第二話 最終話
やあ、やあ、久し振りだね。
えっ!?久し振りと言うほどではない?
ボランティアとして毎週同じ曜日に、ここに来ているから、一週間振りぐらいだ?
おかしいな?もっと長い気がするんだが?
まあ、いいか、それより、この前の話の続きをしよう。
おお、あなたも楽しみにしていたのかね。
今日は時間があるから、前よりは長く話せるだろう。
前回話したのは、木製零戦の合板を作製するのに使う接着剤「ユリ」の接着力が強過ぎるのが問題になっているという所までだったね。
そこで、接着力を適度に弱くする方法が検討されたんだ。
開発陣の一人が「メリケン粉」を入れたら、うまくいった例があると、どこからか聞き付けてきた。
えっ!?「めりけんこ」という名前の特殊な薬品があるのかだって?
違う。違う。
「メリケン粉」とは「小麦粉」の事だよ。
そう。パンとかを作る時に使う小麦粉だよ。
そこで、メリケン粉を大量に手に入れようとしたのだが……。
えっ!?当時は食料不足だったから、メリケン粉を手に入れるのは難しかったんじゃないかって?
その通りだよ。
支那事変が始まった頃から……、ああ、今は「日中戦争」と言うのだったな。
日中戦争が始まった頃から、食料不足になっていたが、太平洋戦争に突入してから更に酷くなった。
しかし、素朴な疑問なんだが、戦争になると何で食料不足になるんだろうな?
やっぱり、兵隊さんたちに食べ物がたくさん必要になるから、民間に回される食べ物が少なくなるからかね?
えっ!?違う。
戦争になって兵隊になる人が多くなっても日本人全員の人口は変わらないから、必要な食料の量が増えるわけでは無いだって?
そう言えば、そうだな。
じゃあ、何で、食べ物が足りなくなるんだ?
ふむ、ふむ、なるほど。
普段は食料を輸送するのに使われている船が、戦争のための兵隊や物質の輸送のために使われるから、食料の輸送量が少なくなる。
農作業をしている若者が大勢兵隊に取られてしまうから、農業生産量が減少する。
物流と生産の問題で、食料不足が起きるわけかね?
ふーむ。
なるほど。
しかし、あの戦争を実際に体験したワシが、その事を知らなくて、あの戦争を映像や書物でしか知らないボランティアさんが知っているのは、何とも言えない感じがするな。
少し話がそれてしまったな。
本題に戻ろう。
それで、メリケン粉を大量に手に入れようとしたのだが、食料不足で貴重品になっていて大量に購入するのは無理になっていた。
それで、代用品として使う事にしたのが、「大豆粉」だった。
何故かは分からないが、大豆粉は大量に手に入った。
大豆粉を薄めるために色々とやってみた。
まずは水でやってみたり、次はアルコールでやってみたりと様々な方法を試した。
氷で冷やしたりもしたな。
えっ!?何かの料理の作り方を話しているんじゃないかって?
