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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第四章 転生(リーンカーネイト)

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80.定義された自我

 バルドが眠る治癒院の隔離室に、死後資産管理局から派遣された五名の封印班が入った。


 封印班は一般外来の目につかないよう裏手から入り、廊下を進む。スタッフや看護師の多くは、状況を理解できないまま見送った。だが、隔離区画の前に来た途端、「お待ちください!」と看護師の一人が鋭く制止した。


「そこから先は隔離区画ですよ! 立ち入りはできません」


 封印班長が足を止めると、班員らもそれに倣った。


「死後資産管理局だ。死霊術士(ネクロマンサー)バルドの封印を実施する」


「封印?」


 看護師が顎を反らして封印班長と対峙する。


「任意でしたら、いかなる理由でも患者の封印措置はお断りいたします」


「令状がある」


 そう言って、封印班長が一枚の紙を差し出した。看護師はそれを受け取り、寝不足気味の目で睨むように読む。令状番号と緊急条項を確認して、うなずいた。




 封印班長が隔離室の扉を開けた。ネクロマンサーの肉体は、ベッドの上に横たわっている。生命維持装置に繋がれており、意識はない。胸の上下するリズムが、脅迫的なほど一定だった。


 班員の一人が素早く歩み寄り、ネクロマンサーの手首を拘束帯で固定した。バックルの部分に呪文封じの紋がある。もう一人が、肉体の周囲に結界の紐を張った。


 班長が、死霊術士の手を見た。左手の甲に術式の刻印がある。結界の紐を避けながらベッドまで歩み寄り、魔法を封じる糸で編まれた手袋を嵌めさせる。封印術への干渉を防ぐためだった。


 一歩下がり、現場をざっと睥睨した封印班長は、眉を動かさないまま告げた。


「始めよう」


 班員の一人が重厚なケースを開ける。中には紙の札と、細長いピンセットが入っていた。班員はピンセットで札を摘まみ上げると、ネクロマンサーの身体に手際よく貼っていく。顔面部、前頸(ぜんけい)部、上腕(じょうわん)部、みぞおち付近の心窩(しんか)部、そして大腿(だいたい)部に。


「〈再固定(リフィックス)〉」


 班長が宣言する。


 床の結界紐が震え、黒い(おり)がふっと舞う。生命維持装置のモニタの数値が跳ね、短く警告音を鳴らした。貼った札のうち一枚が、焦げた紙の匂いを漂わせながらべろりとめくれた。


「減衰できていません」


 班員が淡々と言うが、声色に反して新しい札を捲る手は素早い。


「貼り直せ。位置はずらすな」


 班長が短く指示を飛ばす。

 班員が札を貼り直した瞬間、ネクロマンサーの胸が大きく上下した。


 貼り付けた札の端が一斉に浮きあがったかと思えば、押し返されるように剥がれて宙を舞う。札に刻まれた封印紋の墨はひどく滲んで、ただの染みと化していた。

 結界の紐がぴんと鳴る。


「……札だけでは、持ちそうにありません」


「想定よりしぶといな。――直接、縫いつける」


 班長は短く言い、手を突き出す。


「《針》を出せ」


 班員がケースの底を外す。そこに、布で巻かれた細長い筒があった。筒に収まっていたのは、表面に螺旋のような加工が入った針――もはや剣と呼ぶべき封印具だった。先端は斜めに落とされ、鋭く尖っている。


 班長が《針》を持ち上げた瞬間、空気がきしむように冷える。班長は表情ひとつ変えず、分厚い手袋越しに《針》の重さを確かめる。

 班員のひとりが、ネクロマンサーの胸部を露出させると、班長はそこへ立てるように《針》をかざす。


 そして、胸骨の真上へ、真っ直ぐ、落とすように――突き刺した。


 瞬間、ネクロマンサーの身体が大きく跳ねた。生命維持装置がけたたましく鳴る。班員の一人が、不安そうにそちらを見た。


「……は、班長」


 班長は返事をしない。針を突き立てたまま動かない。手首の拘束具と胸元に刺さった《針》が、ネクロマンサーをベッドへ縫い留め続けるのを、ただじっと見ていた。


 生命維持装置の警報で飛んできた看護師を、班員が二人がかりで止めた。看護師は食い下がる。やり取りが取っ組み合いでもしそうなほど険悪に発展していく間も、班長はまばたきすらしなかった。


 ネクロマンサーの震えが完全に止まったところで、ようやく《針》を引き抜く。傷口からじわ、と血が滲んだ。


「落ち着いた。再固定(リフィックス)しろ」


「はい」


 返事を聞きながら、班長はネクロマンサーの手首を一瞥した。拘束具はまだそのままにしておく。ネクロマンサーの肉体はまだ熱を持っていたが、どこかへと吸い込もうとするあの異常な勢いはもう消えていた。


