4.他者から見える障害と、本人から見える障害
■単発版
<<https://ncode.syosetu.com/n4554er/>>
単発版の方が読みやすいようで人気があります。
分割版の方が深堀りしますので、話しの流れが掴みにくくなります。
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単発版が長くなりすぎたので、分割改稿するものです。
とりあえず、後半は分割しただけです。徐々に改稿します。
(現時点で、5~12が、単発版を若干いじっただけの内容になっています)
今回は、他者から見える障害と、本人から見える障害の話です。
例えを交えてADHDの仕組みを説明します。
まず、一言でADHDと言っても、実際にはかなりいろんな種類の人が混ざっています。
分類自体が大雑把なもので、社会生活を送る上での障害があって、原因が先天性の能力の凸凹にあって、症状として注意欠陥や多動があれば該当してしまいます。
細かく言うと違うかもしれませんが、私はそのように認識しています。
元の定義がどうかは別として、検査、診断方法から見ると、そういう人が該当する、ということになると思います。
症状も、その症状が出る直接の原因に関しても、人それぞれで違いがあると思います。
そういう意味で、今回の話は、私に見えているものがこうですという話であってADHDのうちの一部しか説明できていないかもしれません。
少なくとも、全体をカバーできてはいないでしょう。
でも、考え方のヒントにはなると思います。
あまり自分には当てはまらないと感じる人は、その部分に関しては”ADHD判定出てる人の中にも、そういう人もいるのだな”くらいに読んでもらえればと思います。
説明したいのは、ADHDにはいろんな種類の人がごちゃ混ぜになっているけれど、注意欠陥や多動は、外から見える特徴でしかなく、本人にとってはそれ自体が障害ではないことも多いと言うところです。
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私は発達障害本で、当事者以外の書いたものには違和感を感じることが多いです。
外から見える表面的なことが書かれてるだけで、根本に触れられていないように感じるのです。
表面的なこととは? 根本とは何か?
とても説明が難しいので、わかりやすく、誰もが経験することのできる例で多動の説明をします。
多動自体はADHD特有のものではありません。普通の人でも多動になることがあります。
多動になる理由は、いろいろありますが、ここではトイレを例にします。
トイレ行くの我慢します。そうすると、体を揺すったり、人の話を聞かなくなったり、よそ見しまくったりします。
この現象は多動ですよね!
普通の人にも多動がありますね。
では、その人の多動を止めてください。
我慢しろ、動くな、おまえは落ち着きがない!と言って多動は止まるでしょうか?
一時的には止まるかもしれませんが、また動きますね。
その状態の人に、延々と多動自体を止める方法を諭しても意味無いですよね。
もうわかりますね! そうです。
ADHDの多動も、多動自体を止める方法を考えても効果無いのではないか?ってことを言ってるわけです。
多動が一次ではなく、別の理由があって二次的に出てる現象が多動ではないでしょうか?
だとしたら、多動が出る理由の方を改善しないと意味無いですよね?
トイレなら、トイレ行けば済む話ですが、ADHDの人の多くにも同様に、別に理由があって注意欠陥やら多動が出ている可能性があります。
まず、考えてみてください。
以前から書いている通り、能力の凸凹が大きい人がADHDに該当します。
IQテストで凸凹大きかったです!と言ったとき、なんでそれが多動と関係あるのでしょうか?ということです。
何故でしょうか?
能力の凸凹と多動には直接的な因果関係はあまりないと思います。
でも、多動になります。
不思議ですね。何故でしょう?
その理由が分かると、凄く納得できたり、悲しくなったりするかもしれません。
でも、それでも、可能であれば、多動が出る原因の方の対策をした方が良い場合も多いでしょう。
理由が分かれば対策できるかもしれませんから。一時的に悲しくなるかもしれませんが、一歩前進です。
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トイレの場合は、早くトイレに行け!という指令が体から発せられて、それに対抗している姿が多動に見えます。
トイレ我慢してる場合は、他者にも理解しやすいです。何故かというと、同じ経験をしやすいからです。
でも、一部の人しか経験できないことが理由だったらどうでしょう?