もちろん。違うよ。
木製零戦の合板の製造に必要な接着剤についての研究について話しているんだよ。
そして、結果として上手く行った。
接着剤「ユリ」の改良以前は、合板は引っ張りには強かったが、少しきつく曲げると割れてしまうという欠点があったんだが、改良後は合板に見事な弾性が生まれた。
きつく曲げても割れたりしなくなった。
しかも、引っ張りに強いのは元のままだった。
どうやら、大豆に含まれているたんぱく質が好影響を接着剤「ユリ」に及ぼしたようだった。
これで、合板の問題は解決した。
しかし、一つ問題が解決すれば、次の問題があった。
木製の航空機だが、エンジンや脚部まで木で作れるわけがない。
金属部分をいかにして木が支えるか、問題は山積みだった。
しかし、開発陣の懸命の努力の末に、ついに試作第一号機が完成した。
試作機が完成しても、終わる訳ではない。
大量生産に入らなければならない。
そして、木製零戦の量産をやることになったのが、ワシの勤めていた「電気メーカー」だったんだ。
有名な航空機メーカーではなく、航空機生産未経験の「電気屋」のウチの会社がやる事になったのは、もちろん理由がある。
有名な航空機メーカーは、金属製実戦機の生産で手いっぱいで、木製練習機まで手が回らなかった。
それで、細かい事情までは、ワシは知らないが、ウチの会社で生産する事になった。
海軍から派遣されて来た航空技師は、ウチの社長と会った時に何とも言えない顔をしていた。
呆れたような、戸惑ったような表情だった。
まあ、軍用機どころから航空機その物を作った事が無いウチの会社に技術指導しなければならなかったのだからな。
それは当然だっただろう。
ウチの社長は航空技師を工場予定地に案内した。
そう、工場予定地だ。工場じゃない。
そこには何も無く、広い野原があるだけの場所だった。
まず、飛行機を作るための工場を建てる事から始めなければならなかった。
会社が抱えている材木屋と大工を総動員して、一週間もしないうちに巨大な量産工場が出現したんだ。
ウチの会社は本業は電気工業だが、他にも多彩な業種を営む総合企業だった。
材木屋や大工の他にも自転車屋、染め物屋、食い物屋まで、ウチの会社の職人は何でも作ると言われていた。
だけど、肝心の「飛行機屋」が一人もいなかった。
それで、工場では飛行機に関する無知が原因の珍事が続出した。
主翼を支える部品に打ち抜きで大きな穴を開けてしまい、主翼を強度不足にしてしまったり。
部材を識別するために塗料で書いておいた記号を「材料を綺麗にしよう」という親切心から消してしまい。どれがどれだか分からなくしたり。
接着剤で貼り付けている部分に釘を打ってしまったり。
みんな真面目に一生懸命やってはいた。
だが、あまりにも飛行機について知らなすぎた。
「素人を集めて飛行機を量産するなんて、やっぱり無理だったんだ」と海軍の航空技師が、ウチの会社の人間がいない所で愚痴をこぼすほどだった。
えっ?何で会社の人間がいない所でこぼした愚痴を知っているのかって?
ウチの社長がたまたま耳にしたんだ。
そして、社長は工場で働く人間全員を集めて訓示した。
「みなさん。我が社の伝統と誇りに支えられた技術と組織力、それが今試されようとしています。確かに私たちは飛行機なんか作った事は無い!そして、飛行機という物が、これほど高級で作るのが難しくて大変な物とは思わなかった。だったら、この凄い技術を海軍の飛行機屋さんにしがみついてでも教えてもらって、自分たちのモノにするんだ。あの方々が求める以上の飛行機を作って、我々職人のド根性を見せつけてやろうじゃないか!」
社長の一喝の効果は絶大だった。
元より「真剣」「努力」「精進」の我が社の社風に支えられた職人たちは、海軍の航空技師さんの指導のもと驚異的な速さで航空機の製作技術を習得していった。
そしてそれを自ら培ってきた基礎技術と見事に融合させ木製零戦の惜しみなく注いでいった。
量産ラインは順調に流れ出し、ついに木製零戦の量産一号機は完成した。
公開試験飛行の日、木製零戦は爆音も高らかに空に舞い上がった。
そして木製機にもかかわらず。いかなる高等飛行にも十分耐えうる強度を持つ機体である事が実証されたのだった。
量産された木製零戦は、練習機として日本の空を飛び回った。
ああ、待て!待て!これで話は終わりじゃない。
夜間戦闘機として活躍した木製零戦の話を聞きたくはないか?
ワシは実は木製零戦に乗って戦った事があるのだよ。
えっ!?ワシはパイロットだったのかって?
いや、そうじゃない。
木製零戦を製造していた工場の下っ端の下っ端……、丁稚小僧だったんだ。
やっていたのは、子供ができる雑用だ。
とても航空機の開発に関わったと自慢できるようなモノじゃない。
だが、あなたが熱心に聞いてくるのでな。
つい、話を盛ってしまったんだ。
えっ!?分かってた?
年齢的に技術者であるわけが無い?
それでも、当時の体験者の生の声が聞きたかった?
なるほど、だが、このワシが木製零戦に乗って戦ったのは本当だ。
元々は練習機だった木製零戦が夜間戦闘機として使用された理由をしってるかね?
