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裕福な商人と七人目の妻

作者: 野間のまど
掲載日:2026/08/16

盆休み最終日に思いついて手癖で書きました。

 よくある話である。


 キャスリーン・ウェッジはある伯爵家の長女であった。


 母が夭逝し、父がかねてよりの愛人と再婚した。これがまた品性の欠片もないクソな女で(こう言った時に母についていた侍女からこっぴどく言葉遣い()()を叱られた)、その女が連れた義妹もこれまたどうしてこうなったというクソ娘だった。胸も平らな癖に男に媚を売る事だけは母親に似て一丁前。父とは全く似ていないのでこれはアレだなと思ったが、とりあえず面倒くさいので黙っておいた。

 それからはよくある、市井にあふれる安価な小説のような流れだった。


 物置だった部屋に押し込められ、彼女の持っていたドレスや装飾品は全て義妹の元へ、そして婚約者も取られた。


 そしてキャスリーン・ウェッジは辺境に住む──物語のように辺境伯などではない。家柄だけは古い、女好きで有名で、既に妻を六人娶っては離縁している強欲で狡猾な、裕福な商人の元へ嫁がされることになった。噂では太った醜い脂ぎった壮年男であるという。社交シーズンになっても王都に出てくる事はないので、本当の事はしらない。


 しかもキャスリーンの婚約者という男が王族の端っこにかろうじて引っかかっていたため、王命での結婚である。どこまで権力を私物化すれば気が済むのかと思いもしたが、キャスリーンにできることなどなにもなかった。


 せいぜい、侍女代わりに働かされていた時に、名ばかり家族の洗いたての衣服に折れた針を仕込んだり、ワインに酢を混ぜたり、母の形見であった宝石を取り戻すついでによく似た安価な石にすり替えたりした程度である。


 キャスリーンの母は生前に彼女に言って聞かせていた。あの男、曲りなりにも貴女の父親だがあの男、多分私が死んだら碌なことしかしないだろう。貴女は貴族という名に甘えてはいけない、誰かが貴女を幸せにしてくれるなんて露にも思ってはいけない。

 賢く、ずる賢く生きなさい。何か学びたい事があれば何でも言いなさい。そう言われたものだ。


 ご想像の通り、父母は政略結婚だった。そして運悪く気の合わない夫婦だった。


 だが父は母を不要な者としてだけ扱い、母は──父を潜在的な敵であると見なした。


 いっそ離婚でもしてくれよと幼いキャスリーンは思ったが、貴族の結婚も離婚も王宮に書類を持って申し出て、決済には一年以上の時間がかかるのが通例だった。ましてや、女の方からの離婚申し出はなおさらだ。ほぼ通る事はない。

 故に貴族女性の結婚においてまず女親が教え込むのは忍耐である。女三界に家なし。ついでにいえば、母は実家に戻るという選択肢も選ばず、病を得てこの屋敷で亡くなった。


『お母様はご実家を信用してなかったのかしら。まぁ顔も見たことない祖父母なんてしったことではないけれど』


 想像でしかないが、おそらく母は祖父母と結婚前か結婚後か知らないが、一悶着か二悶着、いや、それ以上の事があったのだろう。没交渉になっているのがその証拠だ。

 そんな事を、荷馬車の藁に埋もれながら考えていた。


 実家から荷馬車に積まれて二泊三日。ご丁寧に傭兵の女剣士の護衛付きである。そういえばこれ王命の嫁入りだったわとキャスリーンは思い出した。たとえ荷馬車の荷物であろうが、乗車中は革紐で縛られていようが、花摘みにも女剣士がついてこようが、これは嫁入りなのであった。


「剣士さん、あの家だよ」


 荷運びを生業としている男は、そこそこのドレスを着た女が縛り上げられて荷物のように積み込まれても眉一つ動かさなかった。女剣士も同様だ。自分のような身の上は珍しくないのかもしれないとキャスリーンは思う。この国やっぱロクでもねーな。


 女剣士が体を起こして、御者の男が指さす屋敷を見せてくれた。


 キャスリーンは猿轡をされたまま息を飲んだ。でかい。なんだこれ城か砦か。そう言いたくなった。とにかく王都の王城よりは、それは小さい。あれは小さな国がひとつ王都の中にあるようなものらしいので別格だろう。それにしても塀に囲まれた屋敷は、門の前からでも遥か遠くに見える。というか、その場から塀の端が見えない。


 荷馬車が正門から入れてもらえるはずもなく、そのまま長い時間を掛けて正門から塀の周りを回って裏門、業者の出入り口する方へと馬を走らせる。その間にキャスリーンは寝落ちするかと思った。


 そうしてあれよあれよというままに革紐で縛り上げられたまま、評判の悪い商人、七人目の妻を迎えようとしている醜い中年男──バルタザール・カザルの前に引っ立てられたわけである。なんだこれは、わたくしは罪人か。そうキャスリーンが思っても仕方がない。