何か他に理由があって多動なのですが、周りの人にはその理由は見当たりません。
なので、周りから見ると、理由が無いのに多動な人です。
そして、はじめは、理由も無いのに多動なので、こいつはまじめにやる気あるのか!と思うかもしれません。
そして、理解が進むと、多動という障害を持ってるのだと理解するようになるかもしれません。
そして、多動を克服するための手助けをしてくれるかもしれません。
とても良い人です。ありがたいですね。
でも、それは表面的なことに反応しているだけで、根本的な解決とは無関係な部分です。
トイレ我慢して、多動になってる人に延々と多動自体を止める方法を提案してもあんまり意味無いですよね。
外から見て一見多動が問題に見えていても、多動が出る理由は別にあったりします。
そっちを放置して、多動を抑える方法をやっても、あんまり効果無かったりします。
トイレ我慢してるなら、解決法はトイレ行くことですよね?
ただ、トイレと違ってわかりにくい。多くの人は体験できませんし、本人ですら気付いていない可能性があります。
なので、一見本人の希望も、”注意欠陥や多動を治したい”に見えていても、本当の希望は別だったりします。
本当は、”注意欠陥や多動が出る原因を治したい”ではないかと思います。
私の場合はこんな感じです。
”なるべく苦痛を感じないように、そして、自立して生きていきたい”
私の場合は能力の凹凸が激しすぎるので、普通を求められて困ることが多いのです。
なので、普通を求めるな!と言う方向に不満が出ます。
なのに、当事者以外の書いた本だと、注意欠陥や多動をなんとかする方法やら、社会に入る方法ばかり書いてあります。
場当たり的なものに偏っています。
当事者が書いたものだと、当事者以外が書いたもののように違和感は感じませんが、だいたい症状がかなり重い人の書いたものが多いので、手帳前提、或いは、周りに障害を理解してもらった上での生活となることが多いように思います。
もちろん、その情報は重要なものですが、手帳持てない人にとっては、手帳前提の生き方はできません。
手帳持ちとして障害者枠で生きるのと、手帳無しで普通枠で生きるのでは、戦法がガラッと変わってしまうのです。
手帳も視野に入れてという場合は非常に役に立ちます。手帳無しで行こうと思ってる人から見ると、手帳持つとこんな感じか……というのがわかるので貴重ではありますが、戦法の上では、あまり参考にならないのです。
そして、手帳持てない人向けのものは、あまり見当たりません。あっても軽いあるある話系が多いように感じています。まあ、これは主観ですが。
人数的に、手帳を持てる人より、持てない人の方が圧倒的に多いのです。
そして、困り度合いも結構深刻な人がいます。
発達障害に詳しい人、身近に感じている人なら知ってると思いますが、当事者やその家族、関係者はこう言います。
”一番悲惨なのは手帳持てない人”
それが常識です。そういう常識が知識として広まってるのではなく、実感する機会がとても多いのです。
私も実際そうだと思います。
職場に普通枠で入って、障害があるから配慮しろ!と言うのは、難しいです。
そもそも手帳無しで、本人が言ってるだけとかだと、本当に配慮する必要あるのか?となって終わってしまうことが多いのではないかと思います。
企業も、手帳無しの障害者雇うくらいなら、手帳持ちを雇った方がお得です。
ノルマがあるからです。手帳持ちを雇えば、障害者雇用にカウントされます。
手帳無しの障害者雇うメリットは、あまりありません。
でも、手帳は望む人すべてに簡単に出て、保護受けたりできません。
私自身、数字的には他のADHDの方と比べてもかなりエリートに入るくらいのレベルだと思いますが、手帳はとても手に入りそうにありません。
今普通に働けているからです。そういう人は手帳持てません。
私が生きていたくないと思うほど困っていたのは子供の頃です。
子供には選択肢がありません。だから困っていました。大人は楽です。
子供のときのように選択肢無しで雁字搦めにされなくて済むからです。
今は幸い少々不都合はあっても生きているのが嫌なほど困っていませんが、一度何かの拍子に今の仕事を失ってしまったりすると、相当困ることになるかもしれません。
仮に無職になり路頭に迷ったところで、手帳は簡単には貰えません。
今までADHDが有っても働けていたので、単にADHDですと言うだけでは、急に働けなくなる理由にならないのです。
もっと数字で出にくい人なら尚更です。
子供の頃から持ってる人以外の場合、ADHD単独で手帳が持てる人は多くないのではないかと思います。
二次障害持って、もうどうしようもないという段階になってやっと持てるくらいではないでしょうか。
人数的には、障害者枠が使える人より、障害者枠が使えないグレーゾーン領域の人の方が遥かに多いのですが、そういう人向けの話があまり無いように感じます。
どうせ手帳で保護されない人にとっては、何の種類の障害かとか、名前が何だとかはどうでも良いのです。
無駄な苦痛を感じずに生きたいのです。
■本当に困っていることは何でしょう?
