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6.社会とセットで話す必要がある理由

単発版が長くなりすぎたので、分割改稿するものです。

内容は大筋では変わりません。


とりあえず、後半は分割しただけです。徐々に改稿します。

■社会とセットで話す必要がある理由


発達障害の場合、この”障害”と言うのは、”社会生活を円滑に送る上での障害”です。

ですから、社会から離れて生活する際に発生する障害は発達障害とは関係有りません。


つまりこういうことになります。

発達障害とは、基本的には、本人の問題ではなく社会との関係によって発生する障害なのです。

実際には親子間でも発生しますので、社会から離れて一家族で暮らしても発生します。家族も社会の一種だからです。

ただし、多くの人が絡む大きな社会が無ければ困る範囲は大幅に少なくなります。



発達障害の話をしたいのですが、一気に話しても伝わりにくいので、目に見えやすく、わかりやすい例として、目の見えない身体障害者を例に説明します。



例えば、目が見えない人が居た場合、何が障害かと言うと、目が見えないことに思えますが、見えないという体側の問題ではありません。

迷ってしまったり、物に躓いたり、本や説明書を読むことができなかったりと、普通の人には必要ない助けが必要になります。

目が見えることが前提で社会が作られているからです。


全員目が見えなければ、障害は発生しません。目が見えない人向けに社会が作られるからです。


家の中に照明も無く、夜暗くても人々は平気で行動するでしょう。

道で迷っても何の問題もありません。道で迷うのが当たり前なのであれば。



こんな話があります。盲学校出の人の結婚式か何かで、盲人もたくさん出席し、そうでない人もたくさん出席する会がありました。

途中でビデオ放映で会場が真っ暗になり、ビデオが流れていました。

そして再び照明がつき、明るくなった時には料理が無くなっていました。


健常者(普通の人)は驚きました。いつの間にか料理が無くなっているのです。


そのとき、盲人はこう言いました。「なんで食べなかったのですか?」と。


まず、そもそも、その人は見えないので会場が明るいか暗いかがわかりません。

さらに、暗いと普通の人は食事をすることができないこともわからなかったのです。

健常者(普通の人)と共に、暗い中で食事をする機会が無かったからです。


つまり、盲人が大多数で、見える人が滅多にいないとしたら見えることがさほどメリットにならないわけです。会場は真っ暗です。

目が見えると言う特技は、社会的に無視されるのです。評価されません。

世の中は、目が見えない人に合わせて作られるからです。


見えなくてもできることだけが、評価対象になります。

普通の人ができないことは試験に出ないのです。

評価対象になりません。社会生活に必要ないからです。


社会生活を円滑に送る上での障害になる場合に障害者となります。

上の例でわかりますが、障害があったのは健常者の方です。


一見、目が見えないことが障害に見えますが、そうではありません。

見えるか見えないかは、べつにどうでも良いことなのです。

社会生活を円滑に送る上での障害になってるかどうかが全てです。


----


目が見えない人の社会が存在しないのは、生き残れないからだと言うコメントが付いてめんどくさいので、もう1例追加します。


ここで説明したいのは、目に見えている障害と実際の障害は別である可能性があり、それを説明するためには社会とセットで話す必要があるというものです。

実際にそのような世界が存在するかどうかは話に関係ありません。


そこが気になって先に進めない人が居るようなので、別の例を追加します。


----


世の中にはけっこうな割合で、先天的、生まれた時から赤と緑の見分けがつきにくい特徴を持った人が存在します。

日本では男性の5%程度です。

男女共学のクラスに1人くらいという身近なところにいくらでも居るくらいの人数です。

女性の場合は0.2%で滅多にいません。劣性遺伝で染色体のXに存在しているためです。


女性はXを2つ持ちますので劣性は出にくいのですが、男性はXを1つしか持ちませんので劣性でも発現するためです。

Xですので、父親から娘には確実に遺伝しますが、ほとんどの場合、発現しません。

Xですので父親から息子へは遺伝しません。父親から息子に遺伝するのはYです。


この人たちには、赤と緑がはっきり別の色として見えている人と見え方が異なります。

絵を描く人だと、肌色だと思って緑っぽい色で塗ってしまったりします。

その人には肌色とその色は同じ色に見えているからです。


多数派が赤緑青の色を判別できるため、テレビやモニターはRGBで作られています。

印刷物はYMCです。色の3原色とか光の3原色とか言うやつです。

あれは光や色が3原色なのではなく、一般的な人の目が3原色なのです。

※黒を入れて4色、或いは別の色インクの色数増やしたりしますが、きれいに見せるためで原色が増えてるわけではありません。


多数派が赤と緑を見分けにくいタイプであったらどうでしょう?テレビやモニターの画素は青ともう1色の2種類になります。


そして、大部分の人には同じ色に見えている色が、3原色見えている人には全く違う色に見えるのです。色が目印になっている場合、普通の人には同じ色に見えているものが、ある人には様々な色に見えます。

日常生活で不便な場面が出るかもしれません。

不便するのは赤と緑が別の色に見える人の方であり、見分けがつくから能力高い!とはなりません。


多数派に合わせて社会は作られます。

赤と緑の見分けがつきにくい人が居るからテレビやモニターは2色で作りましょう!とはなりません。多数派に合わせられます。


3原色が多数派の社会で2原色の人が困ったり、或いは、2原色が多数派の社会で3原色の人が困ることはあると思いますが、社会の外で個々で暮らす場合の生存率に大差は無いでしょう。


現実社会でも、赤と緑の見分けがつきにくい人の比率はあまり変化していません。

かなり明確に遺伝するものですから、自然淘汰されるなら減っていきます。

減らないということは、生存率とあまり関係が無いのです。


優れているか劣っているかどうかではなく、世の中は常に多数派に合わせて作られると言う例として書いています。

わざわざ生存率付きで追加で書いた理由は、目が見えなければ自然淘汰されるとコメントがついて、めんどくさかったからです。

2原色より3原色の方が能力が高いからそっちに合わせてるだけだ!と言うのであれば4色覚持ってる人も居ます。でも4色覚には合わせません。普通の人には見分けがつかないのでコストかけて4原色テレビ作っても付加価値にならないからです。


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発達障害は、身体障害のように見えやすいものでは無いので、理解しにくいと思いますが、同じです。


アスペは空気が読めないとか言いますが、ほぼ全員がアスペだったら、アスペでない人の方が空気の読めない人になります。

考え方や嗜好(誤字ではなく好みのことです)が違うからです。普通が変わるからです。つまり、単なる多数決の問題なのです。

普通の人は、その当たり前のことを知りません。


頭が悪いからではありません。そんなことを考える必要が無いからです。


障害は社会生活を円滑に営むことが難しいかどうかが基準なわけですから、社会の話をセットで考えないと意味が無いと思うのです。

ところが、なぜかそこは放置して障害者にばかり着目する。それでは、根本的な問題が見えてきません。


なので、障害を考えるなら社会とセットでなければなりません。


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