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1-8 一夜の恋愛ごっこ

 そして時は巡り、めでたく十三歳の誕生日を迎えたクロエ。


『来年の誕生日。その時、あなたがどうしたいのか今から考えておくといいかもね』


 アリアにそう言われた時からクロエはずっとその事について考え、そして未だに自分の進路を決め兼ねていた。


 というのも、住み慣れた森での生活はクロエにとって大変居心地が良く、世界で一番安全な場所であると確信していたからである。


(どうせ外の世界って、愛欲による殺人、復讐による殺人、密室になった途端グサリと誰かに殺されるに決まってる)


 ここ一年、アリアが推理小説にハマっていた事もあり、クロエの家の書庫にはそういった類の本が積み上げられていた。


 その結果、アリアが読破したお下がりの本をもれなく手に取っていたクロエは「やばい、都会に出たら三歩進むと死体にあたる」などと、勝手に外の世界に対するイメージを膨らませまくっていたのである。


 クロエはルークが森に捨て置かれたのをキッカケに、森の外に出る機会は確かに増えた。けれどクロエの知る外の世界、隣町はとても小さな集落であった。どれくらい小さい町かと言うと、例えば先日こんな事があったとクロエは振り返る。


 アリアの助手として治療院のアルバイトに出かけたクロエがついうっかり、患者の前でケホケホと乾いた咳をしてしまった。というのも治療院に置かれた患者の情報が入ったカルテを棚から引き出した時、一緒にその辺に積もっていた埃が空気中にぷわーっと舞い上がり、それを吸い込んでしまったからだ。


「魔女様、あんた風邪かい?魔法薬で治すのもいいけど、あたしのお薦めはね、大根の蜂蜜漬けだよ。大根から出た汁を飲むと喉にはいいんだよ」


 クロエの咳に気付いた患者である町の住民はクロエを心配する声をかけてくれた。


 その時は「すみません、埃を吸ったみたいで」と事実を口にし「ほんとかい?」などと疑われつつも、次の患者の治療に直ぐ気が向いたクロエは、すっかりその住人と交わした会話を忘れ仕事に没頭した。


 そしてそこから一時間くらい。アリアが全部の患者を診察し終わり、クロエがアルバイト先の治療院の玄関を出るとすぐに待ち構えていたらしき人だかりに囲まれてしまった。


「ナタリに聞いた、お前風邪ひいてんだって?これやる。これを喉に巻くといいらしいぜ」


 顔見知りの少年がクロエにネギを手渡す。


「魔女様、ネギもいいけど熱が出たら食欲もなくなるだろうから、リンゴを擦って食べるといいよ」


 そう言って、今度は別の住人にリンゴを手渡される。


「魔女様、ほら、カブとショウガだよ。これでスープを作りな。風邪の時は体の芯まで温めないといけないよ」


 もれなくクロエはカブとショウガも手に入れた。


「ナタリが魔女様にお薦めしたってさっき話していたのを聞いたから早速持ってきたよ。大根の蜂蜜漬け。ほら、持ってきな」


 胸元にギュウギュウと押し付けられるのは透明な瓶。そこには大根が蜂蜜に漬かった物が入っていた。


 そしてクロエが森に帰るまでの道のり。すれ違った人全員にもれなく「お大事にね」と言われる始末であった。


 つまり隣町は一時間もあれば、街の端から端までクロエが風邪っぽいという事がまるで伝言ゲームのように行き渡ってしまう、それくらい小さくて、よく言えばアットホームな町なのである。


 というわけで、クロエにとって顔見知りしかいない隣町は外の世界であって外の世界ではない。もはやあそこは偉大なる北の魔女の森の一部であると思っているのだ。


(だからきっと本当の外の世界は危険がモリモリ……)


 クロエはまだ知らぬ外の世界に対し、完全に偏り過ぎたイメージを抱いていたのであった。


 だから森の外、隣町以外に一歩踏み出す勇気など、なかなか持てそうにないとクロエは密かに悩んでいたのであった。


「それ完全に間違いだし」


 可憐な少女がクロエのベッドの上であはははとその容姿に似合わない豪快な笑い声をあげた。


「え、違うの?だけどお母様の本の中では、必ず人が殺されるよ?しかも主人公が自分だとしたら相当な確率で親戚筋が不幸な目にあってるし。あれは、ほんと、恐怖でしかない」


 クロエが目の前でお腹を抱えて笑う少女に真面目な顔でそう伝える。


「それはフィクションだから。現実は案外毎日同じ事の繰り返しだし、そうそう誰かに殺されたりなんてしないよ。それに私達魔女なんて殺す方が難しくない?ほんとうける、クロエ」


 あまりに笑い過ぎたのか、目尻に浮かんだ雫を指で拭いながら少女がクロエにそう知ったような言葉をかけた。


 情熱的なイメージの薔薇を思わせる赤い髪色を持ち、その髪にまるで合わせたように怪しく輝くガーネット色の瞳。クロエとそう変わらない年齢でありながら、大人びた少女ーーアリス・オーヴェストは偉大なる南の筆頭魔女ベアトリス・スドレアの娘であり、偉大なる南の魔女の正当なる血筋の後継者でもある。


