7.タフィオ市区
バルドはセキュリティゲートの手前で立ち止まったので、ジェーンもそれに倣った。
そこで、ルツが笑いながらジェーンに話しかけてきた。
「ジェーン。バルドをよろしくね。彼が迷子にならないようちゃーんと見張っててよ」
「えっ?」
「おい」
バルドが抗議の声を上げるが、ルツはにやりと笑って続けた。
「もし彼を見失ったら、速やかに報告すること。いいわね?」
「監視対象はこいつだろ。ぼくじゃなくて」
バルドが口をはさむと、ルツは呆れかえったように彼を見る。普段の――といっても、まだバルドと出会って数日にしかならないが――彼にしては珍しいことに、まるで図星を突かれたように、逃げるように視線を逸らした。
「あんたさあ、自分がネクロマンサーって自覚ないわけ?」
「あるよ」
「じゃあジェーンにくっついてなさいよ。あんたがいなくなったら困るんだからね」
「わかってるよ」
二人の言い合いを聞きながらも、なぜバルドが迷子になる前提で話が進むのか、ジェーンにはわからない。これでは完全に子ども扱いだ。
ジェーンはますます混乱しながらも、小さく頷いた。
「わかったわ。彼をきちんと見張っておく。何かあれば報告します」
「えらい」
ルツが背伸びをして、ジェーンの頭を撫でる。ジェーンも首を垂らしてそれを受け入れる。
そんな女性二人を苦い顔で見ながら、バルドはため息をついた。
「バルド。ジェーンのこと置いていったらだめだからね」
「くどいな。するわけないだろ」
バルドはセキュリティゲートを手早く解除して、さっさと進んでしまう。
ジェーンも続いてゲートをくぐった。
眼前に、死後資産管理局のロビーが現れる。
磨かれた石床に、真鍮の案内板と木製カウンター。奥では職員たちがタイプライターを叩き、書類の束をバインダーに挟み込んではどこかへ運んでいく。
数日前、ジェーンが最初に保護された場所でもある。
あの日、防腐液を垂らしながら迷い込んだこの場所。日が昇る前だったから静かだったが、いまは識別タグを下げた職員たちがせわしなく行き交っていた。
ジェーンは、無意識に歩みをゆるめる。
いま、彼女の首には公式の識別タグがぶら下がっている。管理下の《資産》として正式に登録されている証だ。
だから、誰も彼女を二度見しない。そこにいて当然の存在として受け流されている。
バルドは振り向かずに言った。
「早く来い」
外に出た瞬間、ジェーンの目が見開かれた。
まず圧倒されるのは、空の高さ。
この建物は高台にあったらしい。その足元には、石とレンガで組まれた建物の群れが波紋のように広がっている。尖った屋根の上に、魔法灯の塔がいくつも突き出ていた。
鉄骨の橋を滑る魔導軌道車が、陽を受けて走り去っていく。
石造りの高架橋が幾重にも交差し、そのあいだに屋上庭園が吊り下がっている。広場の一角には、水槽を模した巨大な広告塔が立ち、魔法で揺れる魚の幻影が人々を見下ろしていた。
ジェーンはしばらくその光景に釘付けになった。
「すご……」
光に照らされた瞳は、屍者とは思えないほど生の輝きを帯びている。
バルドは少し間を置いてから、続ける。
「タフィオに来たことはないのか?」
バルドが尋ねると、ジェーンは頷いた。
「人口は約八百万。工業地帯まで含めると一千万を超える。海が近い。観光地としても人気だ」
それはほとんど情報の読み上げだったが、ジェーンはわくわくして胸元に手をやった。心臓があればスキップでもするように高鳴ってみせただろう。
「豊かな街なのね」
「一日の死亡者は百五十前後。事故が六十。病死は二十にも届かない。老衰や持病で三十。殺人と自殺は一桁だが、毎日必ずある」
バルドは抑揚もなく続ける。
