マザー・コンプレックス
冬の空は高い。
夏の空は広い。
僕はそんな広い空の下愛用のマウンテンバイクを走らせていた。
左手には空に似た海を見て、右手には轟々と生える山を見て走らせていた。
僕がなぜこんなに必死にマウンテンバイクを走らせているかというと、僕が人の価値を決める大事な場面に落ち合うためであった。
現場は急カーブの斜面。
一車線の狭い道路は無理に曲がろうとすればガードレールを飛び越え海に飛び込むことをするか、山側に添えば対向車の車とお友達になれる。そんなカーブ。
一般市民は摩のカーブと呼ぶのだろうか。
そんな名前は今の僕の思考には関係ないけれど。
そして本日正午丁度、車とお友達になった被害者が生まれた。
いつも通りの急カーブ、お友達は大型輸送トラック。一方は中型バイク。
この仲良し計画の被害者は本日記念すべき10人目を迎える。
僕はこの一部始終を肩からストラップで下がっている一眼レフで収めに行こうとしていたのだ。人間が価値を見いだせる一瞬を僕は収めたい。このカメラに。
人は僕のことを死体マニアだと思うこともあるだろう。
それは違うのだ、死体マニアではない。
生きている間に自分の価値を見いだせる人間は一握りもいないだろう。
しかし、死を持って価値を見いだせる人間は多くいるだろう。
僕はそんな人々を追いかけているだけだ。
こんな自己紹介をしている間に僕は現場に到着していた。
多くの野次馬を潜り抜け現場を目にすると、そこにはもう「人間」はいなかった。
肉片だけが存在していた。
大きな農業用スコップでそれを拾い集める人間たち。
ひたすらにシャッターをきる人間。
左側のガードレールにはブリキの玩具のような中型バイク。
右側の山には横になっている大型輸送トラック。
肉片の正体は中型バイクの運転手だということだけがわかった。
肉片の処理は1時間程度で終了された。
血痕は水圧で流され、なにもなかったかのようにカーブはこれからも存在し続けるのであろう。
しかし、記念すべき10人目だ。
市道のここもなんらかの処置がされるであろう。
今回の被害者は価値を生み出した。
死をもって価値を生み出すことができたのだ。
その場面を収めることができた。なんと幸せなことであろう。
人間が価値を見いだせる瞬間とは輝かしいものだ。
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僕は満足げに坂を下る。
この坂を昇ることはできないと判断。降りてから帰路を考えよう。
海風をきることは気持ちがよい。
左手の海辺を見ると少年らしき人間がぽつんと座っている。
この暑いのに長袖長ズボン。自分のタンクトップと七分丈のズボンと比べると季節が真逆だ。
階段で海辺へ降りられる場所探し、僕は彼の写真を撮ることにしようと考えたのだ。
近くで見る少年は色白であった。
全体的に色素が薄い。太陽の光で茶色見える毛髪や、手元に青白く浮かび上がる血管。
海とは真逆の色をしている。
真逆少年か!僕は自分のネーミングセンスを疑いながら一眼レフのシャッターをきる。
煌めくフラッシュに気が付いた少年は軽く頭をさげこんにちは、と声を出した。
「いや、黄昏ているところ悪かったね。なんとも君が興味深くて。」
「黄昏るって僕のイメージでは夕方な気がするんですけど…。」
「初めまして、真逆少年君」
「こちらこそ初めまして。えーっと変態一眼レフ男さん?」
「変態は余計ではないかな。」
「上の事故の写真を撮りに来てたんでしょ?変態ですよ。」
おっと、少年にはばれていたか。
なんとも、恐ろしや真逆少年。
「で、変態さんは僕になにか用ですか?」
「せめてカメラ男さんとか、もっとマシな名前がよかったな。」
「変態カメラさん。僕になにか用ですか?」
「大事なところを除去するとは。」
「僕はこう見えて忙しいんですよ。ご用件は手短に。」
「君が海辺で黄昏…いや、座っていたのでなにをしているのか気になったもので。」
「あぁ、ここにいる理由ですか。母に会いに来たんです。」
「母親は海女さんで、以前こちらで亡くなったとか?」
「いやいや、勝手に母を殺さないで下さいよ。変態死体マニアさん。」
「うわぁ…。で母親というのは?」
「あなたは目の前にいる僕の母に気が付かないのですか?」
目の前には広大な海。
15時を過ぎたころなので若干太陽は斜めになっている。
「ああ、お母さんってこの人か。」
僕は目の前の海を指さす、彼はうなずく。
「僕の育ての母です。」
自慢げな笑顔は自信に満ちていた。
「僕の生みの母は僕に暴力をふるうことで生きていることを実感していました。僕は暴力を振るわせることで生きている価値を見出していました。しかし、今の母に会ってから変わりました。母は僕を温かく包み込み優しく囁いてくれる存在だったのです。」
「僕は人間は死ぬことで価値を見いだせると考えているのだけれど、君はどう思う?」
「人間の価値とは人それぞれだと考えます。他の人間を幸せにできる人に価値があると僕は強く思います。だからこそ生みの母の暴力を価値のあるものだと受け続けてきました。母の痛みを知ることは子供の義務であり、生まれてきた意味の存在価値の部分でもあると考えていたから。」
「でもそれは違ったのか?」
「はい。違うものでした。僕は目の前の母のために何かしてあげることで価値を見出すということに気が付いたのです。」
「もしかしてそれが今この瞬間だったり?」
「します。」
「僕は人生の運をすべて今日使い切ってしまったことになるね。価値のある人間を2回も同じ日にこのカメラに収めることができたのだから。」
「僕に価値があると思いますか?生まれてきた意味があると思いますか?」
「君は目の前の母親のために一生懸命なんだ。それは生まれてきた意味だよ。」
「でも、そのフレーズだけ聞くとなんだか…。」
「そうだね。」
相当なマザー・コンプレックスだ。
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太陽は海に沈み始めている。
残念ながら熱いものが水に浸かった時の、あのジュッっという音は彼の母親の広大な囁きによってかき消されてしまった。
ざぶざぶと母親の胎内に入っていく少年を、僕は夕日をバッグに彼の姿をカメラに収めた。
「変態さん!僕の話を聞いてくれてありがとう。僕は母と一緒になるよ!」
囁きに負けないような大きな声で彼は叫んでいた。
大きく手を振ると、逆光で表情こそわからないが彼も大きく手を振っていた。
気が付くと彼の姿はどこにもなくて、夕暮れが訪れることだけが理解できた。
それから何か月も経たないうちに。
僕は十字路に恋をする少女に出会うことになっていた。
end 20120826