1.発達障害が障害になる理由は”社会は平均の人専用だから”です。それだけです。
■単発版
<<https://ncode.syosetu.com/n4554er/>>
単発版の方が読みやすいようで人気があります。
まずは単発版を読むことをおすすめします。
分割版の方が深堀しますので、話しの流れが掴みにくくなります。
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単発版が長くなりすぎたので、分割改稿するものです。
内容は大筋では変わりません。
とりあえず、後半は分割しただけです。徐々に改稿します。
(現時点で、5~12が、単発版を若干いじっただけの内容になっています)
本作は【発達障害】のお話です。
特に”手帳は持っていないけれど、実際生活に困っている方”を主なターゲットとして書いています。
また、発達障害の中でも主にADHDを対象にしています。
私がADHDしか持っていないため、当事者として書けるのはADHDだけであるためです。
”主にADHD”としていて自閉症を完全に除外していない理由は、
結局のところ発達障害の発生理由は、『一般的な人と異なるので、一般的な人が作る社会と相性が悪いだけで、社会との相性問題以外の部分では特に障害は発生しない』というADHDとの共通部分があり、また、ADHDと自閉の併発も多いので、わざわざ完全除外する意味も無いだろうと思うためであり、自閉症観点では書いていませんが、当て嵌まる部分があれば、生かしていただければと思っています。
なお、身近なところで自閉持ちも見ていますので、一般的な人と比べれば詳しいとは思います(実在する人の例を良く見てはいるけど、本人視点ではない)。
自閉症を持っている本人が世の中をどのように感じているのかという自閉症持ち本人の視点では書けません。
ADHDより自閉症の方が、平穏な社会生活を送る上で、かなり高い壁があるように感じます。
そういう意味でも、自閉症持ちの人よりは軽い世界を書いていると思います。
本作は、手帳を持っていない方向けに書いていますが、
手帳が取れるのであれば、手帳を取って障害者枠で生きていくという方法もあります。
発達障害(知的障害でも同様ですが)の場合、手帳を持てない軽度の人の方が、手帳を持てる重度の人より生活難易度が下がったりすることがあります。
↓興味のある方は、こちらを読むと参考になると思います。
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ちはや れいめい様
闘病12年目。障害者枠で働くようになりました。
<<https://ncode.syosetu.com/n1689ew/>>
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■発達障害は、目に見えにくく、他者からも自分からも見えにくい障害です
発達障害というのは、目に見えず、他者からも自分からも見えにくい障害です。
生まれ持った能力が平均から離れていることによって生じる障害のことです。
”その人が障害者だ”という視点で見ると、凄くわかりにくいのですが、逆に考えるととても簡単です。
社会は平均的な人専用にできています。
なので、能力が平均から外れる人は、障害者になりやすくなります。
ただそれだけです。
とっても簡単ですね!
発達障害と聞くと、『発達に何か障害が発生したんだな』と思う人が多いと思いますが、そうではなく、先天的に持っている能力が社会に合わなかったというものです。
そう書くと、その人の社会性自体が低いと思われそうですが、そうでもありません。
能力が平均から外れていることが原因で障害を持つと、発達障害になります。
逆に言えば、特性の近い人を集めた社会があれば、そこには適合できる可能性も高いということになります。本当に社会性が無いなら、特性の近い人を集めた社会でも社会性を発揮することは無いでしょう。
能力が低いことが問題ではありません。能力が高くてもダメです。
単なる多数決に過ぎないからです。
少数側にしわ寄せがくるという現象です。
”アスペは空気が読めない”とか言いますが、じゃあ逆はどうなのかと言うと、普通の人はアスペの空気を読めません。
空気を読めないのはアスペの方ではありませんね。
正しくは”お互いに空気が読めない”です。
アスペは空気が読めないように思うかもしれませんが、どうも、当事者の話を見ていると、アスペ同士は空気が読めているように見えるのです。アスペルガー症候群の方同氏は親友になれる。
むしろ、同じ悩みを共有できるので高確率で親友になれるように見えます。
↓
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奥村隆氏の経験談
現代ビジネス ライフ/スポーツ ライフ 奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第15回】
同じ障害を抱えた、ものすごい変わり者の親友たち
<<https://gendai.media/articles/-/34767>>
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双方が同じように読めないのですから、どちらが悪いと言うことも無いはずです。
ところが、実社会では、少数派の方が、一方的に空気が読めないと言われます。
とっても理不尽です。
単なる多数決なので、多数派が入れ替わると逆になります。
世の中の多数派がアスペだったら、アスペでない人の方が空気の読めない人になります。
考え方や嗜好(誤字ではなく好みのことです)が違うからです。普通が変わるからです。
つまり、空気を読むと言う能力が高いわけでは無く、単なる多数決の問題なのです。
なので、能力の高低でも、優劣の問題でもありません。
発達障害というのは、その人の発達に障害があるというものではありません。
さらには、能力が高くてもなりますし、単独で生きる上では問題無い場合が多いので、その人を調べても何が悪いのかわからないという、とっても、わかりにくい障害です。
発達やら能力という言葉が出てきますが、この話では、対象は基本的には身体的なものではなく、主に頭脳の能力です。
(主にと書いているのは、頭脳の能力を測るには、必ず聴力や視力、発声や筆記のための手の能力がかかわってしまうためです)
社会生活を円滑に送るのが困難な人が障害者です。
心や体に障害があるわけではありません。
いろいろな原因で障害は発生しますが、(身体的ではない)能力の平均との乖離が大きいと発達障害という障害になります。単なる分類です。数字が低いと知的障害という分類になります。
さらには、数字が高かったとしても障害になります。
発達障害の場合、単独の人としての能力的には特別大きな問題は無いのに、社会生活を送る上では、非常に大きな問題、障害となることがあります。
なぜでしょう?