 *


 死後資産管理局・保全課の課長室には、朝の早いうちから分厚い報告書が置かれていた。サウィンによる、事後経過の監視報告書だった。バルドの肉体が一方通行のポンプと化し、蘇生体を動かし続けた異常事態と、封印班および随行資産ジェーン・ドゥによる収束までのあらましが記されている。


 報告書を読み終えたところで、課長室の扉がノックされた。グレイヴスは視線を落としたまま応じる。


「入れ」


 失礼します、と一言添えて入室したのは、保全課庶務の局内便担当だった。胸に抱えたケースを机の手前へ置き、受領票を差し出す。


「課長宛てです。治癒院から封書をお預かりしました」


 庶務がケースを開けると、中には封書が一通入っていた。口は糊で閉じられ、治癒院の印と、引き渡した看護師の署名がある。裏面の差出人名義に、グレイヴスは目を細める。


 ――コンスタンティノス・アルギロス


 庶務が下がった後、グレイヴスの背後でぽつりと声がした。


「ああ。それが……」


 物置のように佇んでいたジェーン・ドゥだった。グレイヴスは、正面を見据えたまま訊いた。


「これはバルドからだな。……中身を知っているのか」


「エレゲイアの手帳の写しだって聞いた」


 グレイヴスは頷き、ペーパーナイフで封を切った。中から、絹のような光沢を放つ上質な便箋が四枚滑り出てくる。


 読み終えたグレイヴスは、深く息を吐いて、便箋を机上に置いた。シガレットケースを引き寄せて煙草を抜き取り、緩慢な動作で火をつける。


 その見慣れない筆跡を眺めながら、誰に言うでもなく呟いた。


「……あんたは確かに死者蘇生(リザレクション)の第一人者だったようだな、エレゲイア。弟子もそう仕上がっちまったがね」


 グレイヴスは、やはりジェーンを見ないまま、言葉を続ける。


「おまえのことも書いてある。死霊術士(ネクロマンサー)エレゲイアの痕跡をベースに造られた、肉体の着脱ができる触媒汚染の安全装置(セーフティ)


 ジェーンは黙っている。その瞳にもはや動揺はなかった。アルギロスの肉体からバルドが抜けてから――彼と再び別れてから数日、ジェーンはずっと考え続けてきた。


 グレイヴスは事務的に、だが逃げ場を塞ぐような声で問う。


「お前はこの事実を受け入れるか?」


「変なの。受け入れないって選択肢があるみたいじゃない」


「無論、選択肢はある。どれも地獄だろうがね」


 ジェーンは窓の外をぼんやりと眺めた。壁と換気ダクトしかないが、教会のあるはずの方角だ。バルドが自身の《死後資産》を納める場所として選んだ場所。


「そうねえ……。安全装置(セーフティ)。しっくりくるわね」


 ジェーンが口を開いた。その声には悲壮感も、怒りもなかった。

 思えば、初めて『屍体だから』という理由でバルドの《資産》として監視下に置かれたときも、同じように飲み込んだものだった。


 資産扱いされても危機感が呼び覚まされなかった、あのときに気付くべきだったのか。――わたしには、人間のように牙をむく尊厳がない。他者のまなざしを取り込んでいるだけだったのだと。


 バルドが「魂はない」と断言したとき、なぜか胸が痛んだ。あのとき、ルツは「半分は自分に言い聞かせてるんだから」と笑ったその意味も、いまならわかる。バルドが魂を否定した理屈は、探索の手掛かりを失わないためにあった。そういう人間の必死さを拾ってしまった。


 ジェーンは、黒タグをそっと握りしめた。

 グレイヴスが、深く椅子の背に身を預ける音がする。彼は短くなった紙煙草を灰皿に押し付けてから、椅子ごとジェーンを振り返った。


「引き受けるなら、正式に死後資産管理局の《特務資産》として登録する」


「《特務資産》?」


「《心》――情緒的判断を伴う業務に就ける資産」


 グレイヴスは、自分の言葉に対して、思わずといったように失笑する。


「つまり、そこらの局員よりは強い権限を与えるということだ。――その代わり、こちらの条件を飲め」


 ジェーンは肩をすくめた。


「なるほどね。引き続き、タダ働きさせようってわけ」


「倉庫で埃をかぶり続けたいというなら、そうしてもらって構わないがね」


 ジェーンは穏やかに微笑んだ。


「やるわ」

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