居ぬ無き。
この世には
見てはいけないモノ。
聞いてはいけないモノ。
触れてはならないモノ。
そして、足を踏み入れてはいけない場所が確かに存在する。
これは、最後の足を踏み入れてはいけない場所に踏み入ってしまった僕の過去の御話。
2001年
ミ゛――ン、ミ゛ンミ゛ンミ゛ィ――
「あっつ」
僕は夏の暑さを少しでも追いやろうと、うちわをパタパタさせながら車のドアを開けた。
車内から更に灼熱の熱気が僕を襲う。
此処はパチンコ屋の駐車場。
朝一で僕は、給料も入ったばかりという事もあり、毎月恒例の運試しに繰り出したのだが、………結果惨敗。そして今は、へこんだ心に追い討ちを掛けるような熱気の塊と格闘してる最中である。
なんとか車内に乗り込むもエアコンは前から壊れている為、すぐに窓を全開に開け放つが、結局は暑い。
少しでも涼しい所に行こうと車を走らせた僕は、給料日だというのに、いつもの大衆食堂に車を突っ込んだ。
金が無いのだ。
その安さが売りの食堂でも更に安い素うどんを食べていると、突然ポケットの中が騒がしく鳴った。
ティーンティンテンテテテン
16和音の着メロが店内に鳴り響く。
電話の相手は友人の聡だった。
僕が給料日だという事を聞きつけて電話して来たらしいが、生憎そんなモノはもはや無い。
勿論遊びの誘いも断って、家でゲームでもしながら引き籠もるつもりだったのに、我が悪友はそれをも考慮に入れていたのか、「お金は要らないから夜になったら迎えに来い」と、言うだけ言って電話を切った。
聡はいつも突然で、いつも自分の意志を押し通す。
でもまあ、それは昔からで、そんな事も解ってて友達やってるので、言われた通り僕は夜に聡を迎えに行くのだが………。
*
日もすっかり落ちて、涼しくなった。
夜の街のネオンが港の海に反射している。
僕は聡の家に着くと、勝手に玄関を開けてお邪魔した。
「おおっ、シン遅かったな」
家主の聡がゲームをガチャガチャしながら振り向きもせずに言葉を飛ばした。
そして、その周りには見覚えのある、顔があと二人……
ナオキと、トシが一緒になってゲームをしていた。
*
僕は聡の言う方角に向かって車を走らせていた。
助手席には聡。後ろにはナオキとトシも乗っている。
目的地は、犬鳴峠。
犬鳴峠には犬鳴トンネルと呼ばれる所があって、そのトンネルに一歩足を踏み入れると、ワンワンと犬の鳴き声が聞こえるとか……。
その真偽を確かめたいとトシが言い出したので、みんな集まったらしい。
そして僕達は犬鳴峠に到着した。
僕が車を適当に停めようとしたら、後ろからナオキが山の隙間に見える獣道を指差した。
「ちょっとあんなとこ行くのかよ?」
「この車なら行けるって」
僕はナオキに言われるままに車を獣道に突っ込んだ。
物凄い獣道だ。
木の枝がバンバン車体にぶつかる。
道が悪すぎてハンドルもかなり捕られる。
上下の揺れを感じる度に、隣で聡がオエッっとなっていた。
………一瞬道が開けた。
だが、その瞬間僕はそっとアクセルから足を離した。
冗談じゃない!