「お前がキャスリーン・ウェッジか。お前の悪女の名はこんな辺境にまで轟いているぞ」


 たしかに太っている。頭髪の方もちょっぴり寂しん坊で、肌も荒れている。

 だがその服装は大きなその体にきちんと合わせて仕立てられていて、生地も上質なものに見える。寂しがりな頭髪もきちんと整えられていて清潔感があった。


「王宮より傭兵ギルドへの依頼だ。この女性をここに連れてくるように承った。この書類に受け取りのサインを。これで私の仕事は終わる」

「承知した。遠路はるばるごくろうなことだったな」


 荷運びの男は裏門でさっさと振り返ることもなく去っていった。そしてこの傭兵の女も受け取り書にサインをもらうとさっさと出ていった。私は荷物なんだな、とキャスリーンはもはやしみじみしてしまった。


 人が去った。バルタザールの後ろには従者が一人控えているだけで、後は誰もいない。バルタザールは億劫そうに席を立ち、窓から表を眺め、それから従者に目線を向ける。彼は小さく頷いて、無言のままキャスリーンを戒めていた革紐を解いた。


「……まったく、あの王家はうちを最終廃棄物処分場か何かだとでも思っているのか」

「噂というのは恐ろしいものですね、旦那様。キャスリーン様、ご楽になさってください。そちらのソファへ。すぐ茶をお持ち致します」

「アッハイ」


 来客用のふかっとしたソファは、キャスリーンにとって久しぶりの感触だった。後妻が来てからこちら、キャスリーンは家族の集うサロンに足を踏み入れたことも、まともなソファやベッドに横たわることもなかった。だからこそ二泊三日の藁ベッド旅でも平気だったのだが。


「さてキャスリーン・ウェッジ嬢。先ほども言ったが君の悪名はここにまで轟いている。再婚して出来た義妹をいじめているとか、家内で好き勝手なわがまま放題をしているとか、亡き御母堂の遺産を使い果たしたとか、王弟の妻君の従姉妹の娘の息子の婚約者を裏切って男遊びに興じていたなどなど……」


 何度聞いても陛下の弟の奥さんの従姉妹の娘の息子はもう王族の端っこでも端っこの王族でもないだろう他人だろうとキャスリーンは思う。なぜあの男はああまで王族であると高圧的だったのか、未だに謎だし、顔も普通だったあの男の何が義妹は良かったのだろうと思いを馳せてしまう。


「で、どこまでが本当だね?」

「は」


 唐突にそう返され、キャスリーンは間の抜けた声が上がった。


「俺の噂は聞かされただろう? でなければ嫁入りさせる訳がないんだ」


 バルタザールは正直にどうぞ、と両手を広げ、キャスリーンに促した。


「ええと……失礼ながら申し上げます。女好きで有名で、既に妻を六人娶っては離縁している強欲で狡猾な、裕福な商人だと耳にしております。離縁した妻を売り飛ばしているとも」

「完璧だな。俺が流させている話そのものだ」

「さ、左様でございますか」

「で、君にまつわる噂はどこまでが本当だね?」


 キャスリーンはなんとなく、これは正直に言っていいパターンだなと直感した。それにここまでくれば処刑台の上の罪人(まな板の上の鯉)だ。どうとでもなれと、キャスリーンは正直に話すことにした。ちょっとだけ居住まいを正す。


「わたくしの噂に関して正しい事といえば、陛下の弟君の奥様の従姉妹でいらっしゃる方のお嬢様がお産みになられた方が元婚約者であったという点だけですわ」

「これはまた、今までに引けを取らない噂をでっちあげてきたな。それに、こちらの調査とも合致する」


 えっ、と驚くキャスリーンの様子に気を払う事もなく、バルタザールは従者の手から数枚の書類を受け取った。


「キャスリーン・ウェッジ。ウェッジ伯爵家の長女。母はパトリシア・キャスリング。キャスリング侯爵家の三女であらせられた方だ。そしてウェッジ伯爵家へ嫁がれたが、夫婦仲は良好とは言いがたかった。お互いにプライドが高かったようだな」

「えっ、お調べなのですか、閣下」

「貴族令嬢に閣下と呼ばれるような身の上じゃあないな。うちは歴代、金を稼ぐのと仕事が好きなだけが取り柄の平民だ。そしてパトリシア様が五年前に病死された後、後添いとして来られたのがクレオ・サールビー。ご結婚直後からの愛人だったようだな。だから義妹もそんなに年齢が離れていないわけだ」

「……二つ違いでしたわね」


 胸は幼子のようであったとは流石に口にしなかった。


「君のご父君は良くも悪くも何の評価もないな。領民にとってはいてもいなくても変わりのない人、仕事上でも重要な役職なわけでもないし、社交界でこれといった役割も噂もない。まぁ後妻に良いように家内を乗っ取られてるだけで、仕事ができないのはわかるが」


