第一章「紅い眼・黒い瞳」・4
翼がいる保健室は校舎の五階。正門の方に窓があり、真咲はそこから飛び降りていた。
「……思っていたよりも早いご登場ですね」
真咲の姿をまっさきに視認できたのは白河だった。煙草の煙はゆっくりと立ち上っていた。彼の後ろには二ヶ月前と同じ、白い車が停めてある。さらに後ろには同じように純白の車体。
「シルフィード……」
「……ここに」
今までだれもいなかった白河の横に白い影が音もたてずに現われた。
「今回こそ仕留めてください」
「……御意」
シルフィードは静かに頷くと、
「――――」
呪文式が口から漏れ、シルフィードの両腕に幾何学的な模様が取り巻く。それは徐々に形を形成し、白銀の自動拳銃が顕現する。
トリガーにかかった指に力が込められる。
射線上には体育の授業があるクラスが整列をしていた。突然現われた白い車団を不審に思いいくども視線を投げている。だが、シルフィードの手に顕現したものが銃だとわかるとクモの子でも散らすように逃げまわった。
生徒たちがいなくなった先には黒髪をなびかせている真咲がいた。それはどこか美しく、戦乙女を連想させる。
「お前……人間を巻き込むつもりか……」
真咲はシルフィードを威圧するような口調で言い放つ。怒りがこもっているようだった。
「あなたを倒すのならば……」
決意の固まったとでもいうような台詞だ。こちらに感情は一切こもっていない。
「そう。それなら――――」
真咲の腕にも幾何学的な模様が取り巻く。形成されたものは漆黒の自動拳銃。
「いくわよ――」
「来い――」
二つの光が交錯した。
二つの人外の存在を梓たちはクラスの窓から確認することができた。
「ち、ちょっとなによ。あれ」
梓が外を覗き込むようにして見ている。
突然の銃声に授業は中断されて、生徒も教師も窓の外を見入っている。どのクラスでも同じようだ。
「と、言う前に翼はまだいないのか」
「それより、あれ何よ! 天城さんじゃないの?」
新明の能天気な発言に梓は叫ぶように言った。新明も窓の外に視線を走らせ……驚愕に目を見開かせた。
「……っ! 翼?」
新明の視線の先――校舎の壁際、端の方に翼が立っていた。
「ちょ、翼! 一時間目からいないと思ったら、あんなところに」
「そういや、真咲ちゃんが保健室に運んでたって聞いたけどな」
「それなら……」
なぜ、二人は外にいるのか。なぜ? なぜ?
白い光跡、黒い軌跡がぶつかり合う。弾かれ、弾き合い。引かれ合い、離れる。
激突。
爆発。
閃光。
そのたびに砂塵が舞い、校舎の窓ガラスがびりびりと音をたてて震える。
「疾ッッッッッッッ!」
「破ァァァァァァァ!」
いつの間にか二人の手には銃ではなく、真咲は片刃の剣、シルフィードは両刃の剣が顕現していた。
シルフィードの洋刀が打ち下ろされる。真咲は刃で受け流すと、柄を突き出した。それを見事な体捌きで避けると左手にもう一本顕現させた。
真咲は一瞬驚いた表情になったが、彼女も同じように片刃の剣を出現させた。
互いに新たに出した剣を撃ち合わせる。
反動で二人は爆発的な勢いで離れた。片手、片膝をつき着地。
まったく同じ、鏡に写したようなモーション。
着地点は土のグラウンドのため爆煙が立ち込めた。しかしそれも一瞬。煙は一瞬にして晴れた。中から拡散させられたのだ。
わずかひとっ跳びで二人の距離は狭まる。刃と刃の距離が零になった。三度剣を交える。さらに二度三度打ち合うとまたも反動で離れた。
「さすがね。伊達に『ヴァイス・エンジェル』やってないわね」
「あなたがその名を口にしないでください……」
「ふふ、汚れるって? 私が倒せたらそう言うのね」
真咲は翼にしたように不適に笑った。ただ態度が高圧的だ。そのまま両手の剣を軽々とシルフィードに投げつけた。シルフィードは簡単に受け流す。続いて放たれた銃弾を洋刀で切り落とす。半分になった銃弾はシルフィードの前に五セット落ちた。
「こんなもので、私を倒せるとお思いで?」
「いや……」
つぶやくような言葉が終わる前に、真咲はシルフィードの眼前にまで迫っていた。真咲はシルフィードの驚愕の表情がはっきりとわかった。
彼女の顔は不適に歪む。
「……全然」
火花。
閃光。
雷光。
連撃。
それを生み出す刃をシルフィードは見事に受け止める。さらに切り返す。
「やはり、不完全なあなたでは相手にもなりません」
さらに瞼が閉じられる。形成は完全にシルフィードに有利になっていた。真咲の表情が苦渋に歪む。今までは小手調べだったのだ。
「右腕……」
一瞬の隙をついて、シルフィードの手に握られている刃が真咲の右腕、ひじの辺りに吸い込まれる。
「あああぁ――!」
ひじを押さえながら真咲は無防備にも崩れ落ちる。
「まったく、どうしました? 刃で斬ってはいませんよ?」
確かにひじを打ったのは峰。しかしひじからは鮮血が滴る。音がするのではないかというほどに歯を噛み合わせている。
「お前……」
「どうしました? 我々の目的はあなただけではありませんよ……」
そう言うシルフィードの左手に白銀の自動拳銃が顕れる。
銃口の先は――翼。
そうまでしても無表情、無感情の声がなぜか凛とした響きを帯びた涼やかなものだ。
引き金にかけられた指に力が入るのが端から見てもわかった。その様子はスローモーションのように見える。
だが、自分の思考はいつもと同じ速度で回転する。さらに思考よりも先に体が動いた。
舌打ち。
背中に人外の羽が生える。軽く地面を蹴るだけで体は綿のように軽く、目的地に跳ぶ。
ダゥゥゥン!
銃声が遅れて届いてきた。もちろん音速と同等の速度で飛ぶ弾丸に追いつかれてしまう。
声を出す時間も惜しく、漆黒の巨大な翼をさらに大きく広げた。
鋼鉄の術式が刻まれた弾丸は悪魔の羽に弾かれた。
「翼ぁっ! こっちに!」
無傷の左手を翼に伸ばす。
翼は状況が飲み込めないままその手を掴む。
羽ばたく、羽ばたく。
広げれば優に二メートルは越えるであろう翼を羽ばたかせる。二人分の重さがあるにも関わらず、すぐに浮かび上がった。
「……逃がしません」
シルフィードはしつこくも飛び上がった二人に銃口を向けた。
「しつこいッ!」
真咲は殺意のこもった目で睨みつけ、顕現させた自動拳銃を撃ち返す。銃口からは異常なほどな光が溢れた。
閃光の中に聞いた最後の音はシルフィードの舌打ちと、白河のため息だった。
校舎内にも光は届いた。
「今度は何よぉ」
「お? 翼のやつどうなった?」
生徒のほとんどが窓から身を乗り出すようにしていた。授業は実質中断。終業のベルがなる始末。
光が引く。そこには何もなかった。白い車団が現われる前と同じ風景が広がっていた。白河たちもシルフィードも真咲も、翼ですらいなくなっていた。
「ちょっと、翼はどこ行ったの?」
「わからない。でも、何だったんだ。今の」
彼らにその理由はわからない。それを知るのはもう少し後のこと。
今はただ外を見ているぐらいしかできない。