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グラウカ商会の主な取り扱いは鉱石であるが、子飼いには食品から装飾品まで、様々な品目を取り扱っている。共通点は、すべてが貴族向け、あるいは富裕層向けの単価の高い物ばかりというところだろうか。青い血の人間を相手にするため、商人にも気品と、見目の麗しさが求められる。そして、馬鹿でもいけない。彼らは商品に代わる場合もあるのだ。
安値で買い取った孤児たちの教育記録に目を通しながら、クロードは凝り固まった背中をほぐした。腕を大きく回すと、パキッと乾いた音が響く。
美しく賢い者は商人に、美しく愚かな者は商品に。醜く賢い者は商会を潤滑に回す歯車に、醜く愚かな者は――まあ、力仕事や雑用くらいには役に立つだろう。野ざらしにしていればいつか朽ち果てて風化してしまうようなものでも、手を入れてやればそれなりの働きをするものだ。
孤児は特に、誰も見向きもしない商品のひとつだが、磨き上げればはっとするようなものを持つ場合が多く存在する。それは美しさだったり、必要が生み出した技術だったりと様々であるが、苦労してきた分金の重要さを知っている孤児は、自ら稼いだことのない貴族のぼんぼんよりずっと扱いやすい手駒であった。
「赤の72番と80番、黒の123番の教育は終わりだ。工房に回せ」
「はい」
「あとは直接見て決める」
「準備しておきます」
「いや、いい。今から行く」
そういってクロードは執務室から地下へと向かう。石で組み上げられた地下には獣の匂いが漂っていた。安い蝋燭を四六時中灯しているため致し方ない香りだが、たまにしか地下に足を運ばないクロードには鼻につく空気だ。奴隷の教育係の男はそれを気にする様子などなく、足元から冷えあがるような廊下を先導する。
奴隷たちは、美も学もない歯車のひとつとして下級の工房へと送られるか、買い手がつくか、あるいはグラウカ商会の働き手として育ちあがるまでこの地下を出ることは許されない。外からの情報を遮断し、教育済みの奴隷を見本として、ここでの生き方、思考を刷り込ませる。
幼く学もない奴隷をクロードの手駒にすることは、既に彼にとっては赤子の手をひねるよりも簡単なことになりつつあった。
「クロード様!」
木製のパズルを使って学んでいた奴隷の少年がクロードに気づき駆け寄る。数え歳で7歳程度の少年が働き手になるまで、まだ長い歳月がかかるだろう。いつ使い物になるのだろうか。クロードは少年を一瞥しながらため息を吐く。
「ここの者は俺への挨拶も教えないのか?」
彼の厳しい言葉に、少年ははっとしたような顔で手早く身なりを整え、その場に直立する。
「申しわけありません。僕はニックです。ようこそおいでいただきました、クロード様」
「……うん、よく挨拶できたな。励んでいるか、ニック」
「は、はい!」
短い手足で、たどたどしいながらも礼に則った挨拶を見せたニックに、クロードは口の端を緩める。しかしながら、彼の目つきは鋭いままだ。
子どもとは言えいずれクロードの手足となるものだ、厳しくしつけすぎて反感を持たれても、飴をやりすぎて舐められてもいけない。クロードはようやくその微妙な塩梅を掴めてきたところだが、普段ピクリとも動かない表情筋までは自由に動かせない。彼は己の至らなさに歯噛みしたくなった。自分の顔すらうまく扱えずして、それでも商人か。
「赤の……いや、鍛錬を見に行く」
クロードの言葉に頷いた教育係は、奥の訓練塔へと足を伸ばす。訓練塔は唯一、奴隷たちの行き来できる地上だ。奴隷たちの中には勉学に秀でているものもいるが、他の才能が芽生えるものもいる。それは音楽や絵画を始めとした芸術方面であったり、剣や弓などの武力、果ては人を誑かすものなど、様々だ。グラウカ商会では近年、特に戦闘能力に力を入れていた。
地下から軋む階段を上がり、鉄で作られた重い扉を開くと、僅かに饐えた匂いが広がる。換気や清掃に気を付けていても、何十人もの血と汗をしみ込んだ床は、奴隷たちの鍛錬の匂いを吐き出してしまう。
