1-3 ルークのいる日常
それから一ヶ月。
クロエに対しまだ慣れないのか警戒したように距離を置き、取り繕うようなぎこちない笑みを浮かべるルークだった。
しかしクロエはそれに全く気付いていなかった。
そもそも偉大なる北の魔女の森で暮らしている彼女にとって、ルークは初めて外から来た同年代の普通の友達であった。その事に浮かれていた事に加え、アリアやコンラッド婦人に教えてもらうばかりだったクロエの人生でルークは初めて「自分が教える」という優越感を感じる経験をさせてくれるという、貴重な存在であったのだ。
その事が嬉しくて、ルークの負った傷がすっかり完治しベッドから彼が起き上がれるほど元気になると、クロエは早速偉大なる北の魔女の森でのイロハをルークに教えてあげる事にしたのである。
「お母様と私は基本的に外の世界との関わりをあんまり持ってないからこの森で自給自足の生活をしているのよ」
家の周りにつくられた畑に実った野菜を収穫しながらクロエはルークに自分の置かれた環境を説明する。
「どうして町で暮らさないの?」
「お母様が言うには、魔女はその力を利用されやすいから、こうやってめくらましの魔法の結界を張って外から遮断された生活を送る方が安全でいいらしいよ」
「確かに君のその力を欲しいと思う人間は多そうだ。ところでクロエのお父上は、その……」
「お母様が教えてくれないからどこの誰だかわからないの。そもそも会った事もないし。でもまぁ、会った事がないとそんなもんかなって、わりと割り切れるもんだよ」
「そっか、なんかごめん」
「いいの、気にしないで。ルークは私のお友達だから隠し事はしたくないし」
「僕は君に言えてない事が沢山あるけど……」
ルークは小さな声でそう呟いた。しかし収穫できそうな野菜の剪定に集中していたクロエはその事に全く気付かず、ルークにキュウリを渡す。するとルークはそのキュウリを無言で籠に入れた。
そうやってクロエが包み隠さずルークに自分の事を何でも素直に話していると、日が経つ毎に、段々とルークの顔から難しい表情が消え自然な笑みがこぼれるようになった。
「ルーク、いい?魚っていうのはこう釣るのよ!」
クロエが池に向かって杖を振る。すると空から青白い光が槍の雨となって水面にいくつも刺すように落ちた。雷魔法を使ったのである。
クロエの雷魔法が落ちた水面にはピチャピチャと無数の魚が跳ね上がる。それから急に動きを止め動かなくなった魚達が水面にプカリと横倒しになり浮き上がってきた。
「君が今のでまさか全部殺しちゃったの?」
「そんな物騒な事言わないで。ただ気絶させただけ」
「気絶……それも痛そうなんだけど」
「お母様が言うには、患部に電気をあてて治療する方法っていうのもあるらしいから、魚たちもむしろ気持ちいいと思っているかも知れないんだってさ」
「そ、そうかな……」
「さ、今日食べる分だけ持って帰ろう。ルーク、バケツを頂戴!」
といった感じで、クロエはルークに自分の知識を惜しみなく教えてあげた。生憎ルークが魔法を使う事が出来なかったので、彼はクロエが「魚釣りしよう!!」と張り切る度に、バケツを持って青ざめていたのであった。しかしクロエはそんな事には全く気付かず、弟が出来たかのように、いつでも、どこでにでも片時も傍を離れる事を許さず、ルークを連れ回していたのである。
そこから更に日が経つと、ルークはまるで昔からこの森の住人だったように、すっかりこの生活に馴染んでいた。
「クロエ、薬剤をかき混ぜる手を止めない。ルークはもっと形を整えて人参を切って頂戴。そんなにバラバラでは火が均一に入らなくて不味くなるわよ」
クロエがコンラッド婦人と共に魔女の薬剤を大釜で作成している隣で、すっかり自給自足とクロエが呼ぶ生活に慣れたルークは夕飯の下ごしらえをしていた。
「ねぇ、クロエどうしてコンラッド婦人は婦人なの?」
「えっ、そんなの考えた事がなかったからわからない。だけどコンラッド婦人はコンラッド婦人って感じじゃない?私が産まれた時にはすでにコンラッド婦人だったし」
「なるほど。でも猫だけどね」
何気なくルークが口にした言葉にクロエはギョッとした顔になり、思わず大釜をかき混ぜる木のヘラを釜の中に落としそうになった。
「ルーク、しっかりと聞こえたわよ。私は偉大なる北の魔女アリア・ノアドラ様の使い魔であって、愛玩動物の猫ではないのよ。よく覚えておきなさい。そして目上には尊敬の意を持って接すること。猫だなんてそんな事女性に言ってはいけません!」
「はい」