 そして何よりクロエが声を大にし言いたいのは、アリスは自分にとって数少ない魔女友だと言う事である。


 現在十四歳。クロエの一つ上の年齢であるアリスは魔女でいながら、外界に居を置きベアトリスと共に幼い頃から世界各国を点々とし、気の向くままに過ごしている一風変わった魔女である。


『一見すると自由っぽいでしょ、私とお母様って。けどね、その裏で魔女の秘密の任務についてるんだ。だから世界中を飛び回ってるってわけ。ああ見えてお母様の色仕掛けは世の中の役に立ちまくってる、そう、いわばスパイの魔女。そして私はその助手の見習い魔女よ』


 本当かどうか、それはかなり微妙な感じではあったが、アリスは昔クロエに彼女の秘密を親に内緒でこっそり教えてくれた。


 とにかくクロエにとってアリスは身近なお姉さん的存在であり、魔女友であり、クロエの知らない事を沢山教えてくれる大親友なのである。だからこうして定期的に顔を合わせ近況報告をし合っているのだ。


 と言ってもアリスは未だ、母親であるベアトリスと共に大陸を駆け巡り、魔女のスパイ活動の助手をしているという設定だ。


 その為クロエから会いに行く事は出来ない。だからクロエがアリスと会えるのはベアトリスがクロエの母であるアリアに会いに来た時だけなのである。


「クロエが外の世界に出たくない理由が「殺人こわい」だったら、私はこの森からさっさと出るべきだと思う」


 久しぶりに会ったアリスはクロエにそう冷たく告げる。


 因みに、一階のリビングでは赤ワインを片手にアリアとベアトリスが「男なんかさ、面倒ばっか」「ほんと男なんてこりごり」と既に「男」というキーワードをつまみに飲み続け管を巻いている。


 その結果、健全なる未成年であるクロエとアリスはこの家の風紀委員長でもあるコンラッド婦人に怖い顔を向けられる羽目になった。


『あの二人の会話の内容はまだ知らなくていい事よ。というか、一生知らない方がマシかもしれないわ。紅茶を入れてあげるから、このお菓子を持ってクロエの部屋に行きなさい。ゴーゴーゴー』


 まるで今から戦闘に参加する兵士達にかける号令のような掛け声でコンラッド婦人に追い立てられたクロエとアリス。


 そうなるとひっそりと気配を消し、母親達の隣に座り彼女達の「男」についての秘密を盗み聞きする事はもはや不可能である。


 仕方がないと潔く諦めたクロエとアリスは現在大人しくコンラッド婦人の言う事を聞き、クロエの部屋で紅茶とお菓子で「健全なるお茶会」を開いているのであった。


 そしてクロエは現在アリスに大真面目な顔で人生相談をしている所なのである。


「外に出た方がいいって、それは安全だから?」


 クロエはアリスの目の前に置かれたカップに紅茶を注ぎながらそうアリスに確認する。


「んー。体は安全でも、心が傷つく事があるから、安全とは言い切れないけど。というかそもそもクロエは大事な事を忘れてるよね?」


「え?大事な事?」


 一体何の事だろうと、大事な事に思い当たる節がなかったクロエはポカンとした顔をアリスに向けた。


「私達、偉大なるに名を連ねる正統なる魔女の血筋の後継者にとって一番の責務って次なる後継者をこの世に残す事でしょ?」


(次なる……後継者……つまりそれは赤ちゃん……)


 ハッとした顔をアリスに向けるクロエ。


「そういう事。まさかクロエ、今更コウノトリとか信じてないよね?後継者イコール子どもを作るって事は、相手がいないとダメなんだよ?そこで問題です。この森にクロエのお眼鏡に適うイケメンはいますか?はい答えて!十、九、八、七……」


 アリスのカウントダウンを告げる言葉を耳にしながらクロエは必死に考えた。


(子どもは相手がいないといけないけど、イケメンって確か整った顔立ちをした男性の事で、ルカもココルも使い魔だし、ええと、ぐぬぬぬ)


「いません」


 何とかアリスのカウントダウンが終了する前に答えを口に出来たクロエはホッとした表情で肩の力をダラリと抜いた。


(ふぅ、セーフ、危ない所だった)


 もしアリスのカウントダウンに間に合わなかった場合、彼女はいつも容赦なく「くすぐりの刑」をクロエに執行する悪魔の手先になるのである。


「そう、この森にいたら出会いがない。となると恋も出来ない。すなわちそれは、一夜の恋愛ごっこで子を成す羽目になるってことを意味するってわけ」


「一夜の恋愛ごっこ?」


 外の世界で暮らしているアリスは、時折クロエの知らない「流行り」の言葉を使う事がある。勿論何となく前後の流れで多分こういう意味だろうと想像できる時も多い。けれど今アリスの口から飛び出した「一夜の恋愛ごっこ」その何だか楽しそうな単語の意味はクロエには全く想像ができなかったのであった。

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