいな、と思ったけど。
だからなんとなく、帆秋さんに片手を差し出す。
そんなことができたのは、告白によって羞恥心なんてどうでもよくなってしまったからか、それともデートに誘われて浮かれまくっていたからか。どっちもかもしれない。
なんにしても、帆秋さんは心得たように手を握ってくれた。
小さい。やわらか……えっ俺浮かれすぎてない? やっば。
そこでようやく正気に返ったが、途中でやめるわけにもいかない。
俺はもう片方の手で帆秋さんの腰を支え……る、のはさすがにアウトだから、さわらずに、フリだけ。その腕に、数センチの隙間を空けて帆秋さんの手が添えられる。
……バランス取るためにも帆秋さんは普通にさわってくれて大丈夫だったんだけど、これ以上の接触は緊張しすぎるから結果的によかった。
緊張っていうか、恥ずかしい。羞恥心が帰ってきた。今いらん。こっちはかっこつけたいんだよ。
小さく深呼吸をして、恥ずかしさから少しでも意識を逸らす。
視線を合わせれば、帆秋さんも恥ずかしそうにしていた。この可愛い表情を見ている限り、意識を逸らすなんて不可能だと悟った。
「えっと……準備、いい?」
「待って。最初、右? 左?」
「あー、どっちが正しいんだろ……というか決まってるのかな。曲によって違うとかある?」
「なんもわかんないな、あたしたち……」
「まあ、じゃあ帆秋さんから見て右で」
「わかった、右な。かけ声と足出すタイミングは?」
「せーのっ、タンッ、くらいでどう?」
「了解。……失敗したらごめん」
「俺も失敗したらごめんね」
ぐっだぐだの打ち合わせを終えて。
「「せーの」」
音楽もなしに、適当に一歩足を動かして。
「――あっ、ごめ、ふ……あははっ、ごめん!」
「大、丈夫……っふふ、あははは! 大丈夫、全然痛くない!」
見事に一歩目で失敗して、また二人で笑ってしまった。
水無瀬陽
恋心はしっかり隠しているつもりだったが、そもそも自覚前から大分周り(帆秋さん除く)に筒抜けだった。感情が表情にめちゃくちゃ出ている。あれもこれも帆秋さん相手じゃなかったら色々丸わかり。
動物の中でペンギンが一番好き。動物に人間を含めるのなら帆秋さんが一番好き。
身長(178cm)については今まで特に思うことはなかったが、ハイヒール履いてる帆秋さんの隣でも見劣りしない身長でよかった~! と思うようになる。
ダンスは本当に全然できない。(本編最後で腰を支えようとしているが、本来は肩甲骨辺りがおそらく正しい)
帆秋音々
近所のお姉さんに憧れて今のスタイルになった。しかし部屋にはぬいぐるみがたくさんあったりする。
大分鈍く、周りから言われたり視線に気づいたりしても、水無瀬に好かれているかはずっと半信半疑だった。
女の子扱いで優しくしてくれる水無瀬に、実は前からちょっとずつ無自覚的に惹かれていた。
リズム感が壊滅的。太○の達人のかんたんモードならかろうじてクリアできる。後日、何度目かのデートの際にクリアしてドヤ顔をしたら「可愛い」と言われ、初めてちゃんと可愛いって言ってくれるのがここなのか!? と宇宙猫顔になった。