70.三体目
保全課フロアには、薬剤処理用の金属ラックが並び、仮設の検分台が設けられた一角がある。シュラウドとルツは、そこで検分を終えた屍体の情報を照らし合わせていた。ジェーンは壁際のコート掛けと書類ラックのあいだに立っている。
シュラウドは言う。
「監察医さんから回してもらった屍体ね。喉と主気管支に刻印があったよ。模様も、細部が似てた」
その声は軽やかだ。ジェーンは彼の周囲に漂う香に気付いた。刺すようなユーカリと樟脳。バルドの甘い安息香とは違う、鼻腔を濯ぐような香りだ。
そんなジェーンの視線にも気づかず、シュラウドは続ける。
「でも、《出力なし》はあの一体しかないの?」
ルツが手元の検分票をめくり、確認する。
「そうね。いま回せるのはこれだけ。残りはもう処理に回っててね。保管期限が短くって」
シュラウドは困ったように息を吐いた。
「うーん。二体だけ共通しててもなあ。偶然って言われたらそれまでだよ。せめて、あと一体……」
近くで聞いていたジェーンは、ふと思い出して声を上げた。
「そういえば、わたしの体も《出力なし》だよ」
シュラウドが弾かれたように、彼女のほうを振り向く。
「え? ほんと?」
「うん。バルドと一緒に記録を見たから」
シュラウドの顔が一気に明るくなる。獲物を見つけた子供のような、無垢な輝きだった。
「よし! じゃ、君にしよう」
シュラウドが距離を詰め、無遠慮にジェーンの肩へ手を伸ばそうとした。思考するよりも早く、ジェーンの身体が後ろへ小さく跳ねた。壁に背中が当たり、書類ラックがガタリと鳴る。
シュラウドが差し出した手を空中で止める。ジェーン自身、自分の反応に驚いていた。
「あっ、そうだった! ごめん。許可がいるね」
シュラウドは気にした様子もなく笑い、そのまま課長室のドアをノックもせずに蹴開けた。
「保全課長さーん! 『検分優先の例外規定』の適用、いまここでやってもらえます? バルドの事後承諾で通しますんで!」
ジェーンとルツは、ぽかんとその背中を見送る。やがてシュラウドは駆け足で戻ってきた。
「許可ってさ!」
「いいって……。え? わたしを解剖するの?」
「うん」
シュラウドは満面の笑みをジェーンに向ける。ルツは心底呆れたように首を振っていたが、何も言わなかった。
「だいじょうぶだよ。ジェーンちゃんの体に同じものがあるかどうか見るだけ。単純作業」
そう言いながら、ふと思い出したように言葉を継ぐ。
「あ。もしかして痛みとかある? 眠っときたいなら幻術士呼ぼうか?」
「ううん。痛みはないけど……」
「そう? よかった~」
(よくはないけど……)
だが、その笑顔に気圧されて、ジェーンは言葉を呑み込んでしまった。
*
第三屍体安置室は、解剖の補助として入るのが常だった。
しかし、解剖される側に回るのは、ずいぶん久しぶりだった。バルドに骨と首を繋げなおしてもらって以来だろうか。
シュラウドは、鼻歌を歌わんばかりの気楽さで器具を並べていた。だが、処置台の上から彼の顔を見上げていたジェーンには、その目が笑った形のまま固定されているようにも見えた。獲物を見る猛禽類のようでもある。
簡易な検体衣を身にまとって、ジェーンはその一つに横たわった。照明の当たる胸部には、かすかに縫合痕のふくらみが浮かんでいた。
シュラウドが覗き込み、手袋越しにその痕跡をなぞった。
「あれ? ここは直してないんだ」
首筋に添えられたシュラウドの指先は、バルドのそれとは違った。バルドの指はもっと冷えていた。無機質で、死者に寄り添うような冷たさだ。 対して、シュラウドの指から伝わるのは不躾な体温だった。それがひどく異物じみていて、落ち着かない。
「ジェーンちゃん、首を撥ねられたんだったよね。めっちゃきれいに直ってるけど」
「……うん。くっつけてもらった」
「お腹のほうは、バルドの仕事じゃないね。慣れてない。――ま、いいけど」
シュラウドは笑顔のままメスを握り、躊躇なくジェーンの喉を裂いた。すでにある縫合を丁寧に解いていく。糸が切れるぷつぷつという振動が、頭蓋の内側に響く。
やがて切開箇所が開かれた。
閉鎖的な室内に、屍体の内側の匂いが溢れ出す。腐敗を止めるための高濃度の防腐剤と、死した組織が混ざり合った、冷たく重いにおい。
「おお。あるね~」
シュラウドが満足げに声を上げる。ルツが即座に検分票へ視線を落とした。
「位置は同じ?」
「同じ同じ。声帯と主気管支だね」
ルツが銀試薬の瓶を取り出し、綿棒で該当箇所を拭う。
数秒後、化学反応が起きた。
チリチリとした、焦げたオゾンのような鼻を突く臭い。それが、ジェーンの剥き出しの喉から立ち上る。
「〝三体目〟も一致だ。これで『偶然』の線はかなり薄くなったよ」
シュラウドの声は弾んでいる。
ルツが薬剤記録のデータベースをぱらぱらとめくりながら、冷静に告げる。
「特殊な配合ねえ。一般の供給ルートじゃない。……でも、ログは残っている。出どころは、もう絞れるはず」
解剖台の上のジェーンは考えていた。自分の裂かれた肉と、そこに刻まれた《出力なし》という欠陥が、今この場で有用な証拠へと昇格したことについて。その事実に、彼女はまず「役割を果たした」ような安堵を覚えた。
それでも、内側を暴かれる不快は勝った。無機質な天井を見つめ、不快をそのまま飲み込む。触れられることへの生理的な拒絶と、剥き出しにされることへの奇妙な昂揚。相反する二つの熱が、裂かれた喉の奥で静かに混ざり合っていた。




