6
サニーニたちが隠し部屋を見つけるには、短くはない時間が必要だった。どれほど痛めつけてもクロードは口を割ろうとはせず、結局右手の指がすべてなくなってもとじた貝のように黙り込む彼に音をあげたのはサニーニが先だった。
クロードの右手をぞんざいに止血させた後、サニーニは文官に主の寝室をくまなく捜索させた。隠し部屋は貴族の屋敷には多くの確立で存在し、そのほとんどが巧妙に隠してある。隠蔽に隠蔽を重ねたグラウカ邸の隠し部屋は、専門の熟練の技術を持つ文官ですら場所を探し当てるのにエレナリアが窓辺のソファーで転寝してしまいそうになる程度の時間を必要とした。
「おそらくこの壁の向こうにあると存じます」
「入り方は?」
「…………まことに申し訳ございませんが、もう少々お時間を頂く必要があるかと」
「まだ待てというのか? もういい、屋敷がどうなろうと構わん。壊せ」
サニーニの言葉に、クロードは外聞もなく暴れ、自身の中にあるわずかな魔力を解き放つ。しかし彼の中にくすぶっていた熱とは違い、サニーニを狙ったか弱い炎はいとも簡単に彼の隣の護衛――カイルにかき消されてしまい、クロードは押しつぶされるように兵に取り押さえられる。
「無礼な!」
「今ここで殺してやる!」
「よい、所詮魔石を使わぬ魔術など手品のようなものだ」
いきり立つ兵を抑えたサニーニは、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「しかし何だ、余程ここには大事なものがあるようだ。生かしておいた方が面白いものが見れそうだぞ」
「……っ」
「やれ」
サニーニの命で、剣に風の刃を乗せた兵たちが一斉に壁を切りつける。しかし、その刃は木製の壁の先の何かに弾かれた。文官の指示で木片を取り除いた彼らの前に、ほのかに若葉色に輝く石造りの壁が姿を現す。
「魔石か。風属性だな」
「下級ですがこの量となりますと、水では難しいでしょう」
「ならば炎か。一部でよい、穴をあけろ」
「しかし、兵は最下級の赤炎魔石しか持ち合わせがございません」
エケベリア王国は火属性の魔石が希少である。生活や戦争に欠かせない火属性の魔石はほとんどが他国からの輸入に依存している状況だ。
逆に多く産出される水属性魔石があるが、残念ながら回復や浄化の力を象徴する水属性は最上級の氷水魔石ほどの質でなければ攻撃への転用は難しい。しかしながら最上級の魔石はどの国も資源が少なく、エケベリア王国とていたずらに使用するほどのゆとりもなかった。氷水魔石では、殺せる数よりも癒せる数の方が圧倒的に多いのだ。
しかし、サニーニは国庫にかかる負担とクロードの歪む表情を両天秤にかけ、ためらいなく後者を選択する。
「私が許可する、やれ。足りなければ散開している兵の魔石も集めろ」
サニーニの命令に、クロードの腕に再び力がこもる。しかし、馬車にひかれたカエルのように押さえつけられたクロードは、歯を食いしばって最後の砦が崩されていくのを見ていることしかできない。
「……やめろっ!」
考えるより先に、自分の口から怨嗟の声が漏れていることにクロードは気づかなかった。体を抑える兵たちに殴られようと、彼の声は止まらない。しかし壁が崩れサニーニたちが隠し部屋に足を踏み入れる頃には、その声は懇請に変わっていた。
「これは……」
「キセロ?」
彼らが土足で足を踏み入れた部屋には、クロードの最も大切なものが眠っていた。
雪のように白い肌に、波打つ黒髪は豊かで照明の光を受け輝いている。まるで天使のような寝顔の少女は、隠し部屋の中央に置かれた簡素なベッドの上で瞳を閉じていた。
「キセロ、キセログラフィカですわ。クロードの妹の。ですが彼女はどう見ても……」
キセログラフィカはクロードの2つ年下の妹だった。エレナリアの記憶が正しければ当に成人を迎えているはずの彼女は、どう見てもエレナリアよりずっと幼く見える。戸惑いから幽鬼のようなおぼつかぬ足取りで部屋の中央へと駆け寄ったエレナリアは、照明に照らされたキセログラフィカの指先がほのかに煌めいたのを見た。
「まさか!」
そしてキセログラフィカの眠るベッドを中心にして、砕かれた魔石で魔方陣が描かれているのに気付く。その魔方陣を崩さぬようにして歩みを進めると、キセログラフィカにかけられている布をはぎ取る。
「あ、あぁ……なんてこと……っ!」
その声は絶望にも、歓喜にも聞こえた。
クロードは嫌な予感に支配される。彼女を、エレナリアを止めなくては。その義務感に突き動かされ、向けられた抜身の刀も、目の前の現実に呆けて僅かに緩んでいた手も振り払いエレナリアの元へと駆ける。
しかしクロードの死力叶わず、エレナリアが歪な笑みで彼の方を振り返り、ぽつりと呪文を口にした。
「灯りよ」
