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 クロード・グラウカの王国内での評判はあまり芳しくない。

 真っ直ぐな黒髪、深紫の瞳。目つきがやや鋭すぎるきらいがあるが、目鼻立ちも悪くはない。更には、グラウカ公爵家は、王国内でも希少である青炎魔石(せいえんませき)が僅かではあるが産出される鉱山も所持している。

 魔石が枯渇したとしても、魔石商を営むグラウカ伯爵家にはむこう数百年は遊んで暮らせるだけの財産があるだろう。クロードが14の頃に優秀な商人を雇って始めた商いは、最初こそは貴族が商人の真似事など、と影で笑われたものだったが、今では公爵家すら横っ面を札束で叩いて黙らせてやれるだけの規模になっていた。


 クロードは金が好きだった。

 どんなに見事な絵画よりも、美しく着飾る衣服よりも、精巧なカットが施され光を集めて赤青く輝く青炎魔石よりも――ただ大量生産よろしく、木版印刷で雑に刷られ複製防止の魔術がかけられた1万エケベリア紙幣の方がずっとずっと魅力的に見えた。


 金は人を魅了する。金があるところに人が集まるのはこの世の常ではあったが、彼の周りには親しい友人どころか甘い蜜(おこぼれ)にあずかる取り巻きすらいない。いや、彼が金の扱いにおいて頭角を現し始めた当初はいたのだ。媚びへつらい、両手を卑しい蝿のようにすり合わせ、甘言を囁く者たちが。

 しかしその虫たちも、いつの間にか姿を消してしまった。それはひとえに、クロード自身の厳しさによるものだろう。

 彼は誰に対しても厳しかった。生真面目であった訳ではない。ただ、他人の甘えを許すほどの余裕というものがクロードには足りていなかった。

 縋ってくる垢に塗れた腕を言葉の刃で追い払い、駆逐した。彼にもう少しばかりの知恵と、ゆとりがあったのならばその虫たちも上手く手足として使ったであろう。しかしそれをするには、クロードは若すぎたのだ。

 虫たちを追い払った後、クロードの両手に残ったものはあまり良いものではなかった。偏見やレッテル、そして僅かばかりの恨み妬み。それは彼には痛手を与えるものではなかったが、鬱陶しいのは確かだった。



「やり直しだ」



 王都の端にあるグラウカ商会の一室で、クロードは紐で括られた書類の束を机上に放り出し、足を組みなおした。クロードの目の前に佇む青年は静かな室内に響いた小さな音にさえビクつくように、小柄な体躯が身をすくめる

 クロードは上背がありながらも始終机に向かっている為、やや猫背気味だ。鋭い眼光の下に刻まれた隈は、日に日に濃さを増している。クロードのかさついた指先が弄ぶように紙の束をめくると、背中を丸めた青年は緊張を覆い隠すように右手で左手の袖口に触れ、一直線に閉じられていた口をもごもごと動かした。



「何が、いけないのでしょうか」

「全てだ。そんなこともわからないのか」



 ふう、とクロードの喉から長い息が漏れる。青年にはそれが、彼から失望や呆れが流れてているように感じた。

 確かに、穴はあった。完璧なものだと胸を張って誇れるものでもなかった。だけど、磨けば光る何かが埋あるはずだ。。自分の生み出したものに一条の光明が埋没していることを、青年は確信していた。



「これは―――――」



 クロードの口から一つ一つ、欠点や齟齬が述べられる。雇い主からの指摘はすべてが納得できるものであったし、自分でも不安を感じていたものが多い。そして、青年には見当もつかなかった意見すらあり、自分よりも年下のクロードの才覚に震えそうになった。

 僅か一瞥しただけで、前例のない事業の計画書を理解し問題点を多く挙げる。生まれた頃から商人に育てられ、それなりの腕を自負して仕事をしていた青年の自尊心はグラウカ商会に雇われてからは縮小していくばかりだ。自信のなさから、より一層背を丸めた男は自分への失望から零れ落ちそうな雫を拭いながら、クロードの言葉を紙に書き留める。

 自分には才能がないと打ちのめされた青年は、毒を煽りたくなった。英才教育を受け、若くして独立後グラウカ商会にヘッドハンティングされた。自信はあったし、驕りもあった。同世代の商人を見下しもしていた。そんな自分が、今ではこのざまである。



「だが」



 いくつもの欠点を並びたてた後、クロードはふっと口元を緩めた。



「発想は良い。これは俺やこの商会の誰にも……いや、この国の商人すべてを以てしても考えつかなかったことだ」

「……え」



 青年は、手汗と震えからぐしゃぐしゃになった手元の控えを更にぎゅっと握り締めて、顔を上げる。今、この人は何を言ったのだろうか。ほの暗い霧の中に沈んでいた思考から、一気に引き上げられて、理解が追い付かない。