この話を読んでると、ADHDの人にありがちな、注意欠陥だったり多動であったりして困る話しがほとんど出てこないことに気付くと思います。
何に困っていて、どんな工夫をしてるかとかぜんぜん書かれていません。
書かれているのは、発達障害は、先天的に社会に合っていないという話ばかりです。
何故でしょう?
私自身が、うっかりしなかったり、多動がなかったりするわけではありません。
うっかりしたり、多動だったりするのは結果的に出ている症状であり、根本の方を何とかしたほうが良いと思っているからです。
これを読んでる方の中にも、注意欠陥や多動はあるけれど、それ自体が一番の困りごとでは無いと言う人も多いのではないかと思います。
実は、困っているのは別のこと。そういう方も多いのではないでしょうか。
私の場合は、手順書通りに実行とかが厳しいです。
凄まじい勢いでやる気が萎えます。
興味を持てないことが悩みです。
実際のところ、うっかりや多動そのものが最大の悩みとなってる人は、そんなに多くなかったりするのではないかと思ってます。
社会とそれなりに折り合いをつけることに成功した人の場合、残る問題は注意欠陥や多動になるかもしれません。
でも、そもそも注意欠陥や多動が出ている理由は何でしょうか?
一見、一番困ってることが注意欠陥や多動に見えていても、別の困りごとのせいで、その結果でている症状が注意欠陥や多動だったりしないでしょうか?
私の場合は、うっかりしたり多動だったりするのには理由があって、理由の方を直さないと意味がないと思っているので、うっかりや多動に対する直接的な対策にもあまり興味がありません。
薬で改善するなら薬を使えば良い。そう思っています。
血圧と一緒です。塩が悪役にされますが、実は塩はあんまり関係ありません。
減塩して血圧下がる人も少し存在しますが、血圧下がるのは一時的なもので、減塩続けると上がっていきます。
塩の獲りすぎが原因ではありません。体質です。
薬で下げることができますので、血圧下げたいなら薬もらった方が楽です。
そもそも塩分で血圧上がる人は実は少数派なのです。
もちろん普通の人も少しは上がりますが、それは正常です。水飲んだって血圧変わりますし、変動するのは当然なので、問題になるほど大きく上がるかどうかです。そういう人は多くありません。
その少数の塩分で血圧圧上がるように見える人も、ほとんどの人は減塩を続けると血圧は上がってきます。
減塩始める前のレベルまで戻ったり、むしろ上がったりします。
減塩続けて戻るなら、塩はあまり関係ないですよね。
でも何故かはじめから塩が悪と決まっています。
そして、多くの人は塩分で血圧はたいして上がりません。
塩分は多くても病気や寿命へのリスクはそれほど上がりませんが、足りないと急激に上がります。
多くてもリスクが上がりにくいのは、塩はとても排出されやすいからです。
そして、塩の致死量は30~300gです。普通毒物はmg単位です。
1000mgが1gですからmg単位というのは少量です。
一口で摂取可能です。
が、塩の致死量はグラム単位で、味も強烈ですから、それだけの量を摂取するのには苦労します。
300gとか、どう頑張っても口にできないような量です。
そして、塩の場合は、量だけで言ったら、致死量に達してるような人でもけっこう健康です。
致死量に幅があるのは、量ではない部分の影響が大きいからです。
生理食塩水と言うのがあります。
点滴に使うアレです。あれは、水分補給、血液の量的不足の補給が目的です。