左も右も崖になっている。
ギリギリ車一台分の足場の上を僕は走っていたのだ。
あとタイヤ半分。
あと半分右にいっても左にいっても僕達は死ぬ。
僕はそのままバックも出来ずにそーっと真っ直ぐ進んだ。
*
「どうゆうことだよ!」
目的地の犬鳴トンネルに着いた僕は、怒鳴っていた。
「あんな道、判ってて帰れるか!」
「ごめんって、前はあんな道じゃなかったはずなんだけど」
獣道を進む様に指示を出したナオキが謝る。
だが来てしまった事は変わらないし、僕はどうせならトコトンが心情だ。
「まあ、せっかくだから調べようぜ」
僕は現地を見回した――が、トンネルなんて何処にも見あたらなかった。
僕がナオキを睨むと、聡が先に僕の思った事を口にした。
「トンネルってどこなん?」
ナオキが答える。
「ああごめん、このブロックの中が犬鳴トンネルなんだよ」
目の前は行き止まりの様に見えるが、よく見るとブロックが積み上げられていた。
高さは4メートル位か、結構高い。
だがその更に上には人が入れるだけの隙間がかろうじてあった。
僕達は車から懐中電灯を取り出すとみんなでブロックをよじ登った。
僕は何か違和感を感じて、途中で後ろを振り返ると僕達以外の車が置いて有ることに気が付いた。
「僕達以外にも誰か来ているのか」
僕は少しだけ安心して残り半分を登りきった。
*
真の闇。
それは其処に生じる全ての光を嘲笑うかの様に喰い尽くす。
一度そこに足を踏み入れてしまえば、もはや光など無力である。
*
なんとかブロックをよじ登ってトンネルの中に降りた僕達の目は、一切のモノを写さなかった。
みんな慌てて懐中電灯に明かりを付ける。
そうしてお互いを照らし合う事でなんとか冷静を保った。
――その時。
僕達の耳にソレは、はっきりと聞こえてきた。
聞こえてきたのは犬の鳴き声。
ワンッ…ワンッ…ワンッ
ワンッ…ワンッ…ワンッ
ワンッ…………
「ほ……本当に聞こえるぞ」
トシが怯えて一言呟くと、僕達の中に緊張が走った。
………
ピチャン
「ひっ!」
聡が足元の水溜まりに声を上げた。
僕も正直怖かった。
目の前の道を確かめたくて、懐中電灯の光を飛ばすが、光は儚く闇に喰われる。
なんとか足元だけでも照らそうと心掛けるが、湿気でぐちょぐちょになった地面と水溜まりが続くだけだった。
その間ずっと犬の鳴き声は響き渡っている。
「なぁ、犬がどっかに居るんじゃないか?」
「それが探しても居ないから犬鳴峠って名前付いてるんだよ」
後ろの方で聡とトシが意味のない会話をしている。
とゆう事は、隣を歩いているのはナオキなんだろう。
ナオキは無言で歩き続けていた。
どれだけ歩いた事か………。
「………もう嫌だ、帰りたい」
言い出しっぺのトシがギブアップした。
「じゃあ、俺がトシ連れて帰るよ」
聡が都合よく一緒に帰る役を買って出た。
「ナオキ、どうする?」
僕がナオキに話を振るとナオキは一言。
「俺、一人でも先に進むわ」
――と、言いのけた。
僕も同感だ。
せっかく此処まで来たんだからトコトン行くっちゅーの。
僕とナオキは二人でトンネルを進んだ。
ワンッ…ワンッ…ワンッ
ワンッ…ワンッ…ワンッ
ワンッ………
僕は真の闇と静寂、それに犬の鳴き声に圧されて口を開いた。
「初めは風の音だろって思ってたけど此処まで来たらそれもあやしくねー?」
「………ビビってんのか?