 クソですのでね、とこれまた口にしなかった。だが目前のバルタザールは器用に片眉を上げて「クソだな」と言い捨てた。商売人からしても無能という事だろう。


「あと陛下の弟君の……面倒臭いな、端っこギリギリ王家に引っかかってる元婚約者、テオス・ブルームは……これ言ってもいいかね?」


 後ろにいる従者に確認を取っている。彼は書類に目を落とし、キャスリーンに向けはっきり言った。


「このテオス様は小児愛好者でございますね。つまりドクソです」

「しかも煮詰まったドクソだな」


 だからか、と膝を打ちそうになった。結婚可能な年齢にぎりぎり引っかかっている義妹・十五歳のぺったんこアリスはあの男の趣味ぴったりと言うことだ。


「というわけでおめでとうキャスリーン・ウェッジ嬢。君は煮詰まったクソな実家から無事逃げ出せたわけだ。そして当家は王家からなぜか最終廃棄物処分場と勘違いされている。意味がわかるかね?」


 キャスリーンは目の前に出されていた茶に口をつけた。一口飲む間に考え繕わずに口に出した。


「王家から悪評高い貴族の娘たちを押し付けられて迷惑している……?」

「その通り」


 バルタザールも砂糖を数杯入れた茶に口をつけ、出された茶菓子を口にぽいぽいと放り込んだ。


「一方的に問題のあるとされている令嬢を送り込まれるこちらの迷惑も考えてほしいんだがな」

「それは、失礼ですが花嫁代を支払わされる事が、でございますか」

「それもあったりなかったりだな。例えば君には一銅貨も払っていない。こちらが払う方に形になるパターンもあるが、大体はご令嬢本人に対する罰や嫌がらせで俺に嫁がせるんだよ」


 罰ゲームか俺は! とバルタザールは叫んだ。そりゃ叫びたくもなる。嫁がされた本人ではあるが、それはあんまりにも失礼なのではないだろうか。


「そして俺にとって、若い娘が嫁いでくるのは何ひとつ嬉しくない」

「熟女好きでございますの?」

「そういうワケでもない。俺は男しか愛せない人間でね」

「それは……その、わたくしが申し上げるのもおかしな話ですが、迷惑ですね!?」

「ほんっっとに迷惑なんだよ」


 同性同士の恋愛がご法度という事は、この国ではない。けれど婚姻制度に組み込まれているわけでもなく、社会的に大っぴらに認められているというわけでもない。なのでバルタザールのように初対面の相手に公言することはほぼありえないことだが──よほど、よっぽどうんざりしているのだろう。


「ちなみに今まで離縁した六人の妻たちは、他国の商人に嫁いだり、他国の貴族家の高位メイドとして就職したり、うちの商会で働いてたりする」

「そうですのね……まるで慈善事業……」

「やりたいわけじゃない。だが俺の嫁になってもらったとて、家でボーッとさせておくわけにもいかんだろう。暇そうだったから色々教えてやったり勉強させてやったら、自然とそうなっていった」


 最終廃棄物処分場且つ職業訓練場である。バルタザール本人にそのつもりは毛の先ほどもないだろうが、結果としてそうなってしまっている。


「いわゆる悪女もいたにはいたな。王都の社交界を騒がせていた女だと先王妃殿下の兄嫁の弟の息子から婚約解消されてここに送られてきたご令嬢もいた」

「それはお気の毒に……」

「三日荷運びさせたら何でもやるから許してくれと泣きだしてな。礼儀作法を一から学び直しさせて勉強もやり直しさせて、今じゃ帝国の王宮で女官として出世している。気の強い女性は仕事ができるとああいう場で水を得た魚のように働くからな」

「適材適所を見抜かれていらっしゃるわけですわね」


 あのご令嬢かな、と頭に浮かぶ名前はあった。一時期、義妹が社交の場から帰ってくる度に憎々しげに上げていた名前である。エロ親父に嫁入りさせられたそうよと嬉しげに騒いでいたきり、その名前は聞かなくなった。


「さてそういうわけで手の内は明かした、もう面倒くさいんでな。キャスリーン・ウェッジ嬢。あんたは何ができる? または何がしたい? どこかに嫁ぐ希望があるなら、二三年待ってもらう事になるが宛は探してやるが」

「そう……ですわね」


 今までの十七年の人生を振り返る。十二歳はでは普通のご令嬢だったが、学んできたことが少し普通でない自覚はある。

 礼儀作法、ダンス、外国語、刺繍に領地経営。そんな物は貴族令嬢として当たり前に学んで来た。

 だがキャスリーンにとって楽しかった学びは他にある。けして褒められる内容ではないが──実家・ウェッジ家に残してきた母の形見を取り戻すには役立つかも知れない。


「申し上げます──錠前破りを学びたいのです」


 実家の庭の奥、屋敷内の金物を一手に作る職人は、元は鍵師だったという。息抜きに手ほどき程度はしてもらった。家中の鍵を開けて締めてまわった。あの高揚感が実は忘れられない。


「……なんだって?」

「錠前破りでございます。わたくし、鍵師になりたいのです」


 後ろに立つ従者とバルタザールは目を見合わせた。そして再び


「なんて??」


と返したのだった。


 あまり、よくある話ではないかもしれない。

8/17

[日間]ヒューマンドラマ〔文芸〕 - すべて 68 位

[日間]ヒューマンドラマ〔文芸〕 - 短編 58 位

頂きました。読んでいただいてありがとうございます。

誤字報告もほんっとうにありがとうございました…!

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