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6.売り込む

 エレベーターの中で、バルドは口を開いた。


「一つだけ、口止めしておく」


 バルドは正面を見据えて、彼女を見ない。

 ジェーンはちらと彼を見下ろす。そこで、彼が自分よりも一段背が低いことに気付いた。彼自身が小柄であることもそうだが、ジェーンの借りている肉体が平均よりも高身長の個体だったのかもしれない。


「生きてる人間に〈憑依〉したことは黙っておけ。違法だからな。あとで必要になったら、こっちで報告する」


 ジェーンは一瞬きょとんとしたが、言葉を呑み込むように頷いた。自分はどれほどの罪を犯したのだろうと考えかけて、やめる。いまは()()()()()()()()()の提案に乗っておくべきだ。


 エレベーターが止まり、空気が割れた。

 バルドが先に出る。ジェーンが半歩遅れて続く。彼女は黒いツナギに薄いサンダルを履いていて、足音はぺたぺたと軽い。首には金属製のタグが揺れている。


 廊下を抜けると保全課のフロアに出た。魔法灯に焼かれたインクの匂いが、どこか事務所じみた空気を作っている。木製の机にタイプライターと紙束が積み上がった島型デスクの手前で、バルドは足を止めた。


「戻った」


 リメンが椅子を回し、片手で会釈。ルツはマグを口に運んだままジェーンをじっと見つめた。


「これが(くだん)の屍体だ。ぼくがネクロマンサーの権限で『資産』として運用する」


「ええ? 初耳なんだけど?」とジェーン。


「そうだな。今言った」しれっとバルドが答える。

「屍体は『資産』扱いになる」


「まあ、いいけど……」


 その声には微塵も悲壮感がない。釈然としないと言いたげに口をとがらせ、説明不測に対して呆れているだけだった。

 それに反応したのはルツだ。ただでさえジェーンを興味深く眺めていた彼女は、意外そうな、面白そうな表情になる。


 バルドに促され、ジェーンが会釈する。


「改めて、よろしく。ジェーン・ドゥよ」


「それは屍体のほうでしょう?」リメンが訝しげに問う。

「君の名前は?」


「さあ。知らないわ。ないのかも」


「わかりました。それでは、《ジェーン・ドゥ》で登録しておきます」


 リメンはタイプライターに数行の入力を済ませてから、またこちらを向いた。


「保全課の管制官、リメンです。現場にいる職員への指示と、許可証の発行を担当しています。これから君のタグも、こちらで管理することになります」


 抑揚の薄い声だが、言い回しは整っている。


「で、あたしがルツ。保全課付きの監察医」


 ルツがマグを机に置き、猫のように目を細める。


「死因を見て、証拠を拾って、書類にして返す係よ。人体で気になることがあったら、だいたいあたし行きって覚えときなさい」


「人体で気になること?」


 言葉を返そうとしたとき、室内の呼び出し音が、甲高く空気を切った。壁際のランプが、外線を示す赤に変わる。

 リメンが素早く回線を確認し、奥の扉に視線を送った。


「課長宛です。郊外の診療所から」


「回せ」


 半開きになっていた個室の扉からグレイヴスが顔を出し、そのままぞんざいに受話器をひったくった。


「保全課、グレイヴスだ。……ああ」


 最初は気のない口調だったが、相手の言葉を聞くうちに、彼の眉間に皺が寄っていく。


「……タグの色が違う? 番号も合わん? 搬送票はどうなっている」


 ジェーンは思わず、自分の首にぶら下がったタグへ指先を触れた。


「……了解した。()()()()の可能性がある。保全案件として引き取ろう」


 やや乱暴に受話器が置かれ、グレイヴスがこちらを振り返る。


「郊外の診療所で死亡診断した屍体だ。死亡台帳とタグの色・番号が噛み合わんらしい。

診療所側は規定どおり、第二区保全庫に回すと言っている」


 短く状況をまとめてから、グレイヴスは続ける。


「リメン、搬送ログを照会しろ。経由した冷却庫と運搬業者をすべて洗え」


「承知しました」


「ルツは診療所へ行け。担当医の身元と、治癒師(ヒーラー)免許の履歴を確認しろ。処分歴もだ」


「はいはい。治癒師(ヒーラー)の腹の中まで覗いてくりゃいいってことね」


「バルドは第二区保全庫だ。タグごと遺体を押さえろ。記録と実物がどこで食い違ったか見てこい」


 バルドは短くうなずき、ジェーンのほうに横目をやった。


「屍体を見るのがぼくの仕事だ。今回は()()()そうな現場だし、初めておまえを連れていくにもちょうどいいだろう」


 ――まとも? 屍体が関わる時点で異常じゃないの?


