5.発達障害の定義。重要なのは省略された部分です
単発版が長くなりすぎたので、分割改稿するものです。
内容は大筋では変わりません。
とりあえず、後半は分割しただけです。抒情に改稿します。
(現時点で、5~12は、単発版を若干いじっただけの内容になっています)
この話は、理由もわからず、社会生活に困ってる人、生き辛さを感じている人向けに書いています。
同じ発達障害持ちでも、障害者手帳持ってる人だと、生き方の戦法が変わりますので、あまり役に立たないかもしれません。
目に見えにくいこと、わかりにくいことが原因で発生する障害を説明するものです。
人からも自分からも見えにくい障害を抱えた人向けに書かれています。
ターゲットはそこに絞っています。
絞っているのは、とてもわかりにくいことの説明なので、余計なことを書くと説明が難しいためです。
中身は、社会はこうやってできてますから、頑張ってもそこからはみ出る人は、平均に合わせようとするのは諦めて、その社会の仕組みを理解して、その範囲内でできる最善を尽くしましょうというものです。
社会が悪いから変えろと言う趣旨のものではありません。
あと、別に問題提起してるわけでも論議したいわけでもありません。
既に何度も改善を試みて、繰り返し失敗、或いは周囲からの妨害を受けたり、日々の生活で、これって何の意味があるのだろう?と疑問を感じてるような人が読むものと言うことを前提に読んでください。
何も問題も疑問も感じて無い人が読んでも意味わからないかもしれません。
■発達障害の定義
発達障害は外見ではわからず、能力が低いとも限らない上に、そもそも名前に省略された部分があります
発達障害と言うのは、社会生活を送る上での障害が、単に能力が平均的ではないという、たったそれだけのことが理由という障害に付けられた名前です。
障害の文字に直接現れていない、当たり前すぎて省略されてしまう部分
”社会生活を円滑に送る上での”
という部分が一番重要なのですが、その一番重要なところを、普通の人(平均的な能力を持つ人)は知りません。
社会と言うのは、普通の人にとっては障害にならないとても良いものだからです。
そのとても良いものが障害であるとは考えるのは難しいわけです。
そもそも、発達が平均と違うだけで何で障害になるのか?
社会はその社会に暮らす人の能力の平均に合わせて作られており、平均に合わせるために消費されるリソースは個人の持ち出しです。
そして、生まれ持った能力によって平均に合わせるために消費されるリソース量が大きく変化しますが、ほとんどの人は平均付近の能力を持っていますので、平均に合わせるためのリソース量は多くはありません。そのためか、そこで消費されるリソースは評価されません。
つまり、平均から離れると、それだけで、評価外の無駄なリソースを消費することになります。
平均と違うと発達障害になるのですから、平均的な能力を持った人向けに作られた社会とセットで語らないと意味がありません。
その部分に着目した話が無いことに疑問を感じて書いたものです。
分母の話をしないで分子の話だけしても意味無いと思うのですが、何故かセットで語られることがあまりないことに違和感を覚えます。
そのあたりについて書いてみます。
発達障害ってどういうものか知ってますか?
今だとADHD(注意欠陥・多動性障害)が有名ですが、自閉症も発達障害の一種です。
障害と言うのは、並の努力で超えられない壁のことです。
ここで言う壁というのは、ただ1つのことを指します。
壁と言うのは”社会生活を円滑に送ることができるかどうかの壁”です。
発達障害とは、
①社会生活を送るのに障害があって、
②その原因が精神的(身体的ではないという意味)な能力が元々平均から外れているもの
のことです。
能力ってのは、記憶力が良いとか、頭の回転が速いとか、作業を正確に素早くできるとかそういうやつです。
天才とかも本人が社会生活に障害を感じていれば発達障害です。平均から外れているからです。
逆に言えば、本人、周囲の人が困っていなければ、どんな能力であろうとも、それは障害ではありません。
テスト受けて知的障害に入るような点数だったとしても、そもそも社会生活を送る上での障害になってなければ障害者ではないのです。
ポイントは平均から外れてると障害になると言うところです。
そこが一番重要です。能力の高低ではありません。
高いか低いかは関係なく、平均から外れていることが問題になるのです。
まずは、そこを中心に据えて考えてください。