クロードは何でもない顔をしながら床の張替えを検討していたが、すり減った木目を目で追った先のものに、匂いなど忘れて見とれてしまった。
ひゅん、と風を切る音だけを残して鉛色の穂先が煌めく。磨かれたエケベリア金貨のような光沢を放つ長い髪が一瞬遅れて風を切った。貴族の嗜みとして剣術をかじった程度のクロードには到底繰り出すことも、ましてや回避することすらできぬ突きだ。しかし即座にその素早い槍の一撃を僅かな力でいなし、鎧ごと切り伏せてしまいそうな剣が舞う。
速度に関しては槍が圧勝している。手数もこちらが多い。しかし一撃の重さは剣が勝り、男女の力の差からか、はたまたクロードの腰ほどもありそうな腕から繰り出す剣勢からか、槍は受け止めることはおろかいなすことすらできずただただ避けるのみだ。
二人は切り合いを随分と長く続けていたらしく、床には流れ落ちた汗が滴っていた。それが災いして、足を使い相手をかく乱していた槍の足が取られる。剣を持つ男もそれに気づいたのか、助けようと手を伸ばすと、槍の驚きに見開かれた瞳が、に、と三日月のように弧を描いた。
「……卑怯だぞ」
後ろから首元に刃を当てられた男が呻いた。
あっという間の出来事だった。転んだと思っていた槍――エイミーは、助け起こそうとするグウェンの腕をすり抜け、持っていた槍すら放り投げ、猫のような素早さとしなやかさで背後からグウェンの首を抱えていた。ご丁寧に、隠し持ったナイフを手に、だ。
「油断大敵、ってね。クロード様が来てるのに、わたしがあんなヘマするはずないじゃない」
「…………」
にやにやと笑みを浮かべるエイミーに、グウェンは大きくため息を吐く。
「二人ともお疲れ様。さあ、我らのボスが来てるんだから、さっさと身ぎれいにしてよね」
二人にタオルを投げて渡すのは、エイミーの教育係であり槍の名手でもあるクロード・ラウリンゼだ。身長に恵まれたグウェンよりもずっと小柄で、色も白い。二人はぞんざいに汗を拭うと、鍛錬の疲れなど感じさせない立ち姿でクロードへと頭を垂れる。それを横目にラウリンゼは自慢げな顔で胸を張った。
「どう? 中々でしょ」
「俺の目からしてみれば十分すぎるほどだ。ラウリンゼ、君の意見を聞きたい」
「エイミーは力はないけど、それを補うしなやかさと素早さがあるよ。手数も多いしね。僕と同じタイプだから、仕込みやすかった。そこいらの盗賊や騎士なんかには負けないと思うよ」
「なるほど。グウェンは?」
「うーん、剣は専門じゃないからバロンボールドに聞いて欲しいんだけど……」
「バロンボールドは?」
「上で他の子を見てる」
「では、グウェンと戦ったのなら、ラウリンゼはどう思う?」
「僕と? 僕が勝つけど」
「当然です」
「もちろん、エイミーと戦っても僕が勝つよ」
「当たり前ですよ。『一角獣』に勝てるわけないじゃないですか」
子弟二人が呆れたように肩をすくめる。
「やめてよその呼び名。ダサいから嫌いなんだよね。まあ、それはいいとして……グウェンも、そこそこの騎士くらいにはなってると思うよ」
「そこそこ、とは?」
「隊長くらい? まあ、戦場に突っ込んでも死なないくらいかな。だけど、二人には圧倒的に実戦経験が足りてないね。ここには相手が少なすぎる。確かに、腕の良い奴はいっぱいいるけど、多数の有象無象と戦う経験も必要なんだよね。僕とバロンボールドの見解としては、そろそろここを出すべきだと思うよ」
「…………」
「……あのさあ、ボスは過保護すぎるんだよ。このやり取り、何回目?」
ラウリンゼはクロードを煽るように見上げた。彼の瞳の色に呆れが滲む。
「…………わかった。売り先の希望を聞こう」
「はい! はいはいはい!」
「何だ、エイミー」
「私はやっぱり、一番良いところがいいです!」
「もちろん、条件は色々と吟味するが」
「そーじゃなくて! もちろん休みとか、報酬とか、おこずかいとか! ちゃんとしてるところ!」
「…………エイミー、君は優秀だ。見目も悪くない。女性の護衛を欲しがる貴族は多い、どこでも好きなところに――」