ナトリウムの補充ではありません。
血液の浸透圧に合わせた浸透圧を持つ液体です。体にとってはこれが±0の液体です。
体から水分が失われて発生する症状を脱水症状と呼びますが、ここで言う水と呼ばれている液体は、0.9%の食塩水に相当する浸透圧を持った液体で、塩水に近いものです。
0.9%の食塩水と言うのは、1リットルの水に9gの塩です。
これより薄いと、体内の塩分濃度は減り、濃いと増えます。水を飲めば薄くなり、塩を摂れば濃くなります。
実際は呼吸で失われる水分は塩分を残しますので、その分の水は多めに必要になりますが、大した量ではありません。
濃さが問題なので、水分をほとんど含まない固形の塩をザラザラっと飲むと30gでも死んじゃうかもしれません。
30gの塩を0.9%に薄めるには3L以上の真水が必要ですが、体は0.9%の塩水しか持っていません。
なので、塩に水分を取られてしまいます。
血液が濃くなると、それを薄めるために細胞から水が取られます。細胞が脱水されます。
30gの塩を飲んだら、追加で真水を3L飲まないといけません。
料理の下拵えで、余計な水分と臭みを取るために、よく塩ふりますね。
アレになっちゃいます。生きてる人間の内臓に塩ふっちゃだめです。
水分と臭みが取れて、死んじゃいます。
適度な濃度で飲めば300gくらいまで死なないのかもしれませんが、適度な濃度で300g摂取は無理です。
適度でなくても量的に無理です。
そして、水の致死量は6Lです。水多く飲むと死んじゃいます。塩分濃度0.9%を保てなくなります。
今度は細胞に水が入りふやけてしまいます。
水は一度に6Lで死んじゃいますが、一度でなくとも、減塩しつつ水飲んでとやっていると、塩不足になります。
そして、健康や美容のために走って汗を流す。そしてさらに水を飲む。
どんどん塩不足が進行します。
たぶん、原因不明のまま、塩不足の症状で苦しんでる被害者は恐ろしい人数存在していると思います。
精神病発症者の3~4%が水中毒(塩不足)だそうです。塩不足になると精神もやられます。
水を大量に飲むと水中毒で死にます。水中毒は塩不足と一緒です。
塩分を単独で気にする測定方法はおかしいと思いませんか?
水との比率で見ないと意味ないです。
体から出ていく水分のうち、純粋に蒸発する分以外は全て塩を含んでいます。
体内における水分とは塩水です。完全な塩水ではありませんが、0.9%の塩水に近いものです。
汗もそれに近い液体です。
汗のうち、すぐに蒸発してしまう分に関しては塩分を残すので、汗の塩分濃度は少し低めになってますが、汗をかいても塩分は失われます。
なので、塩分だけ測定して、同じ塩分とっていても、飲む水分量が2倍の人は塩分不足に陥りやすくなります。
尿にもかなりの量の塩分が含まれます。塩と水を分離するのは難しいのです。
入院患者は尿から塩分摂取量が測れます。つまり、すぐ排出されるのです。
排出されないなら測れませんからね。
どうでしょう。
塩の量だけ測っても意味無いですよね? そう思いませんか?
減塩続けても血圧上がるなら、塩があるから血圧が上がってるわけではありません。
その人の体が何らかの理由で血圧を上げたがっているのです。体質です。
塩があれば塩で上げますが、塩が足りなければ他のもので上げに行きます。
塩は必要なものです。
減塩で健康面でプラスになる人より、マイナスになってる人の方が多いのではないかと思います。
塩の量だけ測って塩分で血圧がとか言って意味ありますかね?
