12話 内部通報
「澪、聞いてよ。ひどいんだから。」
「朱音、どうしたの?」
「私の職場の係長、50歳ぐらいのおじさんなんだけど、この前の飲み会で、帰る方向が一緒だからタクシーに一緒に乗って帰ろうと言ったの。まあ、職場のみんなも、その方がいいよと言うし、楽だからいいかなと思って、係長が乗っているタクシーに乗り込んだんだけど、その後、何が起こったと思う?」
「交通事故とか? でも、朱音は怪我はしていないし。」
「それがね、係長、私のモモに手をのせて、足をさすったの。気持ち悪いでしょう。セクハラよ。本当に気持ち悪くて、帰ってから1時間以上、シャワーで洗ったけど、今でも、その気持ち悪い感触が消せないのよ。何してくれるのよって感じ。」
「信じられない。今どき、そんな人がいるなんて。」
「それでね、今日、人事部にセクハラだと内部通報しておいた。」
朱音は、曲がったことが許せない、すごい正義感が強い人。
優柔不断で迷っている私にも、いろいろと正しいことを教えてくれた。
でも、それが朱音の柔軟性を奪って、堅苦しい生活を過ごすんじゃないかと心配。
特に、今回、内部通報なんてことをしてしまって、大丈夫かしら。
「そういう人は会社から排除しないととは思うけど、内部通報なんてして報復とかされないかしら。」
「これは人間の問題だから、澪には頼らない。私が、毅然として戦うんだから。」
「そうなんだけど。」
その内部通報を受けて、社内では何人も人事部に呼ばれていく。
なにかヒアリングを受けているように見える。その係長と接点がない私は呼ばれていない。
誰が呼ばれ、何を言ったのかは一切秘密になっていて、統制が敷かれているように見える。
その1ヶ月後、どういうわけか、琴葉の5日出勤停止の発令が人事速報に掲載された。
そして、私の開発部門に配置換えとなる。
異動を希望したわけではないと朱音は言っていた。
懲戒処分は履歴書に残り、しかも、出勤停止で給料が減るらしい。
すべて朱音だけが悪いということで決着されたと朱音は泣き叫んでいた。
朱音が文句を言っていた係長は、何も変わらずに開発部門で係長を続けている。
私から見ても、朱音だけが処分を受けたというように見えた。
「朱音、内部通報したせいで、嫌がらせを受けたということ?」
「本当にひどい。しかも、私が悪いことになっているのよ。人事部からのヒアリングで、係長は既婚者でありながら、私から積極的に誘われて、断りきれずに付き合っていたと発言したと説明を受けたの。そして、私から肉体関係を求めていたから、足をさすったのは両人の合意の上だろうって。その時は、私は、やっと期待に応えてくれて喜んでいたと係長から聞いたぞと言われた。」
朱音がそんなことをするはずもない。
しかも、係長を後で見たけど、とても女性から好かれるタイプとは言えない。
というより、なめくじのようで、ねっとりとした気持ち悪いタイプ。
「その後、係長が不倫は続けられないとして、私に別れ話しを切り出し、私が、納得できないと騒いだ。結局、別れさせられて、それを不満に思った私が、係長に報復しようとして、内部通報をしたんだろうって。不倫は、当人の問題だから会社は関与しないけど、復讐のために内部通報を利用することは懲戒処分に値すると。」
それはひどい。当社は、役職者の味方とは思っていたけど、そこまでとは思わなかった。
「そもそも、あんな、ガマガエルのような係長と肉体関係があったことになっているなんて、恥ずかしくて会社に行けない。しかも、私から、係長を誘って肉体関係を持ったことになっているなんて、それこそがセクハラよ。人事部は、ヒアリングの最後に、昇進したいから女の体を使うなんて卑劣だけど、それも失敗したんだねと、皮肉な顔で笑っていた。私は、そんな風に見られていたと、本当にショックだった。」
朱音は、両手を目に当て、顔を隠す。手は濡れているように見えた。
「こんなひどいことをする会社とは思っていなかった。このことは、労基署に訴えて、私の潔白を証明してやると会社に言っておいたわ。」
「そんなことをしたら、会社から、もっとひどい報復を受けてしまわない?」
「労基署の名前を出せば、会社なんてビビるのよ。きっと、土下座して謝ってくるから。」
「大丈夫かしら。」
怒りに満ちた朱音の顔は、日頃よく見る霊より、苦しみに満ちている。
遠くをみて、絶対に復讐をするという決意が見えた。
その1ヶ月後、朱音にまた災難が降りかかる。
当社の重要顧客に提供するシステムに重大なエラーが出て、その原因が朱音にあるらしい。
その結果、その重要顧客の工場の製造ラインが3日間止まり、1億円もの損害が発生した。
朱音は、高野という社員のミスで、自分は関わっていないと主張したらしい。
でも、会社側は、朱音の責任だと認定し、朱音はお客様に謝りに行く毎日を過ごす。
お客様の職場では、誰もが朱音を罵倒し、当社に損害賠償をすることにした。
1億円もの損害賠償請求を受けた当社内では、誰もが朱音を罵倒した。
廊下でも、朱音が歩くたびに、朱音のせいで今年のボーナスがでないと罵る。
しかも、自分の責任を他人に押し付け、人間としてどうかと思うと、誰もが朱音を蔑んだ。
朱音は、お客様への謝罪文書の作成、社内では損害賠償請求への対応に明け暮れる。
誰からも罵倒される中、ほとんど、眠る時間もなかったように見えた。
廊下で声をかけたけど気づくことはなく、肌がボロボロの朱音が下を向いて通り過ぎる。
もう、見ていられないぐらい可哀想な姿だった。
その翌日から、朱音の所在は不明になる。
会社では、仕事を放り出して逃げたと、朱音への誹謗中傷はさらに高まる。
でも、その1週間後、朱音は海で溺死体となって発見された。
警察は、監視カメラの映像から自殺と認定する。