ここはまだ入り口だ。
前に来た時は石碑までは行った」
「石碑?」
「ああ、犬鳴トンネルを抜けると大きな石碑が在るんだ。
そこで道は二つに別れる。
左に行けば車道に出て犬鳴ダムに抜けるけど、俺は今回右に行きたい」
「右に行くと何処に行くんだ?」
僕は真の闇の中でナオキの顔は見えないが、明らかに目の色が変わるのを感じた。
「犬鳴村だよ」
僕はこの時、無理やりにでもナオキを連れて引き返しておくべきだったのかもしれない。
*
僕はナオキと犬鳴トンネルを抜けた。
闇の中には違いないが、微かに木々の間から月明かりが差し込む。
真の闇に比べればそれは眩しい程だった。
いつの間にか犬の鳴き声も聞こえなくなっている。
その代わり――。
目の前にはトンネルの高さと同じくらい大きな石碑が月明かりに照らされて聳え立っていた。
その石碑は全くといって統一性のない形をしており、まるで雷に撃たれてえぐり出た岩をそのまま置いたような形だった。
その表面には何か文字のようなモノが書いてあるが、見たことのない文字の為それを読むことは出来ない。
「なんて書いてあるか知ってるか?」
僕は何となくナオキに訪ねた。
「確か……
この先居ぬ無き村。
人は居ない。何も無い。ただ怨念だけが渦巻く村………だったかな?」
「!!!」
「冗談だよ」
こいつの余裕はどっから来るのか、僕は心底ナオキの怖いもの知らずに呆れた。
*
僕とナオキはやはり右の道を進んだ。
獣道とまではいかないがやはりそれは山道で、月明かりが無ければ何度も転んでいる事だろう。
時々ガードレールも無い崖が横に広がり、その高さに息を呑んだ。
しばらく登ると道の奥に人影らしきものが見えた。
「誰か居るのか?」
僕が呼びかけると、無言で女の子がフラフラと歩いて来た。
女の子は僕等と同い年位、18歳位か、顔は青ざめていて、具合が悪そうだ。
僕が女の子に近付こうとすると、ナオキにそれを止められた。
その行動は怖いもの知らずのナオキにしては珍しく、だからこそ僕は過度に身構えた。
女の子は僕等の前にうずくまると、いきなり胃液を吐き出した。
*
「ふぅー、良かった。
人が居てくれて」
女の子が喋った。
当たり前の事だが、もはや恐怖に支配された状況では、それがどれほど安心に繋がるか。
「人間ですよね」
「当たり前でしょ?」
「こんな所で何を?」
「肝試し」
「一人で?」
「うん」
「君、名前は?」
「フミ」
僕は職務質問の様に女の子を質問責めにした。
フミと名乗った女の子も犬鳴村を目指していたらしい。――が、道中寒気と吐き気を催して、戻って来たのだそうだ。
そこで僕達に出逢ったのだが、堪えきれずにもどしてしまったらしい。
村の存在は確認出来てないが、必ず村は在ると言い切っていた。
ナオキが先に進もうとすると、フミは一緒に行くと言い出した。
僕達は三人で犬鳴村を目指す事になった。
*
僕等は暫くの間山道を歩いた。
フミが言っていたように奥に進むにつれて段々と寒くなってくる。
目の前ではナオキが白い息を吐いていた。
まさかと思い目を擦ると、ナオキが白くなっていた。
フミも白くなる。違う。
僕の息が目の前を白くしている。
うっ。
急に吐き気がしてきた。
目が霞む。
それでも。
一歩一歩。
一歩一歩。
僕達は一歩一歩進んだ。
ナオキがいきなり肩を叩いた。
「おあぁっ!」
「しーっ」
僕の目の前に一軒の小屋があった。
「家?小屋?どっちにしても凄く古いぞ、えっ、マジ!?マジか!?此処が犬鳴村!?」
小声で取り乱す僕を置いて二人はフラフラと前に進む。
「ちょっと待てよ。訳わかんねぇって。この家なんなんだよ」
僕は取り乱しつつも二人を追い抜いて段々畑の高いところから道の先を見渡した。
ぽつり、ぽつりと家らしきものがあと二軒。
まだ奥にもあるかもしれないが此処が犬鳴村と呼ばれている所だろう。
ワンッ…ワンッ…ワンッ
ワンッ…ワンッ…ワンッ
ワンッ………
!!!
更に畑の高いところから犬の鳴き声がする。
トンネルのと全く同じ鳴き声で。
犬が居るのか?