ルークはシュンとしてコンラッド婦人に返事を返す。クロエにもわからないが、コンラッド婦人は猫と言われる事を大変嫌うのである。
(偉大なる北の魔女の森には不思議な事が沢山あるしね)
深入りしない事もまた、生きていく上で必要なのだとクロエは少し大人ぶってそう考えた。そしてクロエは叱られるルークを見て「あんな事言っちゃうから」と他人事気味にそう思い、大釜をよいしょ、よいしょとかき混ぜる。
「クロエ!雪男の毛はもっと細かい粉末にしないとダメ。舌触りが悪くなってしまうわ。それにナメクジの粘液が足りないわね。あとスプーン三杯は入れないと」
脚立に乗って大釜の中をかき混ぜているクロエにコンラッド婦人の的確なアドバイスが飛んでくる。
「一体、それは何の薬になるんだろう」
ルークがふと疑問を口にする。
「これは魔法の増毛剤だよ。分家がやってるノアドラ商会の人気商品なの。ルークには特別にわけてあげようか?」
「各国の社交シーズンには飛ぶように売れますのよ」
「なるほど。それは世話にならずにすみたいな」
何だかんだ言って、楽しい日々を重ねる毎にクロエの日常にはルークがいる事がいつしか当たり前のようになっていったのであった。
「クロエはずっとこの森から出ないの?」
「どうだろう。コンラッド婦人は私に外の世界の事を学ばせたいと思っているみたいなんだよね。だから、もしかしたらいずれ森から出る事になるかも知れないって予感はしてる」
「そっか、ずっとはいられないのか」
クロエの小さなベッドに並んで寝る二人。
どこかがっかりしたような、しょんぼりしたような声を出すルークにクロエは慌てて声をかける。
「やだ、ルーク、勿論私はルークを置いてなんていかないよ?」
「もう行く先は決まっているの?」
「特に決まってないけど」
「じゃ、クロエがこの森を離れなきゃなならない時が来たらさ、二人でこの世界の見聞を広める為に旅をしない?最初は身近なとこになっちゃうけど。あ、勿論、もし君が良かったら、だけどさ」
遠慮がちにルークがクロエにそう提案を持ちかけた。普段のルークはあまり自分の事を話さない。だからこの時初めて、ルークが願う将来の計画を聞かされ、クロエはワクワクとした気持ちになった。
「うん、いいよ。ルークと行く。ルークとなら楽しそうだし。ねぇルークが前に話していた、屋台というお店で私はまず、沢山美味しい物を食べたいな」
「いいね。兄上が時々お忍びで城下に出掛けた時に必ず屋台で何か食べるって言ってた。何でも罪深いチーズが乗せられたポテトが美味しいらしい。女の子にはアイスクリームがおススメって言ってた。屋台の並ぶエリアは毎日がお祭りみたいに沢山の人で賑わっているらしいよ。いつか僕も君と行ってみたいな」
クロエがモゾモゾと横に体を向けると、ルークは目を細め、とても懐かしそうな優しい顔をしていた。
(もしかして、お家が恋しいのかな)
何となくそう気付いてしまうと、先程までのワクワクとした気分が急速にしぼんでいった。けれど、クロエはルークと過ごす毎日が楽しくて、わざとルークの顔に浮かぶ寂しそうにも見えなくない、そんな表情に気付かないフリをした。
(だっていつかきっとルークは自分の国に戻ってしまうんだよね)
コンラッド婦人の話ではルークはリートフェルト王国の王子だという。
もしそれが本当ならば、その国にとって大事な人間をいつまでも放置しておくはずがないのである。何らかの理由でこの森に捨て置かれたのだ。
その理由を探りにリートフェルト王国にアリアが行っている。きっとアリアがこの森に帰還したらルークとはお別れになるのだろう。クロエは何となくそう思った。
「いつかきっと、クロエ、君と屋台に」
それっきり言葉が聞こえなくなり、しばらくすると小さな寝息が聞こえてきた。
(ずっと、一緒にいられたらいいのに)
夜は楽しいけど、悲しい事も考えてしまうからダメだ。そんな風に思いながらもクロエは手を軽く横に振り、魔法のランプに灯る火を消した。
そして隣で既に寝息を立てているルークのはみ出した肩をしっかりと覆うように布団をかけてあげた。それから自分も同じ様に布団を肩までかぶり、ギュッと目を閉じる。
何かを探すように、モゾモゾと動くルークの左手がクロエの小さな手を見つけると、当たり前のようにその手を掴んだ。
毎晩二人はまるで姉と弟のように仲睦まじく同じ布団に入り、どちらかの瞼が落ちるその瞬間まで他愛もない話をしている。
いつかルークは自分の前からいなくなる。
だけど、あと少しだけこの日々が続きますようにと、ルークに握られた手の温かさを感じる度に、祈る気持ちになるクロエなのであった。




