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 クロードの期待もむなしく、数か月経った今でもエイミーとグウェンはグラウカ商会護衛部門に在籍している。幸いなのは、先日教育を終えた黒の77番が地方の貴族へと森の番として買い取られて行ったことだろうか。弓が得意だった77番は、狩人に最適なスキルを身に付けさせている。貴族もグラウカ商会の審査を通過した真っ当な人間だったため、クロードは肩の荷がひとつ降りた気分だった。

 しかしながら、彼の気分を憂鬱にさせる宴が今日はあった。エレナリア・プロリフェラの生誕祭である。例年通り流行の、更には一級品のものを何点か集めさせ、馬車へと積んだ。着込んだ礼服は、いつもの服装と左程変わりはないはずなのに、随分とずっしりと重く感じる。

 王都にあるプロリフェラの屋敷へと続く道で、彼はめずらしく、このまま馬車の車輪が外れ豪雨が降ったりなどしないか、と夢想した。それほどクロードにとっては自身の婚約者に会うことが億劫であったし、相手にとっても愉快なことではないと知っていた。しかしクロードの現実逃避は逃避に終わり、何の問題もなくプロリフェラの屋敷へと着いてしまう。

 従者に贈り物の運搬を頼み、クロードは重い足を引きずりそうになりながら白い花の咲くアーチをくぐった。エレナリアの生誕祭は、今年はプロリフェラの誇る花の庭園で行われるらしい。優雅に酒や食事を嗜む貴族の裏で、静かに使用人たちが走り回っている。

 主役であるエレナリアは、人目もはばからず第四王子とその護衛らしい騎士の男にエスコートされ、うっとりとした笑みを浮かべていた。エレナリアの両親もそれを諫めるどころか、王族と親しい娘にご満悦のようである。


 本来ならば婚約者であるクロードは文句の一つでも言うべきであるが、端からエレナリアの心が自分にないと知っていたクロードは、いつも通りの無表情で一輪の花を手渡す。エケベリア王国の国花である緋色の花は、敬愛の意味を持ち、特別なものの特別な日に贈る風習のある花だ。何輪もの緋色の花に囲まれたエレナリアだったが、彼女を取り囲むどの花よりも、グラウカ商会の手配したそれはは大輪で目を引いた。



「クロード、よく来てくれました」

「おめでとう、エレナリア」



 当たり前のように右手を差し出すエレナリアに、クロードは儀式的にその手に口づけを落とす。



「随分とお久しぶりですわね。かわいい婚約者を放っておいて、ご自分は相変わらずご商売をされているのかしら」

「すまない。俺も忙しくてな」

「忙しくとも、わたくしの顔を見る暇はありましょうに」

「これも、プロリフェラ子爵家の商品を流通に載せるためだ」

「またお仕事のお話? わたくしは興味ありませんわ」



 エレナリアはつんと拗ねた少女のように顔を背ける。



「俺は君を楽しませるような話題は持っていないようだ」

「つまらない人ですわね。商人の真似事なんてしていらっしゃるくせに」

「ああ、俺はつまらない男だよ。幸い、君の周りには楽しませてくれるものが多いらしい。大事な婚約者が退屈してないようで、俺は幸運だ」



 クロードがちらりとサニーニとカイルへと視線を向けると、サニーニは悠然とほほ笑み、カイルはむっと眉をしかめた。教育のなっていない騎士だ。うちのものなら――とクロードはカイルとグラウカ商会の奴隷たちとを比較したが、それはサニーニによって遮られる。



「やあ、クロード。久しいな」

「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、殿下」

「先日お前の商会から買った青炎魔石のブローチ、あれは見事だった。いい買い物をさせてもらったな」

「お買い上げ、まことにありがとうございます。お気に召したのなら幸いです」

「ああ、そう」



 サニーニの笑みがぐっと深まる。彼の左手は、人知れずエレナリアの腰を抱いていた。



「次に欲しいものがある。お前なら、私に献上してくれるだろう?」

「……殿下が、そうおっしゃるのなら」



 クロードがそう返すと、サニーニは瞳の奥に欲をちらつかせながら彼の目を見つめる。抱き寄せられたエレナリアはまんざらでもない顔で、ほほ笑んでいた。



「約束を違えるなよ。まあ、私からのはなむけだ。エレナリアと踊るとよい」



 トン、と背を押されたエレナリアを向かい入れると、彼女は不満げな顔で耳打ちする。



「つまらない人」



 エレナリアをエスコートしながら開けた場所へと出ると、周囲に響いていた音楽がゆったりとしたワルツのものに変わる。管弦楽団を見ると、小さな体に見合わぬ大きな弦楽器を持つ奴隷と視線が交わった。グラウカ商会の紋章を襟に漬けた奴隷は、クロードへと満面の笑みを飛ばし、小さな手で弦を弾いている。