でも………。
僕は民家を見下ろした。
入り口には蜘蛛の巣が張り付き、木材は腐敗し、至る所からキノコが生えて、人の気配は全くない。
山犬か?
僕はフラフラと歩いて行く二人を横目に、それを確かめようと畑を駆け上った。
「!!!」
「おや?珍しいの人か? 悪い事は言わん。早く引き帰りなさい」
「お爺さん!?ここの人ですか?あのっスイマセン、此処は何処ですか?」
そこには確かにお爺さんが居た。
そして手には犬を繋いでいる。
一人なのか?一体、何処に住んでるんだ?本当に人間か?
そうこう考えるうちにお爺さんが僕の後ろを指差す。
恐る恐る振り返るとナオキ達が二軒目の小屋に入って行った。
僕は外に置いてけぼりが心細くてその小屋に走った。
横目にお爺さんの存在を意識していたのに、気が付くとお爺さんが消えている。
背中に悪寒を感じる。
「ナオキっ!
なんもない所だし、さっさと帰ろうぜ!」
僕は恐怖を大声で祓おうとしたんだ。
…………。
ただ木霊も返らない。
小屋の中は更に暗く。
目の前に有るのは、囲炉裏か?………それに、タンス。その下には………知ってる顔が二つ。
その二つは何かを覗いていた。
………写真?
いつのだ?
シロクロ。
そこには少女と、母親らしき女性。
母親は優しそうに微笑んでいる。
少女は……………………………………………!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!少女の瞳がっ!!!!!!!!!!!!!!!!
こっちを見た!!!
「ギャアァァァ――!!!」
僕は叫びながら二人の手を引いて外に出る。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
走る。走る。走る。走る。走る。
段々畑の上から有り得ないモノが降って来た!
犬の首。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
それが飛んできた方を振り向くと、
人の姿をしているが人では無いものが立っていた。
赤い甲冑を纏った落ち武者。
僕は握った手を強く握った。
知らないうちに周りでは沢山の人ではない人が逃げ回っていた。
「誰だよ!!!」
息を呑む間も無くそれらは目の前に現れた赤い甲冑の落ち武者に次々と首を跳ねられていく。
ヤ…メ…テ…ク…レ…ヤ…メ…テ…ク…レ…ヤ…メ…テ…ク…レ………
ヤ…メ…テ…ク…レ…ヤ…メ…テ…レ…レ…ヤ…メ…テ…レ…レ…ヤ…メ…テ…レ…レ…ヤ…メ…テ…………
落ち武者の持つ白刃が僕に向かって振り下ろされようとする。
「あ゛あ゛あ゛ぁーー!」
*
………気が付くと石碑の前に居た。
其処には二人。
僕とフミ。
僕は頭がおかしくなったのか?
ナオキは何処にいったんだ?
間も無く。
ダムに抜ける左の道から自分の車が走って来た。
「よっシン、フミちゃん。犬の鳴き声したろ?」
聡が運転席から顔を出した。
「聡、ナオキは?」
「ナオキ?今日は呼んでないぞ?」
「この子は?」
「フミちゃんじゃん。トンネル入る前に出逢っただろ?………怖がらせようったってもう朝だよ」
「そうか………」
僕達は聡の運転に身を委ねて帰路についた。
アレは一体なんだったんだろう。
僕は誰と一緒に居たんだろう。
僕が最後に犬鳴村へと続く山道に目をやると、其処に道は無かった。
*あとがき*
居ぬ無き村。
実際には存在しない犬の鳴き声が年中響く為、犬鳴村とも言う。
犬鳴峠は福岡の筑豊地方に実在し、トンネルも村も、勿論ある。
村は、昔の名残で集落が点々としており、その殆どがダムの底に沈んでます。とっくの昔に廃村となり記録によると人は居ません。
尚、犬鳴旧トンネル以降は、無断で入ると法律や条例で処罰になりますのでよい子のみんなは絶対に真似しないで下さい。
僕も二度と行きません。