「すべて、この地区だけでの数字だ」
「そんなに?」
「事故は多いが、異常というほどじゃない。病死は魔法医療のおかげでかなり少ない。自殺は平均的だ。殺人は、人口の割には少ない」
観光案内の延長のように、死の統計が連ねられる。
この華やかな街では、毎日百数十人が静かに減っていく。その抜け殻を拾い集めるのが《死後資産管理局》の仕事であり、自分にはその端っこの席があてがわれているのだと、ジェーンはようやく実感しはじめていた。
「自殺と殺人がこの程度なら、『住みやすくて治安のいい街』と呼んで差し支えないだろう」
「そうは思えないけど……」
ジェーンにはまだ、その感覚がわからなかった。
そのとき、通りの端に黒い影が静かに滑り込んだ。
局章を控えめに刻んだ黒い車だった。ほとんど音を立てず減速し、歩道の縁でぴたりと止まる。魔導機関の低い唸りだけが、車体越しにかすかに伝わってきた。
運転席のドアが開き、ひょろりと背の高い男が降り立った。中年をとうに過ぎた初老の顔つきで、こめかみに白いものが混じっている。識別パッチを縫いつけたジャンパーの肩が、長年の着用で少し擦れていた。
「バルドさん!」
男は片手を高く上げて呼びかけた。皺の寄った目尻を細めて笑う。
「マイルズです。本日担当しますよ」
「助かる」
バルドは簡単に挨拶を返す。
ドライバーのマイルズが、少し驚いたように目を瞬いて、ジェーンを見た。
「あれ。新入りですか?」
「《随行資産》だ」
「ああ……」
それだけでマイルズはすべて察したようだった。
「最近はネクロマンサー様にお会いしなかったもので、実際に見るのは久しぶりですねえ。昔はもっと多かったんですよ。護衛やら荷物持ちやらで《従者》を連れて移動することが。バルドさんが連れてるのは初めて見ましたが」
「人形遊びは好きじゃない」
ジェーンは、自分の存在が驚かれなかったという事実に、少し遅れて驚く。
屍体を連れて歩くことが珍しくない世界というものが、確かに存在しているようだった。
マイルズが運転席に乗り込む。バルドが後部座席に入り、ジェーンも続く。
座席は革張りで、硬い。窓は大きく、外の景色がよく見える。
「じゃあ、安全運転で行きましょう。現場までは二十分と少し。信号に引っかからなければ十五分くらいですよ」
マイルズが明るく言う。
ジェーンは少し緊張しながらも、窓の外に広がる都市から目を離せなかった。車が動き出すと、ジェーンは窓に額を寄せ、流れていく街並みを追った。
「わあ。人がいっぱいいる」
「肉袋が動いてるだけだろ」
「言い方! ……えっ? 人間のこと《肉袋》って呼んでるの?」
ジェーンがぎょっとして叫ぶ。生きている人間への呼び方としては最悪極まる。彼が屍体を「これ」「それ」と呼ぶのは知っていたが、ここまで皮肉めいた言い方をしたことはない。生者に対するあたりが強すぎやしないか。
バルドはそんな彼女を一瞥し、疲れたように額を押さえた。
「……街がそんなに珍しいか」
「いい景色ってのは何回見てもいいものよ」
「落ち着け」
マイルズはくすくすと笑う。
「お上手じゃないですか」
バルドが眉をひそめる。
「何が?」
「〝人形遊び〟」
マイルズはバックミラー越しに、バルドを見る。
「彼女、例の首のないお嬢さんですよね。もう局中の噂ですよ」
バルドは呻いて、顔を覆った。やがてそのままの体勢で、絞り出すように彼女を呼ぶ。
「……ジェーン」
「なに?」
「自分で説明しろ。ぼくは寝る」
「ええ? 二十分で着くのに? ……ちょっと!」
バルドはもう目を閉じている。
マイルズはバックミラーからちらりと後部座席をうかがい、笑いをこらえていた。