上で書いた通りです。
理由は簡単です。社会は普通の人用に作られているからです。
だから、普通から外れると障害になりやすいのです。
ただそれだけです。
とても簡単ですね!
普通というのは平均と同じ意味で使っています。
今この世界で発達障害の誰かが平均となるような世界があったとすれば、その世界では、今普通の人が発達障害になります。
普通が入れ替わったからです。少ない方が発達障害です。能力の高低は関係ありません。
多数派と能力が離れていると、発達障害になります。
頭の善し悪しではなく、社会はその社会を構成する人たちにとって標準的な人に合わせて作られているので、そこから外れると障害になりやすくなります。
そのあたりの仕組みを説明していきます。
■社会を構成する人の平均から外れると発達障害になりやすい
平均との乖離で障害になるのですから、平均とセットで話をしないと意味がありません。
ところが、セットで語られることがあまりありません。
障害になっているのは社会の方なので、障害者側だけを見ても、あまり意味が無いのです。
単独の能力が高くても発生しますので、社会とその人の能力の相性の問題です。
生まれ持った能力は、基本的には変えられません。
なので、改善する方法は、社会との関わり方になります。
社会とのかかわり方次第で、多少なりとも改善できるのですが、どういうわけか、普通の人は、その関わり方に口出ししてきて、その人をより障害が強く発生する方向へと追いやるように動いてくれます。
親切でやってくれるのですが、本人はとっても困ってます。
社会は発達障害持ちにとっては、とってもブラックです。
いつもパワハラ受けまくり、うまく躱さないと、自分が壊れてしまいます。
その仕組みについて説明するお話です。
中身は、社会はこうやってできてますから、頑張ってもそこからはみ出る人は、平均に合わせようとするのは諦めて、その社会の仕組みを理解して、その範囲内でできる最善を尽くしましょうというものです。
後ろ向きに見えますが、実は前向きな話だと思って書いています。
同様の戦法で、それなりにうまく社会生活できてる人も多いからです。
あくまでも、そういった少数派に向けたお話ですので、世の中の大部分の人には当てはまりません。
ターゲット外の人が読んでも、意味が分からないようなので、まずはターゲットの説明をしています。
生まれつきの能力が、普通から外れている人が対象です。
生まれつきの能力に差があっても努力で何とかなると考えている方は対象外です。
配られたカードに不満があっても、持っているカードで勝負するしかない。
普通にやっても勝てないから、勝てる方法を探している人向けのお話です。
手持ちのカードを無視して、誰もが努力すれば報われると考えられるのは、それなり普通のカードを持ってる人の考えです。
発達障害持ちは、何も考えずに普通に推奨されることをやっても報われる可能性は高くないのです。
なので、一般的に言われる努力をしていれば報われると思っている人は、発達障害持ちではないと思います。
■一般的な努力を測るスケール(定規)は発達障害持ちには当てはまらない
実は、本人がどれだけ努力しているかを正しく評価することは極めて困難です。
発達障害なんて言葉があるくらいに困難です。
たぶん、障害を持たない人には想像することすら難しいくらい困難なことだと思います。
(なので、障害になる)
努力の量に対する結果の向上幅自体、標準的な人が、標準的な人が努力すれば得られる向上幅で見積もられているので、実際の本人の努力量とは桁も合わないくらい頓珍漢なものになることが多いです。
無茶苦茶努力した結果の評価が『努力が足りない』で、何もしていないのに得られる評価が『よく頑張りました』だったりと、本人の努力量と評価される努力の基準に相関関係が無いことも多いです。
(個人的には完全に負の相関です。努力で、努力したという評価を得ようと思うことは無謀なので、努力が必要な方面は無視して、結果を出せる方面に一極集中した方が良い結果が得られる)
結局のところ、
発達障害が障害になる理由は”社会は平均の人専用にできてるから”
でしかないのです。
とはいえ、その社会から手帳無しに離脱するのは難しい。