 そんな青年の戸惑いを悟ってか、クロードは目を細めて言葉を続ける。



「それに、問題点や対処法もよく考えられている。これを作るには、随分と時間がかかっただろう」



 青年は、まばたきを繰り返しながら大きく頷いた。そうだ、商会で与えられた仕事をこなしながら、寝食を犠牲にして築き上げたものだ。決して短くはない時間もかかっているし、個人の時間の多くを捧げている。



「は、はい。その通りです」

「よく、ここまで努力してくれた」

「いえ、しかしまだ、煮詰めることばかりで……クロード様のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」

「……君のような優秀な人物が我が商会にいることを、俺は嬉しく思う。凡人にはない発想だ」

「そんな! 恐縮です」

「君に数人預けよう。俺は貴族ではあるが、志は商人のつもりだ。働きにはしっかり報いたいと思っている。ああ、資金も必要だろう」



 青年の体は、今では歓喜に震えていた。



「ありがとうございます!」

「いや、礼を言うのはこちらの方だ。これからも一層、励んでくれ」



 喜びに泣き出してしまいそうな青年の退出を見送った後、クロードはずさんな計画書を屑箱に放り投げた。

 穴だらけで、今の段階では儲けどころか損益まで生み出してしまいそうなものだ。多くに付け入る隙がある。

 誰もやらなかったということは、誰もが考えつかなかったことではない。多くが思い付き、しかしそれでも実行しなかったというものの方がはるかに多いだろう。若い商人の持ってきたものも、そんな先人が考えつき、敢えて行わなかった机上の空論のひとつだ。

 クロードはかさつき、インクで汚れた指先をこすりながら独り言ちた。



「使えない」



 だが、いつかは使えるようになるだろう。まずは人心を掌握さえすれば、最悪肉の壁くらいにはなる。

 数年前の失敗から、クロードは変わった。ゆとりが生まれたわけではない。ただ、少しだけ学んだだけだ。





 エレナリア・プロリフェラ令嬢は憤りを感じていた。というのも、彼女の婚約者であるクロード・グラウカに対してである。



「あの方には悪い噂が多すぎますわ。わたくしの婚約者としての、自覚が足りていません」



 プロリフェラ子爵家のお抱えの職人には、鉱物加工を主とする者が多い。先々代の光物好きが高じた結果だが、今ではエケベリア王国内でも有数の職人町となっている。かの地で磨き上げられた鉱石は、魔石のみならずただ美しいだけの宝石ですら高値で流通している。

 グラウカ伯爵家嫡男との婚約も、鉱山やら流通やら、そういった大人たちの打算によって結ばれたものだ。



「あの方が商会を始めてからは、エスコートすら申し出ることはありませんし」



 エレナリアは白い頬を膨らませた。クロードは自分よりも8つも年上で既に学園を卒業しているため、未だ学生であるエレナリアと共に学園行事に参加する訳にはいかないが、それにしても薄情な婚約者である。夏季休暇にプロリフェラの屋敷で開催されるエレナリアの生誕祭だって、少し顔を出して贈り物を置いていくだけだ。まるで義務だけ果たしているようなクロード様子は、愛しい婚約者への態度ではないのは明らかだ。



「まあまあエレナ、彼のおかげで私たちが花を愛でる機会があるんじゃないか」

「そうだ。そんなに目を吊り上げていては、メイドたちが怯えるぞ」

「あら、あんまりな言い方ではありませんこと?」

「怒ったお前も、愛らしいがな」

「もう、殿下ったら……」



 ぽっと顔を赤らめて、エレナリアはサニーニ・エケベリアの胸元へと顔をうずめる。月の光を依り集めたような銀髪を持つエレナリアと、エケベリア王族の証である緋色の髪を持つ第四王子サニーニが寄り添うと、まるで一枚の絵画のような美しさだ。ほう、と護衛騎士であるカイル・ゾランゲが口を開けて見とれる。



「……サニーニ、抜け駆けはなしだと言ったじゃないか」

「カイル、いい加減諦めるんだな」



 サニーニが友人でもあるカイルをからかうように笑みを深め、エレナリアを抱きとめる力を強める。



「お二人とも、喧嘩なさるのはやめて?」

「おや、私たちはいつ争い合ったのだ?」

「僕たちはエレナを悲しませるようなことはしないさ、そうだろう?」



 カイルが幼げな(かんばせ)をほころばせ、エレナリアの手のひらに口づける。自分をちやほやと誉め立てる男たちに、彼女は満足げに、しかしそれを彼らには一切悟らせないような笑みでゆったりとほほ笑んだ。

 エレナリア・プロリフェラは美しいものを大層好む質であった。彼女の祖先との差異は、それが宝石や装飾品以外にも及ぶことだ。

 

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