狐に御伽噺
その昔読んだ推理小説の一節を、功刀は思い出していた。「探偵というものは、事件に巻き込まれる運命にある。探偵がいる場所では、世界が歪み、人が狂う。殺人が起こるし、悲しい事が起こる。だから私は、外に出ない」ようするに、この探偵は外に出るのが億劫なんだろうな、と功刀は思った。泥棒とは大違いだ。
「どうして喋れるんだ?」
功刀は、「依頼」とやらの話に入るより先に、その事を聞いた。別段、どうしても知りたい、という程の事でもなかったのだが、礼儀として、聞くべきだとは思った。
「判りません」
カンラの答えは、簡単なものだった。「突然喋れる様になりました。半年ほど前です。ノコと出会う、少し前の事でしたね」
「突然、か」
「物事は、いつだって突然です。産まれてくる時もそうだったでしょう」
カンラがそう言った瞬間、足元が不意に揺らいだ。地面が揺れているのかと思ったが、そうではない。揺らいでいるのは、現実味を唐突に失った脳髄だ。眠りに落ちる直前の様な、現実味の無さだ。頭を抑えて、これは現実か? と自問する。喋る狐は、現実か?
「おかしいでしょうか」
「何が?」
「キツネが喋るのは、自然ではないですか」
「ごんぎつねも喋っていた様な、いなかった様な」
覚えていない。肩を揺らす。足元はいまだ、不確かだ。「オウムも喋る」と口を出す。その言葉に、カンラが微笑んだ様な気がした。
「貴方は、不思議な人ですね」
喋る狐に、「不思議」と言われるのは心外だった。褒め言葉だったのか、それとも貶されたのかも、判断が付かない。
カンラが、言う。「キツネからの依頼、というのは奇妙な話でしょうが、是非、貴方に受けてもらいたいです」
「依頼?」
聞き返してから、自分が何者か思い出した。そうだ、俺は『探偵』としてこの場に居るのだ。探偵という言葉は滑稽に思えたが、喋る狐程ではない。
「簡単な依頼です。ある人物について、調べてもらいたいのです。私は見ての通り、キツネですから、街中を歩き回る訳には行きません。保健所の方に捕まってしまいますからね」
「野湖に頼めばいい」
功刀は、ビニールの様なソファに腰を下ろしている野湖を指差す。野湖は、突然名指しをされた事に驚いた様子ではあったが、功刀は無視する。
「俺じゃなくても良い筈だ」
「調査というのは、探偵の仕事でしょう」
「さあな」
そうなのか? と誰かに尋ねたい気分だった。「なんにせよ、さっきも野湖に言ったんだが、俺は引き受けるつもりはない。野湖にやらせろとはもう言わないが、他の探偵を探せ」
「喋るキツネが居る。という事を、余り多くの人に知られたくは無いのです」
「自慢になるじゃないか」
「なりませんよ。見世物になるのがオチでしょう」
カンラは、人の業を呆れているかの様だった。
「もちろん、報酬は弾みますよ」
と、話を戻す。
「その報酬、後で葉っぱになったりしないだろうな」
あらかじめ、笑えないオチは潰しておくべきだ、と功刀は思う。「まさか」とカンラが笑った。「正当な報酬です。日本の紙幣ですよ。その点は、心配しないでください」
狐がどうやって日本の紙幣を用意するのだ、と胡散臭さも感じたのだが、それ以前に、喋る狐が調べたいという人物に興味が湧かない訳でもなかった。
「恩返しでもするのか?」
と、功刀は冗談半分で聞く。カンラは意味が判っていないのか、首を傾げた。
「罠に掛かった鶴も、舌を切られそうになった雀も、恩返しに向かった、そうだろ? 動物がわざわざ人を訪ねる理由が、俺にはそのくらいしか思い浮かばない」
言ってから、俺はなんの御伽噺に紛れ込んだ? と功刀は疑問に思う。喋る狐と平然と話している自分が、不思議だった。探偵と名乗っている自分が不思議だった。
「ああ、なるほど」
カンラが、納得いった、という調子の声を上げる。「恩返し。そういう考え方もありますね」穏やかな口調だ。
「昔話なんて知ってるんですか。ちょっと、子供っぽいですね」
先程から黙ったままだった野湖が口を挟んだ。
「俺も昔は子供だったからな」功刀は適当に返す。
諸事情により、更新ペースが落ちると思います。申し訳ありません。