火属性の単純な魔法だ。小さな熱源をともわぬ灯りを生み出し、周囲を明るく照らす。しかしエレナリアの足下に散らばるのは、赤炎魔石に青炎魔石だ。目を焼くような光が彼らの視界を白く塗りつぶし、開けられた穴から屋敷の外まで光が漏れる。
持続時間ではなく光量へと魔力をそそいでいたのか、数拍数える間に光は消えてしまった。エレナリアの足下に転がる魔石たちは力を使い果たしたのか、灰色にそまり端から崩れてしまっている。
「キセログラフィカ!」
クロードは、歓喜の表情で今にも踊りだしそうなエレナリアも、彼女の手を引きクロードからかばおうとするサニーニも、光に目を焼かれて治癒されているカイルも、全てを無視して妹の元へと駆け寄った。
そして既に赤黒く輝く石に変わってしまっている彼女の腕へと両手を重ねる。
「キセロ、キセロ……っ! 頼む、やめてくれ。目を開けろ、キセログラフィカ……」
クロードの記憶では、腹まで浸食していなかった赤黒い石――紅炎魔石が胸にまで達していた。そして彼の目の前でも、まるで砂が岩になる様を早回しするように徐々に侵食部分が増えている。
「結晶化か」
サニーニが興味深そうにつぶやいた。
――結晶化。キセログラフィカを蝕む忌まわしき病の名だ。
エケベリア王国内どころか、世界中でも極めて珍しい病で、ある日突然末端から体が魔石になる。どんな薬も、氷水魔石を用いても治療法はなく、発症すれば死が待っている。周りはただ、家族や友人がクズ石になるのを見守るしかできない――と思われていた。
「確かに、結晶化への発症属性と同属性の魔術ならば抑制できると聞いたことがある。とはいっても、莫大な金がかかり焼け石に水にしかならぬ行為だが」
「そんなことより!」
興奮から髪を振り乱したエレナリアがサニーニへと縋りついた。
「紅炎魔石、紅炎魔石です! これだけの紅炎魔石、わたくしたちが一生遊んで暮らしても使いつくせないほどの価値がありますのよ?」
エレナリアの狂気じみた高笑いがけたたましく反響する部屋の中で、クロードは陸に打ち上げられた魚のように苦しみに喘ぎながらキセログラフィカの名を呼んでいた。周囲の音など、何も耳に入らない。成す術もなく、妹の体を紅炎魔石が侵食していくのを見ていることしかできない。
魔術で進行を遅らせていた反動か、キセログラフィカの結晶化の速度は速く瞬く間に彼女のぷっくりとした薄紅色の唇も、小さな鼻も、白い額も、そして艶やかな黒髪も赤黒い無機物へと変えてしまう。ついにはクロードが掴んでいた最後の髪の一房さえも、彼の左手の中で歪な紅炎魔石へと変えてしまった。
「…………ッ、キセロ……」
キセログラフィカにすがるようにして顔を歪めるクロードに、エレナリアは紅潮した頬をそのままに問いかける。
「何故そんな顔をするのですか? お金がだぁい好きなあなたには、喜ばしいことではなくて?」
エレナリアの無邪気な声に、クロードの頭は真っ赤な怒りで塗りつぶされる。
――何を、何を、何を!
「お前が――――――――――ッ!」
クロードの叫びに答えるように、美しい彫刻に姿を変えていたキセログラフィカの体が僅かに光を帯びる。顔色を変えるエレナリア、防御の魔術を構築するサニーニ、そして慌てて動こうとする目の潰れた兵たち。暴走した紅炎魔石の炎がクロードの両手を焼く。
「やめなさい! 加工前の魔石は制御できるものではありませんっ! ましてはよこの量となれば――!」
エレナリアの叫びを無視し、クロードは己の体が炎に包まれることすら厭わず暴れ狂う紅炎魔石の魔力を使い魔術を構築する。その膨大な魔力は彼の周りに幾多の炎を生み出し、白にも見える高温の炎がキセログラフィカのベッドを中心に所かまわず暴れまわり、全てを焼き尽くす。
息もできない程の熱風の中、魔石でできた壁すらも溶かす炎がサニーニの氷水魔石で作られた結界を焼き切り――多少炎は陰ったものの――赤黒い炎が舐めるようにエレナリアの横顔を這った。
「――――――――――――――――」
声にならない悲鳴が聞こえる。
キセログラフィカの炎に包まれるのは、クロードにとっては心地よい気分だった。既に熱風に焼かれた気管は役目を果たせず、ヒューヒューと喘鳴の音が聞こえる。ありったけの魔力を使ったつもりだったキセログラフィカの紅炎魔石もすでに色を失い、足元から熱風に巻き上げられすり減っていた。
――悪い。
そう呟いたつもりだった。しかしクロードの喉からはか細い吐息が漏れるだけだ。最期にキセログラフィカの手を握ろうとしたが、彼の両手は肘から先が黒く炭化して、妹と同じくぼろぼろと崩れてしまっている。
仕方なしに、クロードは妹の冷たい頬へと自身の頬を寄せた。幼い頃、共に身を寄せ合い眠ったことを思いだす。擦り寄るようにして小さくなった妹を抱きかかえていると、徐々に彼の意識も巻き起こる煙のようにかすみ、深い闇の中へと落ちていった。