「そーじゃなくて!」
たまらずエイミーがクロードに詰め寄る。相手が彼でなければ、襟首をつかんでがくがくと揺さぶりそうな勢いだ。
「一番労働条件が良いところ、それはまさしく! あなた!」
「は?」
クロードが珍しくぽかんと口を開く。
「クロード様! 雇ってください!」
「……それは、グラウカ商会の護衛部門に行くということか? あれは護衛対象がコロコロ変わって、一貴族に仕えるよりも面倒が多いぞ」
「違います! グラウカ商会も私が小さなころよりずっと人が増えました。つまりは大きくなってる! だからきっと、クロード様も危険だと思うんですよ。ね? お傍に一人くらい護衛が必要ですよね? ねっ!」
クロードの代わりに、グウェンが頭を抱えていた。ラウリンゼは今にも床に転がりそうな勢いで腹を抱えて笑っている。
「……俺に護衛は不要だ。王都から出ないからな」
「そんなことないですって! 暗殺者とか仕向けられたりとか、あるじゃないですか!」
「ない」
「本当にないんですか?」
「ない」
「そんなぁ……じゃあ、グラウカ商会の護衛部でいいです。あそこも三食おやつ昼寝付きだって聞くし」
目に見えて落ち込んだエイミーを無視して、クロードはグウェンへと視線を向ける」
「自分は、グラウカ商会護衛部門を希望します」
「お前もか」
「どうも皆ここに居つきたがるよね」
「君たちが根も葉もないことを吹き込んでいるのではないか」
グラウカ商会ではおやつは出ない。
「師匠たちや、先輩たちからここのお話は伺っています。しかしながら、自分は12からずっとここにいました。外の世界を知らない」
「生きていくに必要な知識は与えてある」
「そうですが……不安なんです。護衛部では、貴族からの引き抜きもあると聞きます。いずれはここを離れる時が来るとしても、もうしばらくはここにいさせてください」
「……お前は騎士でもやっていける。16ならば、入隊資格もあるしな。皆が羨む称号だ。興味はないのか」
グウェンがいかつい顔を緩ませ、ふっとほほ笑んだ。
「どうやら、俺はまだ巣立てそうにありません」
□
護衛用奴隷の買い取り資料を見ながら、クロードは頭を抱えた。買い手は厳選されて尽くしている。資産はもちろん、主人の人間性、屋敷を出入りするものたちの素性、以前買い取った奴隷への報酬や接遇法、果ては性的嗜好などすべてを網羅してある。
一度奴隷を売ってしまえば、それはもうグラウカ商会の所有物ではなくなり、例え殺されようともこちらは何の申し立てもできない。長い時間と、金をかけて作り上げた商品をやすやすと壊されてしまってはたまらない。
それを防ぐために、グラウカ商会では期間を定めて人材の派遣を行っている。気に入った護衛や使用人がいれば買い上げることもできる。もっとも、奴隷が頷いた場合に限るが。当初はその循環がうまくいっていたが、ここ数年、人材派遣部署に居座る奴隷たちが増えた。グラウカ商会としては買い上げられるよりも、永続的に利益が得られる話ではあるが、如何せん数が増えすぎだ。商会にいるよりも条件が良く、更には奴隷本人に多くの手当が受け取れるとまで打診されても、ここに居つく奴隷がいる。
地下には新しく仕入れた奴隷を入れなければならないため、ついには派遣奴隷用の寄宿舎まで建設し始めた始末だ。衣食住とわずかな手当で利益を生み出すとはいえ、このままでは鼠算式に増えていってしまう。
「居心地を良くし過ぎたか」
クロードにとっては、教育以外は最低限のものを与えているつもりだった。
しかし彼にとっては最低限であっても、劣悪な環境で捨てられた孤児や、親に売られた奴隷にとっては十分すぎた待遇だったのだ。些細なことで怒鳴りも殴られもせず、温かい食事と生きていくのに必要な知識まで与えてくれる。奴隷たちにとっては自分たちを虐げてきた生みの親よりも、グラウカ商会の面々は尊敬し敬愛できる両親のような存在だった。
「……商品は、売るためにある」
エイミーとグウェンの顔を思い出しながらも、クロードは悪あがきのように条件の良い護衛の契約書を糸でまとめながら呟いた。