未完成作品
昔から好きな本がある。魔法や空想上の生き物が存在するファンタジックで広大な世界で、絵描きである主人公の少女が見たものを描き、紡いでいく物語。作者が早世してしまったため続きが語られることは恐らく無いし、世間的にはあまり有名ではなくコアな人気があったわけでもないので古本屋等でその作品を見ることは全くと言っていいほどにない。
だから、図書館でその本を見つけたときに思わず手を伸ばしてみた、ただそれだけだったのだが――
「久しぶりね。ここがあなたの世界?」
その本には挿絵がなかった。けれど、後書きに記されていた通り、彼女が見たものや感じたこと、風景の描写や人々とのやり取りなど、彼女を表現するための緻密な描写に力が入れられていて、私自身何度も読み返していたこともあり、本の中から不意に飛び出してきたものの正体が本の主人公の少女そのものであるとひと目見て理解した。
「わ、本がたくさんある。色々読んでみたいけど、時間もないし……。そうだ。あなたのおすすめを教えてよ」
近くにあった伝奇小説のシリーズ第一巻を手に取って渡すと、彼女はパラパラとページをめくり「うん、うん!」と目を輝かせながらうなずいていた。その本は、彼女の話を執筆した同作者のものであり、こちらはすでに完結していた。
「うん、いいね。いやいや急にごめんね。どうにも暇で暇で。次はこの世界を見て回ることにするよ。ありがとう。それじゃあ、また」
そう言って彼女は出現した時と同じく、ほのかにインクの香りを漂わせて本の中へと姿を消した。
とある昼下がりの午後のことだった。それ以来、彼女の姿を見ることはない。[了]