少なくとも水とセットで考えないと意味無いですよね。
しばらくしたら、塩の量だけ測って、1日何グラム以内とか万人に一律適用するような減塩は意味ないという常識に変わると思います。
実際意味無いですからね!
昔の人は変なこと信じてたんだねって言われるようになるでしょう。
何の話をしてるのかって、ADHDの話ですね!
塩と水はバランスが取れてないといけません。
そして、塩分取り過ぎを気にしてる人は、塩の致死量より、水の致死量に近いところに居ませんか?
同様に、ADHDでも見えやすいものに騙されて、セットで見ないと気付かないものを忘れてしまってはいないでしょうか?
何故能力の凸凹と多動が関係あるのか?
直接の関係は無いのではないでしょうか?
なので、多動だけ見ても意味が無い。
多動が出ている理由は社会です。
社会生活を送る上での障害を持つ人が障害者ですからね!
多動が塩なら、社会が水です。セットで見ないと意味無いです。
社会で多動が出るのは、社会を避けたいと心が学習してしまっているからです。
トイレ我慢して多動になるのと一緒です。トイレの場合は、体がトイレに行けと言ってるわけです。
トイレは体の要求です。心とは違うと言うのであれば、心の例を挙げます。
やりたくも無い発表会とかやらされたら、凄く嫌で緊張して、注意欠陥が出たり多動が出たりします。
挙動不審になったりしますよね。普通の人でも、心が原因で注意欠陥やら多動が出るのです。
ADHDの人の場合、これが日常で出ます。
危険だから避難せよという警告を受けて多動やら注意欠陥やらが出ています。
何で危険なんだ?と思うと思います。
普通のことをやろうとすると、だいたい酷い目に遭うことが経験的にわかっているからです。
生まれた時からずっとそれをやられてますから、骨の髄まで染みついてます。
危険なものからの避難警報みたいなものが頭の中で発令されてるのです。
なんで普通のことができないんだ!とか言われてると精神壊れたり、死んだりしてしまいますから、避難警報出まくるのは正常な反応です。
たぶん、これがADHDの多動の正体ではないかと思います。
(元から純粋に多動を持ってる人は別ですが)
注意欠陥の方は、頭が寝てるからです。
暴力受けまくってる子供とか、死んだ目して、ボケーっとしてますよね。
多分あれと同じ状態です。心が半分死んでるのです。
生まれてからずっとパワハラ受けまくっていますから、そんな対象から心を閉ざそうとします。
寝ている頭を起こすためにでている多動もあります。
学習結果とか訳の分からん言い訳して、それは逃げだと言われそうですが、立ち向かった結果が学習されてこうなってます。
だいたい人が簡単に思いつく程度のことは悩んでる本人は当然既にやっています。
その結果が今の状態です。
やらなきゃできるようにならないとか言われそうですが、やった結果が今なのですね。
やると悪化します。
でも、やらないとできるようにならないよ、とか、そんなことを延々いろんな人から繰り返し言われます。
その人には体験できないのだから、理解できなくても仕方がないのです。
なので、自衛が重要になります。できれば良き理解者や、共感できる仲間も欲しいところです。
でもまずは自衛です。
自衛するには、仕組みを知らないと効率的に動けません。
なので、仕組みを説明するために、この話を書いています。
自衛する方法を考えるためにです。
いろんなタイプの人がADHDという、ひとまとめに分類されています。
当然、人それぞれに効果的な対策も変わってくるでしょう。
なので、対策は個別に考える必要があります。
人に助けを求めることも必要ですが、自衛を中心に考えてください。
私の障害なんて軽い方かもしれません。
それでも、小学生の頃は生きていたいと思いませんでした。
小学生が、そんなこと感じて生きなきゃならないのは、悲しいことだと思っています。
私はできれば苦しむ人を減らしたいとは思っては居るのです。
それでも、具体策を直接挙げることはできません。
自分の特性を考えて、対策は自分で立てなければなりません。
同じ環境に居ても、物事のとらえかたを変えると、別の結果が見えてきます。
この話が、何らかの参考になれば幸いです。