 おせっかいなおぜん立てに苦笑しつつも、クロードはエレナリアをリードするため、一歩足を踏み出した。彼らに釣られるように、複数のカップルが優雅にワルツのステップを刻みながら躍り出る。

 彼女と踊ったのはいつぶりだろうか。こうして、吐息が触れそうなほどに近づくことすら随分と久しく感じる。まじまじと彼女の顔を眺めていると、エレナリアは至極楽しそうな声でクロードに囁いた。



「あなた、変わりましたね」

「そうか」

「自覚はありますのね」

「確かに……君と親しくしていたころの俺とは変わっただろう」

「ええ、前は端正な顔だと思っておりましたのに、今では隈がこんなにくっきりと」



 エレナリアの左手が、クロードの頬を撫でる。



「元々悪かった目つきが、凶悪になりましたわ」

「悪かったな」

「瞳も荒んで、色がくすんだ」

「君は変わっていないようだ」

「あら? あの頃よりは美しくなったと思いませんの?」

「中身の話だ。君は昔から綺麗なものが好きだった」



 クロードに身を預けたエレナリアが優雅に状態を逸らす。彼女の銀髪が夜空の星のように煌めいた。



「ええ、今も好きです。綺麗なものが。昔のあなたの瞳は綺麗でした。透き通ったアメジストのように、光を浴びて輝いていた」



 曲が終わると共に、自然と二人の距離も離れる。エレナリアの右手とクロードの左手が離れるとき、彼女はまるで咲き誇る花のような笑みでクロードに告げた。



「だから、あなたはもういりませんわ」



 クロードは、何も答えずエレナリアの背中を見送る。彼とて、彼女を必要とはしていなかった。





 パーティの後、クロードは王都のグラウカ家の屋鋪へと帰っていた。しんと静まり返った屋敷の一室で、彼は天蓋付きのベッドの横の椅子へと腰を下ろす。



「今日、エレナリアと会ったよ。また綺麗になっていた」



 クロードを知る人が聞けば驚くような優しい声色で、彼はベッドへと語り掛けた。返事はない。



「お前も前は仲が良かっただろう。彼女はよく言っていた。俺たちの瞳はまるで宝石みたいだってな。俺のは色がくすんでしまったらしいが、お前のならエレナリアも気に入るだろうな」



 珍しく多弁なクロードは、返事が来ることのない言葉を紡ぐ。声が返ってくることなど、もう何年も期待していない。10年以上も、このベッドサイドで独り言を続けたのだから。

 開いた窓から入った風が、床に散らばる黒い灰のようなものを攫って行った。ベッドを中心に円を描くように置かれたその灰のようなものはは、中心へと進むにつれ赤や青など、様々な色相で、月の光を浴びて煌めている。クロードが他愛のない言葉を空に投げかける度に、色とりどりだった何かの欠片は色を失い、路傍の石のようにくすんだ色へと変わっていった。

 輝く石が砕ける度に、クロードは言葉を飲み込む。



「…………」



 いつしか、沈黙が屋敷を支配すると、クロードは小さく呟いて、彼の自室へと戻って行った。

 彼が去ってからも石の浸食は進み、宝石をただのゴミへと塗り替えていく。その灰を、窓から入った風がくるりと撫で、またひとつ空へと持ち去った。





 エレナリア・プロリフェラは上機嫌だった。それは彼女が好む美しいものが、喜ばしい知らせを運んできたからだ。




「準備は万端ですのね?」

「抜かりはない」

「いつ? いつ決行するのですか?」



 その喜ばしい知らせを持ち込んだサニーニは、自信がにじみ出るような表情で笑う。彼の隣に立つカイルも、興味深々といった様子で二人の会話を聞いていた。



「必要なものはすべてそろった。父上にも、話は通してある」

「ああ、ああ、ようやく手に入るのですね! 楽しみですわ!」

「君にすべてをあげよう、エレナリア」

「ありがたく存じます、殿下」



 二人は身を寄せ合い、唇を重ねる。頬を赤く染めたエレナリアに、サニーニはいつもの不敵な笑みを消し、恋に恋する少女のような清廉な笑みを見せる。

 彼らの傍らに侍るカイルは、意気消沈したかのように肩を下げて二人を見ていた。

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