表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
sacriii!  作者:
1/1

プロローグ

─――…ああ、今日も疲れた。



ホームへ黄色い電車が滑り込む。目前の扉が開かれるや否や紗由里は待ち兼ねた様に車内へと走り、さも当然とばかり七人掛けの一番端を確保した。草臥れた座席は疲弊した身体に誂えた様にぴったりで、込み上げる侭に小さく息を吐く。

新宿発の下り線、加えて金曜日の終電ともなればその混雑具合は殺人的だ。後を断たない乗客の勢いに圧されてか、背広姿の男性が紗由里の目の前に躍り出た。吊革に捕まりながらも必死に紗由里と距離を取ろうとする様は何だか滑稽で、思わず目許が綻んでしまう。見れば彼もそんな様子に気付いたらしく、視線が交錯すれば困惑を帯びた苦笑を向けて来た。

鮮やかな金髪に爽やかな碧眼。日頃キャバ嬢やホストの行き交うこの街では別段珍しくも何とも無いが、雑然とした車内で彼は明らかに異彩を放っていた。

明らかに顔立ちが東洋人のそれでは無い。ゲルマンだかスラヴだか知らないが、兎に角そちら側のお国の人間だろう。嗚呼、或いはハーフなのかも。

彼の持つ妙な違和感に眉間を狭める。程無くして気付いてしまえば何の事はない、スーツが明らかに夜職仕様のそれでは無いのだった。漂う柔和な雰囲気からして夜職に従事する人間には見受けられず、かと思えば特にビジネスバッグを提げている風でもない。では何故こんな電車に乗り合わせているのだろうと云う疑問に行き着くのは至極普通の思考と言えよう。

此処ではたと気付く。この男、スーツの一番下のボタンを閉めている。

ますます訳が分からない。スーツを着なれていないにしてはやけに体躯にそぐわった仕立てであるし、しかし乗客の出入りが有る度に満員電車に翻弄されるその様はビジネスマンの身のこなしとも思えない。加えて頗るよろしいお顔立ち。…何だこの人。


…ああ、こんな謎イケメンと見つめあっている暇なんてないんだった。さっさとメールしなきゃ。

ブランドロゴが細かく型押しされた桃色のトートバッグから携帯電話を取り出し、一先ず未送信メールを開く。今日着いた順にお客さんの氏名と風貌、話題や特徴や会社名…思い付く侭に打ち込んで行った。

お次は電話帳。お客さんフォルダを呼び出して、来店日や指名数、来店回数を編集。序でに誕生日のチェックを終えて、漸くお礼メールの制作に取り掛かる。

…感じる視線を辿って上を向くと、先程の男性が興味深そうに手元を凝視していた。

ネイルを施した爪が珍しいのか、それとも携帯メールの早打ちがそんなに面白いのか。どちらにせよ些か居心地が悪い。徐に携帯をしまってから、腕時計へ視線を馳せた。カルティエのタンクフラ×セーズ。指し示す時刻に今頃どの辺りを走っているのか当たりを付けて、仮眠の体制に入る。電光掲示板は乗客の頭に埋もれてしまって、此処からではその片鱗すら窺う事が叶わなかったからだ。


牧瀬紗由里、大学4年生。アルバイトでキャバクラ嬢と企業の受付などを少々。別口でグラビアアイドルとしても活躍中、と言えば聞こえは良いだろうか。

黒髪ストレート――これは清純派として売り出そうと画策している事務所の意向であるが、これがプライベートでも中々好評だ。21にもなって清純派もクソも無いとは思うが、まあ良い。売りは化粧次第で大化けする童顔と、ミスマッチにも程が有る成熟した肢体だ。日本人離れした凹凸は好奇の視線を買う事も少なくないが、思春期よりこっち、苦楽を共にして来た本人にとっては最早気にならない程度になっていた。加えて紗由里の周囲には、似通った体型を持つグラビア友達が多かったからだ。


日中は大学の講義を受け、夕方からは舞台の稽古。日に依っては夜中からお店に出勤する事も有る。週末はファン相手のイベントや撮影会に当てられ、時間が空けば営業を兼ねて友人の舞台やファッションショーに足を運んだ。来週からはDVDの収録で海外に飛ぶ。今の紗由里は正にリア充と言って良いだろう。


抱えている仕事の全てが順調で、携わる物事が一つ残らず上手く進んでいる。大変結構、素晴らしい事ではないか。来月の舞台には著名人も多く観劇に来ると云う。此処で名と顔を売っておけば、きっと先に繋がる筈だ。その為にはもっと役を掘り下げ、演技に磨きを掛けなければ。

…それで。磨きを掛けてドラマに出演して、私はどうするんだろう。売れて、女優に転向して。それで、どうしたいんだろう。


思えば此処一ヶ月、まともな休息等摂れていなかった。思考が妙な方向に奔るのはきっとその所為だ。

さっさと眠ってしまおう。帰ったらメイクを落として熱いシャワーを浴びて、下らない考え事に時間を費やしている暇なんて無い筈だ。明日は大事な打ち合わせがある。一分一秒が惜しい。眠れる時に眠らねば。

宛ら企業戦士の様だと笑いが込み上げて、慌てて顔筋を引き締める。人目を遮るサングラスを掛けてから、紗由里は漸く目蓋を伏せた。

お手に取って頂きまして、本当にありがとうございます。作者にとって初めての小説となります。感想・誤字脱字のご報告・続きの催促(…あるのかしら)等々、お気軽にお寄せ頂ければと思います。

どの程度の長さになるか見通しも付きませんが…暫しの間、よろしくお付き合いくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