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 月明かりの下、女は自分の隣に眠る緋色の髪へと指を滑らせた。まるで日の光を紡いだような絹の髪は、艶やかに煌めいている。この髪も、今は伏せられた瞳も、薄い唇も、すべてが女好みの色形をしていた。



「もうすぐ、もうすぐね……」



 女――エレナリアの唇から小さく声が漏れる。彼女の自室には美しい名画も、陶器も、そして男さえも。このエケベリア王国の王国の王城にすら劣らぬものが飾られていた。彼女の独り言に反応してか、コレクションのひとつでもある寝台の男が小さく身じろぎする。



「……どうした、エレナリア。また鉱山のことか?」

「ええ。待ちきれませんの」

「そうか。君はただ待っていればよい、すべての望むものを私がそろえよう」

「ありがたく存じます」



 富も権力も、そして王子の寵愛も。すべての人間が垂涎して求むものを備えながら、強欲な女には未だ手に入らぬものがあった。しかしそれも昨日までの話。

 既に手中に収めたと言っても過言ではない今、エレナリアは誰に見せるでもなく欲にぎらつかせた瞳でうっとりとほほ笑む。月明かりだけが、それを見つめていた。





 そこは、薄暗く寒い場所だった。獣臭いろうそくの灯りだけが唯一、石造りの部屋を照らしている。子ネズミが走り回る部屋で、両手の木枷を煩わしそうに、クロードは座り込んでいた。尋問の際に手ひどくやられた傷が痛むらしく、彼は眉間の皺をいつも以上に深く刻んで、唾を吐き捨てる。

 ――しくじった。

 見張りの兵だけが佇む牢屋で、クロードの地獄の底から響くような声が漏れた。


 クロードが奴隷法違反により拘束されて、既に3日が経っていた。グラウカ商会に物々しく武装した兵たちがやってきたのも、3日前だ。王からの勅命状を手に、クロードは有無を言わず拘束され、尋問という名の拷問が始まった。

 日に1度、たった3度の尋問により、クロードの両手の爪は剥がれ、体には青黒いあざと鈍いナイフによる切り傷が刻まれていた。本来ならば貴族に対する尋問のやり方ではない。もしクロードが冤罪だと知れ釈放されたのなら、様々な方面に遺恨が残るやり方だ。しかし、これではまるで――。

 クロードはかぶりを振った。考えたくはなかったが、これではまるで、はじめから罪が確定しているようではないか。この様子では、既に証拠は万全に揃っているかもしれない。更には、クロードが捕らえられるときに一部の奴隷が暴れた分も、きっちり上乗せされるだろう。


 考えたことがない訳ではなかった。

 エケベリア王都内でグラウカ商会の力は大きい。もちろん、乗っ取りを企む輩もひとりやふたりではないだろう。それは同じ商人の中にも、あるいは貴族の中にもいると、クロードは想定していた。

 しかしそうならないよう、クロードは方々に心を裂いていた。金を渡すだけでは強欲なものたちは収まらない場合もある。そのため、クロードの有用性を売り込んだ。適度に甘い汁を吸わせ、クロードを陥れるよりも、生かして得られる利益を見せつけたのだ。

 貴族といえども、クロードは商人だ。商人としてのクロードを買ったものたちは、王都には少なからずいたはずだ。その中には上位の貴族たちという、エケベリア王国内で絶対的な権力を持つものもいる。しかし彼らからの救援はなく、すでに丸3日もこんな薄汚い牢屋へと縛り付けられている。

 つまり敵は――。



「……エレナリア、君か」



 クロードが憎しみのこもる声で婚約者の名を呼ぶ。

 自分の富も、地位も、グラウカ商会ですら。彼女が望むのならくれてやってもいい。しかし、そんなものより重要な、クロードの心身の自由を奪ったエレナリアに、彼は激しい怒りを感じていた。





 身なりを整えられ、クロードが日の光の下へと出ることができたのは、それから更に5日経った頃だった。

 薄暗いろうそくの灯りで過ごした日々が長すぎて、煌々と頭上を照らすシャンデリアの灯りに彼は目を背ける。

 入るときよりも消耗しているのか、両手の枷が随分と重く感じる。剝がされた指が靴にこすれて痛むのを、クロードは無視して王宮の外れにある審判の間へと足を進めた。


 ――審判の間。主に、罪を犯した貴族が裁かれる場所だ。一応、貴族扱いはされているんだな、とクロードはため息を吐く。

 部屋の中央にある罪人用の台へと登り、頭を垂れる。しばらくそのまま待つとクロードを取り巻くように複数人の足音が聞こえ、扉が重い音を立てて閉じられた。彼は上級文官の声に頭を上げると、正面にはサニーニ・エケベリアが悠然と腰を下ろしている。諸悪の根源、エレナリアは証言人か、あるいは婚約者として立ち会うのか、神妙な顔でクロードを見つめていた。



「王名により、私サニーニ・エケベリアが代理人として立ち会う。罪状を述べよ」



 サニーニの言葉に、文官が羊皮紙に記された罪状を述べる。

 曰く、奴隷法の違反。

 曰く、売買法の違反。

 淡々と述べられるクロードの罪状は、奴隷の虐待、及び一般市民を強制的に奴隷に落とした罪らしい。クロードにとっては、まったく身に覚えがない罪状だ。

 特に、奴隷法などあってないような法だ。奴隷相手に好き勝手な所業を行い、殺してしまう貴族など見飽きるくらい目にしてきた。そもそも奴隷は市民籍がない場合がほとんどなので、貴族どころか庶民相手にすら訴えを起こすこともできない。この罪で裁かれた者など、数世代前の聖王と名高い人情家が王位に就いた時くらいだ。