そうだ。練習機だったので、教官と生徒が乗るので複座だったんだ。
昼間に使用する単座戦闘機とは違い、夜間に航空機を飛ばすためには基本的に目視による航法が不可能になるので、パイロットとは別に航法を行う乗員が必要になる。
それで、複座の木製零戦が夜間戦闘機として使用される事になったんだ。
他にも、「月光」「屠龍」とか?夜間戦闘機があった?
ワシは木製零戦しか見た事なかったがな。
それで、ワシが木製零戦に乗って戦った理由だが。
工場のすぐ横に滑走路があった。
地面をローラーで圧延しただけの簡単な物だったがな。
工場で出来上がったばかりの木製零戦をすぐに飛ばす事ができた。
最初は試験飛行のためだっだ。
だが、戦争の終盤、アメリカの空母艦載機まで日本本土まで我が物顔で飛び回るようになった。
それで、工場にある滑走路も海軍の飛行場として使用されるようになった。
しかし、ウチの工場の空にはアメリカ軍機はなかなか来なかった。
戦後になってから分かったが、工場地帯から離れていて開戦後に建てられたウチの工場は、アメリカ軍は最初は知らなかったそうだ。
それで、本土への空襲が激しくなっていた頃でも、ウチの工場の周囲は平穏だった。
ある日の夜の事だ。
ワシは夜間の飛行訓練をする木製零戦の後部座席に海軍のパイロットに頼み込んで乗せてもらった。
もちろん、いけない事だが、どうしても木製零戦に一度乗ってみたかった。
工場で働いている人間の中では一番年下のワシは、他のみんなから息子や弟のように思われていた。
あのパイロットさんも、だから、ワシの無理な願いを聞いてくれたのだろう。
昼間では、すぐバレてしまうから夜間という事になった。
夜の空にパイロットさんとワシが乗る木製零戦が飛び立った。
パイロットには悪いが、最初は少し期待はずれだと思った。
その夜は曇りで、月も星も出ておらず。漆黒の闇の中を飛んでいた。
まるで目隠しをして飛んでいるようだった。
それでもワシは本物の軍人になったつもりで、警戒のため周囲を見回した。
空に炎が見えた。
「パイロットさん。誰かが空の上で焚き火をしているよ」
この時のワシは詩的な言葉や冗談を言った訳ではなく、感じたままを言った。
「何?どこだ?」
ワシが方角を言うと、木製零戦はそちらに向かった。
炎が近づいて来ると、その炎は飛行機のエンジンが燃えている炎だと分かった。
その巨大な飛行機の四つあるエンジンの一つが燃えていたのだ。
そう、その飛行機は超空の要塞B29だった。
そのB29は一機だけで飛んでいた。
B29は大編隊で都市を空襲するのだが、そのB29は損傷して味方とはぐれて、このあたりに迷い込んでしまったらしい。
「攻撃する。ボウズ。頭を下げていろ」
ワシはパイロットさんの言うことを聞かなかった。
初めて間近で見るアメリカの巨大な飛行機に目を奪われていた。
機関砲の音がした。
「だめだ!外れた!もう一回行くぞ!」
ワシらの乗る木製零戦は、いったんB29から離れると、旋回して再び向かって行った。
機関砲の発射音がまたした。
B29から新しい炎が出て、弾が命中したのが分かった。
B29の飛ぶ高度はだんだんと低くなって行き、近くの森の中に墜落した。
ワシが木製零戦に乗ったのは、それが最初で最後だった。
この時、ワシの乗っていた木製零戦がB29を撃墜できたのは、いくつかの幸運が重なったからだと、今は分かる。
あのB29がすでに損傷していて一機だけで、低空を飛んでいたからだ。
あの日本各地の都市を焼け野原にし、広島と長崎に原爆を投下した怪物のような機体とは、この一度だけ間近で見たワシには別の物のように見えた。
終戦後、木製零戦はすべて廃棄された。
木製零戦を生産していた電気メーカーは、戦後航空機に関わる事は無く、家庭用電化製品を製造して、ワシはそこを定年まで勤め上げた。
これが、ワシが木製零戦について話せる全部だ。
拙い話を最後まで聞いてくれて、ありがとう。
ご感想・評価をお待ちしております。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




