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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第四章 転生(リーンカーネイト)

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70.三体目

 保全課フロアには、薬剤処理用の金属ラックが並び、仮設の検分台が設けられた一角がある。シュラウドとルツは、そこで検分を終えた屍体の情報を照らし合わせていた。ジェーンは壁際のコート掛けと書類ラックのあいだに立っている。

 シュラウドは言う。


「監察医さんから回してもらった屍体ね。喉と主気管支に刻印があったよ。模様も、細部が似てた」


 その声は軽やかだ。ジェーンは彼の周囲に漂う香に気付いた。刺すようなユーカリと樟脳(カンファー)。バルドの甘い安息香とは違う、鼻腔を(すす)ぐような香りだ。

 そんなジェーンの視線にも気づかず、シュラウドは続ける。


「でも、《出力なし》はあの一体しかないの?」


 ルツが手元の検分票をめくり、確認する。


「そうね。いま回せるのはこれだけ。残りはもう処理に回っててね。保管期限が短くって」


 シュラウドは困ったように息を吐いた。


「うーん。二体だけ共通しててもなあ。偶然って言われたらそれまでだよ。せめて、あと一体……」


 近くで聞いていたジェーンは、ふと思い出して声を上げた。


「そういえば、わたしの体も《出力なし》だよ」


 シュラウドが弾かれたように、彼女のほうを振り向く。


「え? ほんと?」


「うん。バルドと一緒に記録を見たから」


 シュラウドの顔が一気に明るくなる。獲物を見つけた子供のような、無垢な輝きだった。


「よし! じゃ、君にしよう」


 シュラウドが距離を詰め、無遠慮にジェーンの肩へ手を伸ばそうとした。思考するよりも早く、ジェーンの身体が後ろへ小さく跳ねた。壁に背中が当たり、書類ラックがガタリと鳴る。


 シュラウドが差し出した手を空中で止める。ジェーン自身、自分の反応に驚いていた。


「あっ、そうだった! ごめん。許可がいるね」


 シュラウドは気にした様子もなく笑い、そのまま課長室のドアをノックもせずに蹴開けた。


「保全課長さーん! 『検分優先の例外規定』の適用、いまここでやってもらえます? バルドの事後承諾で通しますんで!」


  ジェーンとルツは、ぽかんとその背中を見送る。やがてシュラウドは駆け足で戻ってきた。


許可(いい)ってさ!」


「いいって……。え? わたしを解剖するの?」


「うん」


 シュラウドは満面の笑みをジェーンに向ける。ルツは心底呆れたように首を振っていたが、何も言わなかった。


「だいじょうぶだよ。ジェーンちゃんの体に同じものがあるかどうか見るだけ。単純作業」


 そう言いながら、ふと思い出したように言葉を継ぐ。


「あ。もしかして痛みとかある? 眠っときたいなら幻術士(イリュージョニスト)呼ぼうか?」


「ううん。痛みはないけど……」


「そう? よかった~」


(よくはないけど……)


 だが、その笑顔に気圧されて、ジェーンは言葉を呑み込んでしまった。


 *


 第三屍体安置室は、解剖の補助として入るのが常だった。

 しかし、解剖()()()()に回るのは、ずいぶん()()()()だった。バルドに骨と首を繋げなおしてもらって以来だろうか。


 シュラウドは、鼻歌を歌わんばかりの気楽さで器具を並べていた。だが、処置台の上から彼の顔を見上げていたジェーンには、その目が笑った形のまま固定されているようにも見えた。獲物を見る猛禽類のようでもある。


 簡易な検体衣を身にまとって、ジェーンはその一つに横たわった。照明の当たる胸部には、かすかに縫合痕のふくらみが浮かんでいた。

 シュラウドが覗き込み、手袋越しにその痕跡をなぞった。


「あれ? ここは直してないんだ」


 首筋に添えられたシュラウドの指先は、バルドのそれとは違った。バルドの指はもっと冷えていた。無機質で、死者に寄り添うような冷たさだ。 対して、シュラウドの指から伝わるのは不躾な体温だった。それがひどく異物じみていて、落ち着かない。


「ジェーンちゃん、首を撥ねられたんだったよね。めっちゃきれいに直ってるけど」


「……うん。くっつけてもらった」


「お腹のほうは、バルドの仕事じゃないね。慣れてない。――ま、いいけど」


 シュラウドは笑顔のままメスを握り、躊躇なくジェーンの喉を裂いた。すでにある縫合を丁寧に解いていく。糸が切れるぷつぷつという振動が、頭蓋の内側に響く。

 やがて切開箇所が開かれた。


 閉鎖的な室内に、屍体の内側の匂いが溢れ出す。腐敗を止めるための高濃度の防腐剤と、死した組織が混ざり合った、冷たく重いにおい。


「おお。あるね~」


 シュラウドが満足げに声を上げる。ルツが即座に検分票へ視線を落とした。


「位置は同じ?」


「同じ同じ。声帯と主気管支だね」


 ルツが銀試薬の瓶を取り出し、綿棒で該当箇所を拭う。

 数秒後、化学反応が起きた。


 チリチリとした、焦げたオゾンのような鼻を突く臭い。それが、ジェーンの剥き出しの喉から立ち上る。


「〝三体目〟も一致だ。これで『偶然』の線はかなり薄くなったよ」


 シュラウドの声は弾んでいる。

 ルツが薬剤記録のデータベースをぱらぱらとめくりながら、冷静に告げる。


「特殊な配合ねえ。一般の供給ルートじゃない。……でも、ログは残っている。出どころは、もう絞れるはず」


 解剖台の上のジェーンは考えていた。自分の裂かれた肉と、そこに刻まれた《出力なし》という欠陥が、今この場で有用な証拠へと昇格したことについて。その事実に、彼女はまず「役割を果たした」ような安堵を覚えた。


 それでも、内側を暴かれる不快は勝った。無機質な天井を見つめ、不快をそのまま飲み込む。触れられることへの生理的な拒絶と、剥き出しにされることへの奇妙な昂揚。相反する二つの熱が、裂かれた喉の奥で静かに混ざり合っていた。

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