第一章「紅い眼・黒い瞳」・1
折笠翼と天城真咲……二人が出会ったとき、その運命は大きく変わる…
悪魔の女と白河が対峙したときから二ヶ月の月日が経っていた。
春も終わりに近づき、多少湿り気を帯びた風が吹く。
木々も青々とした葉を出している。幅の広い歩道に今はアーケード状に伸びた木の枝が影を作っている。
歩道を歩くのは学生が大半である。男子はYシャツにタイ、灰色のズボン。女子はブラウスに赤のプリーツスカート。
学宮学園高等学部。それが、彼らが通う学校である。
「あー……朝はだめだ。俺」
折笠翼はそうぼやいた。切れ長の目が今は半分程度の大きさに開かれて、眠さを強調している。彼の特徴でもある脱色した金色に近い髪もいつもよりハネていない。
彼は周りにいる学生と同じ制服を着ている。学校があればどこでも見られるような登校の風景の中にある一コマだ。
「はは、しかもこの天気。最悪だな」
翼の隣にいた新明和貴も苦笑いを浮かべるだけだ。
晴天というのが最適な天候。まさしく雲一つなく、嫌味なほどに太陽はかんかん照りだ。
「……暑いぃ」
「大丈夫だ。校舎はもうそこにある」
新明が指を指した先には学校があった。
学校の校舎といえば白塗りの壁、そっけない窓といったイメージがありそうなものだが、学宮学園の校舎はどれもモダンな雰囲気がする全体的に赤茶色をした建物だ。どこか異国の風情を思わせる。
学校自体は創立二十年とわりとこの近辺では新しい部類に入る高校だ。偏差値もそこそこで、大学進学率もほどほどにある。そしてこの学校の最大の特徴は市内一区画まるごと学園となっていて、さながら学園都市といったところだ。先ほどの歩道も学園の敷地内にあるものである。また、学部が初等部から高等部まであり、希望者は所属の大学にも進学できる。ちなみに彼らの通う高等部は学園でも最深部に位置する。
やけに大きい高等部の正門を抜けると下足ロッカーに向かう。
「そういえば、今日、梓は一緒じゃないのか?」
「ああ、先に行ってるみたいだ。生徒会の用事があるみたいで」
「ふぅん」
翼が返事をすると、後ろから声をかけられた。
「何? あたしの話してたの?」
声の主は翼たちと同じクラスの倉本梓だ。童顔で大きな目。栗色の髪をボブカットにしている。クラスの中で異性同性を問わず人気のある少女だ。翼と新明の幼なじみであり、新明の彼女でもある。
「ん? 梓か。まあそんなところだ」
翼はそっけなく答えながら上履きに履き替える。
「なによー、翼。はっきりしない」
梓は頬を膨らませ、翼を小突いた。その間にも翼は先に進む。
「それで? 用事ってのは何だったんだ?」
新明が梓に並びながら訊く。
「ああ、今日転校生が来るのよ。それでクラスをどこにするかなってやつ」
「そんなので呼び出しか?」
「そう言われればそうねぇ。何かあるのかな」
梓はあまり気にしていないような口調で言った。
「ま、いいか。で、その転校生ってのは何組に来るんだ?」
新明の方は興味津々で話に食いつく。
「うちのクラスだよ」
翼の席は教室の窓際、一番後ろ。覚えやすい場所だ。
教室内ではどこから広まったか、転校生の話題で持ちきりだった。
翼は集まって話すクラスメートの間を抜けるようにして席に着いた。
カバンを机の横にかける。
「……隣は梓だったか?」
何気なく顔を上げると、同じようにカバンをかけている梓と目が合った。
「あれ? 翼」
梓もきょとんとした顔でいる。
昨日まで梓の席は翼の斜め右後ろにあった。それが隣同士ということは、
「なるほど。その転校生の席は俺の前か」
翼が改めて席を数えると一つ増えている。気が早いことだ。
「あ。そうだよ。確か名前は――」
梓が言葉を続けようとしたとき教室の扉が開けられた。立てつけが悪いのかこのクラスの扉だけがらがらと音が出る。
生徒たちがあわてて自分の席に戻る。
「じゃ、号令」
翼たちの担任の荒崎が入って来た。
「起立――」
日直が号令をかける。
「礼――着席」
がたがたと音を立てて席に着く。
「あ〜もう知っていると思うが、このクラスに転校生が来る」
ざわざわとしたどよめきのようなものが改めて起こる。
「天城真咲さんだ。じゃ、入って来ていいよ」
荒崎が声をかけると開けっぱなしだった扉の外から一人の少女が入って来た。はじめから一緒に入って来ればいいのだが、おそらく演出好きの荒崎がそうさせたのだろう。
腰まで届くほど長い黒髪。整った顔立ちで肌は白い。切れ長の目が少しきつそうな感じを出しているが近寄りがたいほどではない。全体的に見ても美少女の部類に入るだろう。
真咲は荒崎の横に立つと、クラス内を見回した。ざわめきが増す。
「天城真咲です。今日からよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
きれいな声だな、と翼は思った。
「え〜それじゃ、天城さんはそこの席に」
荒崎が窓際の列の最前を指差す。
「はい」
真咲は頷くと席に向かった。席に着こうとしたとき翼と視線が合った。
「へ?」
一瞬、彼女が翼に笑いかけた。しかし、本当に一瞬で誰も気づかない。
「あ〜一つ忠告しておくが、天城さんを質問攻めにして困らすんじゃないぞ。それと部活の不法勧誘もだ。いいな〜」
荒崎が釘を刺すように言う。
「わかってます!」
新明が妙に気合の入った口調で言った。
「特にお前に気をつけて欲しいんだがな。まあ、それだけわかりゃいいだろ」
「はい、大丈夫であります!」
新明はさらに気合を入れて答えた。
「はは、よく言うぜ」
「そ〜だね」
翼と梓は呆れたような表情でつぶやいた。
新明はクラスでもお調子者で通っていて、彼が気合を入れたときにはいい方にことが転ぶことがない。少なくとも翼が見た限りでは。
「どうせあいつが一番に質問攻めにするんだろな」
「まったく、浮気性なんだから」
梓は頬を膨らまして言った。
翼は苦笑すると、席の前の方にいる真咲の後姿を見た。今は新明の方を見て微笑している。
「けっこうかわいいかも」
「え? 何か言った?」
「いや、何でもない」
翼は頬杖をつくと窓から外を眺めた。