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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第四章 転生(リーンカーネイト)

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73.同期する空隙

 廊下には、不釣り合いなほど甘ったるい百合の匂いが充満していた。アルギロス卿の復帰を祝う祝花が、隔離区画へ続く廊下を埋め尽くしていた。


 サウィンは祝花の群れを抜け、バルドが眠る隔離区画に入った。ここから先には、生花はひとつも持ち込まれていなかった。


「サウィン先生。お見舞いですか?」


 詰所にいた看護師が顔を上げる。サウィンは「復活」に判を押した功労者のひとりだ。彼がここを訪れることに、もはや誰も疑問を抱かない。


「容体確認だ。彼を、このままにしておくわけにはいかないからね」


「ありがとうございます。……あの。でも、ときどき怖くなるんです」


 看護師が声を潜めた。


「バルド先生の体に触れると、ものすごく熱を持ってるときがあって」


 サウィンは答えず、背後に控えるジェーンを促して隔離室に入った。扉が閉まると、百合の残り香はすっかり遮断され、代わりに冷たい消毒液のにおいが鼻を突いた。


 病床のバルドは、穏やかに眠っているように見える。

 だが、サウィンが真鍮の指標器を突きつけると、現実が剥き出しになる。


 針はゼロのままだ。無出力――すなわち、死霊術的な応答が一切ないことを意味する。


「……これでは、何も観測できない」


 サウィンはジェーンを見た。その目には、彼女を道具として扱うことに対する一瞬の躊躇が見えた。


「……バルドに触れてくれるか」


 ジェーンは黙って頷き、バルドの右手を両手で包み込んだ。生きている肌だ。冷え切っているが柔らかい。


「――っ!」


 瞬間、歯の根が浮くような、内臓がぐいと引かれるような不快感が走った。肉体を素通りし、存在そのものを引きずり込もうとするようだった。


「な、なに!?」


 ジェーンの動揺に、サウィンは答えない。彼の持つ指標器がみるみる熱を持つ。チリチリと音を立て、焦げた匂いを放ち始めた。針はゼロを通り越し、目盛りの外――()()()()へ振り切れる。

 サウィンが低く呟く。


「マイナス。どこかに吸い上げられているのか」


 専門を詰め込んだ脳が警鐘を鳴らす。


 思い至ることはあった。一つだけ。

 アルギロス氏の、あの不遜な口調に違和感を――()()()を覚えたときに押し込めた直感が。


 だが、そうだとしたら。この直感が正しいというならば。

 それは狂気の所業だ。


 *


 同じ施設内の別棟、特別応接室では、クリスタルのグラスが触れ合う音が響いていた。


「――アルギロス様。これでプロジェクトは次のフェーズへ」


 高官の言葉を、アルギロスは優雅な微笑で受け流す。

 そのとき、彼の右手を刺すような冷たさが包んだ。

 指が、わずかに跳ねた。


(……うるさいな)


 アルギロスは、自分の《燃料》に触れる気配を、ノイズとして処理する。

 ()()()()()()()()()()に、誰かが触れたのだろう。

 いやに冷たい。――ジェーン・ドゥだろうか。

 ()()()は、アルギロスの無機質な瞳で高官を見つめ返した。


 自分が燃料切れで死ぬまでに、この贅沢で完璧な肉体で、どれだけやれるか。


 エレゲイアは防波堤となった。

 ならば自分は、このシステムを内側から焼き切る部品になろう。


 最後の一滴まで使って、すべてを焼き切ってやる。

 すべてを。


 *


「手を離せ、ジェーン!」


 サウィンがジェーンの肩を掴み、強引に引き剥がした。

 手を離した瞬間、引きずられるような感覚がふっと消える。ジェーンは床に膝をつき、激しく喘いた。全身の末端が凍りついたように痺れる感覚があった。


 サウィンは、返却のために持ち込んでいた『蘇生施行記録』を乱暴に開いた。

 乱暴にページを繰り、魔法陣の図を指でなぞる。

 外周は完璧だ。だが、内側の、情報の定着を司る符号が――。


「……線が繋がっていない。わざとだ。安全弁を外したのか。……逆流、させるために」


「逆流? どういうこと?」


 ジェーンの問いに、サウィンは記録簿を抱え直した。


「……バルドは、自分を(ソース)にして、アルギロスへ中身を流し込み続けるループを構築したんだ。情報の固着を拒否し、自分を薪にして燃やし続けるために」


「なんで……」


「知りようがない。()()を画策するほどの《怒り》は、想像を絶する」


 自爆。


 ジェーンは、ベッドに横たわる「抜け殻」を見た。

 献身的に尽くす看護師も、蘇生を祝う存在も、こちらへ引き戻そうとする自分も。今のバルドにとっては、己の怒りを邪魔をする不純物に過ぎないのかもしれない。


「なぜだ、バルド」


 サウィンはぽつりと呼びかける。


「お前はただ、死者蘇生(リザレクション)を成功させるだけでよかったんだ。お前ほどの術者なら、それだけで平穏に暮らせたはずだ。なのに、なぜ……」


 そこまで言うと、サウィンはふっと事務的な顔に戻った。バルドに踵を返し、廊下に出て、百合の匂いを振り切るように歩き出す。


 ジェーンは慌ててそのあとを追った。扉を出る前に、バルドに視線を投げる。後ろ髪を引かれるような表情で視線を切って、サウィンについて行く。

 サウィンは歩幅を緩めない。


「行くぞ。……報告書を書く。ありのままを」


 サウィンは低く唸るように続ける。


「隠蔽なんて無理だ。こんな異常を飲み込むなんて……。僕らはもう、彼の『自爆』に巻き込まれてる」


 ジェーンは最後に一度だけ振り返る。内臓ごと闇に落とそうとするような、異様な現象。扉の向こうにいるバルドの冷徹な怒り。それに触れた両手の平を、ただ握りしめることしかできなかった。

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