3 私の保険
「信じないなら信じなくていい。それでも心のどこかで憶えておいて」
黙り込む私に構わず、妾妃はスカートのポケットからガラスの小瓶を取り出した。
「それより、頼まれていた物を持って来たわよ」
「ありがとう」
私は受け取ると鏡台の引き出しに入れ、代わりに宝石箱を取り出した。
「足りるか分からないけど、私が持っている中で一番価値のある宝石よ。それの代金にして」
私が持っている現金はジャックの店で働いて得た給料だけだ。それは私が人生で初めて自分で働いて得たお金なので、こんな物のために使いたくないのだ。
「いらないわ。アーサー様との結婚祝いだと思ってくれればいいのよ」
「そう?」
他の人間には小さな貸しでも恩を着せる妾妃だが、私には何も言わないのは分かっている。それでも私自身の気持ちとして、この女に借りを作りたくないので代金となる宝石を用意した。
私のその気持ちが分かっているから、妾妃は「結婚祝いだと思ってくれればいい」と言ったのだ。
普段なら反発して無理矢理宝石を握らせるが……今日は愛する男性と結婚できためでたい日だ。今日だけは妾妃の言う事を素直に聞こうという気になった。
「王太女様、それは?」
今まで黙って控えていたグレンダが興味津々な顔で訊いてきた。
「媚薬よ」
「え?」
私が答えるとグレンダは柳眉をひそめた。
「だから、媚薬。今夜、アーサーに飲ませようと思って」
「……なぜ、そんな物を?」
長い沈黙の後、グレンダは言った。
「王太女として子供を作る義務もあるけど……何より、私はアーサーの子供が欲しいの」
「……そんな物必要ないと思いますが。何もメアリー様……メアリー妃に頼んでまで用意するものですか?」
グレンダが妾妃を「メアリー様」と呼んだ事はスルーしておく。追及して彼女が妾妃に何かされるのは後味が悪い。いくら私を騙している侍女であってもだ。
「どこで売っているか分からなかったし、自分で作ろうにも媚薬の作り方を書いている本など見つけられなかったし。嫌だったけど、その手の商品を簡単に手に入れられる妾妃に頼るしかなかったわ」
妾妃、メアリー・シーモアは、その能力から国王により諜報機関であるテューダ王国情報局の長官に任じられた。彼女の耳に誰よりも早く情報が入るのはそのためだ。
諜報機関であるため長官や諜報員など一般人には、その正体を隠されている。さらには妾妃という立場とその儚げな美貌から誰も彼女がテューダ王国情報局の長官だとは思わないだろう。
私が知らないような裏の世界やそこで取引されるような商品も知っていて手に入れる事もできるので頼んだのだ。
この女に頼りたくはなかったが、他に媚薬を手に入れる方法を思いつかなかったのだから仕方ない。
男性は愛していなくても女性を抱けると聞く。特に、あのアーサーならば、王太女の夫になった義務と責任感で妻を何とも思っていなくても事に及べるだろう。
グレンダの言う通り、媚薬など本当は必要ないのだ。
それでも用意したのは……保険だ。
大抵の男性は胸が大きい女性が好きだという。
私の顔は国王や異母弟に似た絶世の美貌だが、体は華奢と言えば聞こえはいいが……要は胸が小さい(ないとは言わせない!)。耳や手の形ではなく胸の大きさだけを妾妃から受け継ぎたかった。
外見だけでなく中身も人間離れしているとはいえアーサーも人間の男性だ。いざ事に及ぼうとして私の小さな胸を見て「やはりできません」などと言われたら立ち直れない。
だから、最初にアーサーに媚薬を飲んでもらう。
媚薬に頼ってというのも虚しいが……正気のまま無表情に淡々とされるよりはマシなはずだ。
どちらしろ、私にとって最悪な初夜になるだろうが、彼の子供を得るためなら我慢する。
王太女としての責務のためだけでなく一人の女として愛する男性の子供を産みたいのだから。
そうしたら、愛する夫に愛されない苦しみも、きっと耐えられる。
グレンダはもう何も言わなかったが、心なしか私に向ける眼差しは多大に呆れているようだった。
次話はグレンダ視点になります。