 心の中で小さく毒づきながらも、ジェーンは黙ってグレイヴスのほうを見る。

 手短な指示を終えたグレイヴスは、何も言わないまま視線を台帳に戻す。


「……で、わたしは? 何すればいいの?」


 グレイヴスの視線がちらとジェーンに移る。


「おまえはバルドについていけ」


「だったら、最初から戦力として扱ってほしいんだけど」


 ジェーンははっきりと言った。

 グレイヴスの眉が少しだけ動く。扉をぐいと押し開け、顎で内側を示した。言外の招きに従って、ジェーンとバルドは課長室へ足を踏み入れる。


「理由は?」


「ただじっとしてるのって、どうも向いてないのよね。わたしはいたって()()だし、外の仕事もできるわ。何かしら役に立つわよ」


「お前は屍体だろう。健康も何もあるか」


 グレイヴスの冷静な指摘に、ジェーンはバツが悪そうに視線を逸らした。


「……でも、不健康でもないわ。だって()()()()んだもの。わたしは絶対に病気にかからない。怪我もしにくい」


 早口になっている自覚はあった。それでも、言葉を止めたら二度とチャンスが来ない気がした。


「力も強いわ。バラバラになっても、新しい身体をくれたらすぐ動ける。()()()()()()欠勤しないわよ。約束する」


 瞬間、バルドが思わずといった調子で笑い出す。課長室の隅に置かれた一人掛けソファまでよろよろ歩き、そのまま倒れるように座り込む。ひじ掛けに身体を預けても、まだ肩を震わせていた。


 ジェーンはいっそ困惑して彼の後頭部を見下ろす。こうも真剣に己を売り込んでいるのに、なぜ笑われるのか。ネクロマンサーの笑いのツボはよくわからない。


 グレイヴスは容赦なく突っ込む。


「新しい身体が、そんなにぽんぽん出てくると思うな」


「でも、()()()()()()()なら、使い倒せるわ」


「その能力で、お前が逃げ出さない保証はどこにある?」


「わたしは、何か事件に巻き込まれて身体を奪われたんじゃないかって思ってる。《死後資産管理局》ほどわたしの身体探しに最適な場所はない。……ここでのポストがほしいわ」


「お前を人間扱いすることはできない。あくまでも、バルドの管理下にある屍体という形でしか扱えん」


「それでもいい」


「命令系統から外れたら即座に処置することになる」


「……構わないわ。それでも、今のわたしは迷子の《肉》でしかない。道は一つしかない。どうして悩む必要があるかしら」


 その応答に、バルドは一人掛けソファで頬杖をついたままジェーンを見据えた。肯定も否定もない、淡々とした視線だった。だが先ほど散々笑った影響だろう、その表情は少し柔らかい。


「なら、確認しておきたい」


「なに?」


「屍体を見たことはあるのか? 自分以外の屍体を、という意味だが」


「あるわよ。何度も〝吟味〟したもの。五体満足で、傷ついてなくて、女性の身体がよかったし。……どうしてそんなこと聞くの?」


「屍体なんてふつうはよほど()()()()()()()目にしないものだ。解剖用屍体を使って少しずつ慣らす手順がある。いきなり凄惨なものを見てトラウマを抱えられたら使い物にならないからな」


 恵まれなければ、ね。やはりネクロマンサーの感覚はよくわからない。だが、彼のそれは杞憂だ。


「いらないわ」


「ならいい。照明、器材の運搬、記録補助。それくらいならできるんじゃないか」


「では連れて行け」


 バルドは一度うなずく。

 グレイヴスは台帳にチェックを入れた。その視線が、服装とタグを順に確かめて、机上の黒革台帳に落ちる。


「ジェーン・ドゥ」


「……はい」


「歓迎はしない。必要だから置く。成果を出せ」


 グレイヴスの声音に情はない。だが、余計な蔑みもなかった。たぶんグレイヴスにとって、ジェーン・ドゥは本当にただの「資産」なのだ。それでも、見下されるよりはずっとましだ、とジェーンは思った。


 扉が閉まる。廊下に出ると、空調の風が頬を撫でた。


「グレイヴスは仕事狂いだ。あまり気にしないでいい」


「気にしてないけど……。わたし、ちゃんと役に立てるかしらね」


「さあな」バルドは淡々と答える。

「ただ、おまえにできることをやればいい」


 バルドは言い終えると、そのまま振り返らずに歩き出した。ジェーンも遅れまいと歩幅を合わせる。薄いサンダルがぺたぺたと鳴り、首のタグが胸元で小さく光った。

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