「――とのことだが、クロード・グラウカ。反論はあるか」

「まったく身に覚えのないことにございます」

「おや、困ったな。それでは、証人を呼ぼう」



 サニーニが手を叩くと、審判の間に数人が入室してくる。彼らの身なりは、王族と謁見するにはふさわしくない。襤褸を身にまとっていたり、垢にまみれていたり。更には、手足の欠損まで見える。奴隷だ。

 奴隷たちは口々に証言する。グラウカ商会でのおぞましい所業を。その中の一人には、クロードの機嫌を損ねたため腕を切り落とされたと宣うものすらいた。誰もがびくびくと怯え、視界の端にクロードをとらえている。



「クロード・グラウカ。何か申し開きはあるか」

「申し開きも何も……うちで取り扱った奴隷ではありません」



 クロードが連れてこられた奴隷たちへと視線を向けると、彼らは震えながら視線を逸らしたり、床に座り込む。サニーニは目を細めながら、まとめられた羊皮紙をクロードへと向けた。



「ふむ。しかし、彼らの売買記録にははっきりとグラウカ商会代表、クロード・グラウカの名が記されている」

「私は見たことがございません」

「グラウカ商会は多数の奴隷を取り扱っているだろう? お前が覚えているとも限らないのではないか」

「うちの商品はすべて私が目を通し、管理しております」



 ――その契約書、偽造では。そうクロードがいいかけたが、彼はサニーニの持つ契約書の端に輝く紋章を見て言葉を飲み込む。



「……では、お前はこの契約魔術による売買が、偽造であると?」

「……」



 契約魔術は、血と魔石によって行われる契約だ。主に、血を登録している貴族が携わるときに用いられる。エケベリア王国内では廃れた契約法で、クロードも数える程度しか使用したことのない魔術だ。


 クロードは拘束された両手を強く、強く握りしめた。見苦しいと、爪がなくなり裂けた指先を隠すためはめられた手袋に鮮血がにじむ。怒りよりも、失望が大きかった。領地を管理し、税を納め。粉骨砕身とまでは行かぬが、エケベリア王国にはそれなりに従順に仕えてきたつもりだった。


 契約魔術は施行者では書き換えることが叶わず、その施行者よりも上位の血を必要とする。

 男爵ならば子爵以上の位を、伯爵ならば公爵以上の地位が複数人必要とされ、書き換えはすべて記録される。しかしながらエケベリア王国内で契約魔術が書き換えられた前例はなく、双方が不要になった契約を白紙に戻す手段のひとつとして知られているだけだ。貴族間では、上位貴族に頭を垂れ契約魔術を書き換えることを何より恥とされており、クロードも知識としては知ってはいたが、まさか実行するものがいるとは思いもよらなかった。

 サニーニの持つ契約書に施行者として記されているのは公爵。つまり、この契約魔術を書き換えることができるのは――――王族のみである。

 ここでこの契約書が偽造だと証言すれば、王族への侮辱罪まで上乗せされることになる。クロードは黙りこむしか術はなかった。


 クロードが反論しないのをいいことに、サニーニは新たな証人を呼び、クロードが奴隷を害したとする証拠を積み上げる。

 ある市民は謳う。グラウカ商会から、毎夜奴隷の泣き声やうめき声、人を鞭で叩くような音が聞こえる、と。ある商人は謳う。彼から買い取った奴隷は酷いありさまで、売り物にならないほど痛めつけられていた、と。ある貴族は謳う。クロードは奴隷をまるで家畜のように扱い、甚振ることを楽しんでいる、と。

 クロードは、見たこともない顔が自分の不利な証言と証拠を積み上げていく様を、ただただ茫然と見ているしかなかった。



「それでは、クロード・グラウカに申し渡す。奴隷法、及び売買法違反によりお前の貴族籍、領地、財産。すべて剥奪する」



 サニーニがそう誓言すると、審判の間の壁に装飾されていた紋様が淡く輝き、中央――クロードの真上に設置されたシャンデリアへと集まっていく。その光はそのままクロードの両手へと延び、ひときわまぶしい輝きののち、彼の両手にはぐるりと魔術式が刻印された。



「それは罪人用の枷だ。これでお前がどこにいても、私たちは知ることができる」


 サニーニが勝ち誇ったような顔でほほ笑む。エレナリアは傍聴する貴族たちの中で不安そうな、しかし欲を孕んだ瞳をギラつかせ、こちらを見つめていた。クロードと彼女の視線が交差すると、彼女はピクリと片眉を持ち上げる。口の端をひくつかせながら、彼女はクロードの名を呼んだ。



「クロード、あなた……」



 名演技だった。彼女の声色、視線、小さな手の震え。すべてが婚約者が悪者だと知り、うろたえ、絶望するような。ここが劇場ならば、観客たちは総立ちで彼女の演技に拍手を贈っただろう。花束だってエレナリアひとりでは抱えきれないほど投げ入れられただろう。しかし残念ながらここは劇場でもはなく、彼女は演者ですらない。

 見知らぬ貴族が涙を落とす彼女の肩を抱き退室した後に残されたのは、指先に血の滲む操り人形( ピエロ)と、勇ましき緋色の鬣を持つ操者だけだった。



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