67.守秘義務誓約
サウィンは受付で許可証を受け取り、言われるがまま会議室の扉を潜った。
机の上には膨らんだ封筒が一つ置かれている。口は糊付けされていて、端までぴったりと張り付けられている。それをうつむきがちに眺めて待った。横から声を掛けられ、温かいコーヒーが置かれても反応できなかった。
「御足労いただきありがとう存じます、死霊術士サウィン」
若い連絡官らしき男だった。声が硬い。まだ若手なのだろう、とサウィンは思った。
「ああ」
漫然と返答すると、若手は顎を引いて話し始めた。
「実はサウィン氏に、折り入ってご相談がありまして」
連絡官は言いながら、机の上の封筒をそっと指先で押し、サウィンの方へ寄せた。
「《痕跡》の照合をお願いしたくて」
「照合?」
「ええ。まず、引き受けるかどうかのお返事をいただけますか」
連絡官は、言い訳でもするように笑みを浮かべた。
「そうでなければ、貴方に情報を開示できないんです。本件は機密保持を徹底しておりまして、口頭説明を受ける場合でも権限の付与が必要です。ここで『引き受けない』と言われた場合、私はこの先を話せません」
封筒の上に、一枚の紙が重ねられる。題字は短い。
《守秘義務誓約書》
「署名をいただければ、その場で開示します。いただけないなら、ここまでです」
サウィンは黙ったまま書類を引き寄せ、ペン先を置いた。署名欄の白さがやけに眩しい。名前を書く手は勝手に動いた。
誓約は死霊術士にとって日常茶飯事だ。課が違えば、同業者とさえ案件の話はできない。
若手に促されて分厚い封筒の上部を破る。滑り出てきた書類にざっと目を通す。読み進めるたび、サウィンの表情が険しくなっていった。
サウィンはようやく顔を上げて、連絡官の目を見た。
「……〈死者蘇生〉。術者は当局の死霊術士バルド。はあ。どうりでな。職場で見ないわけだ」
連絡官はゆっくりと頷いた。
「現在、対象者は隔離中です。本人性の照合がまだ完了していませんので」
「何日経ってる? いい加減バルドも起きているんじゃないか」
「通常は、ええ」
連絡係は小さくうつむいてから、再び顔を上げる。
「ですが、まだ覚醒がありません。……医療側の所見は『生命維持は成立しているが、本人の反応がない』です」
「それは。一週間も仮死が続いているなら……」
「手続きとしては、〈死者蘇生〉後は本人確認が必要になります。通常は、蘇生を施した術者が行いますが、それが不可能になってしまった場合は……」
サウィンは封筒を閉じた。
「第三者照合か」
「さようです。書類照合と関係者の証言は揃っています。最後に残っているのが、《痕跡の一致》です。そこが未了のまま止まっています」
淡々とした声が、かえって苛立たせる。
「サウィン氏。貴方の専門領域は〈死者問答〉だと伺っています。理屈の上では、生体の《痕跡》も、詳細に見えるんですよね? 幸い、氏の死後の――つまり、蘇生前のという意味ですが――データは取ってあります。それが一致するかどうか、照合をお願いしたいんです」
サウィンはしばらく黙っていた。そして、連絡官の目を見た。
「バルドにも、面会したいんだが。可能だろうか」
「……少々、お待ちください」
連絡官は席を立ち、扉の奥へ消えた。
*
テーブルの上のコーヒーがすっかり冷めた頃、奥の扉が開いた。
事務机の列の向こうから、背広の上役が出てくる。
「なるほど。術者に会いたいとおっしゃるか」
挨拶もそこそこに、上役はさらりと言った。責めるでもなく、譲るでもない。
「しかし死霊術士バルドは、現在も仮死状態です」
サウィンは、椅子の背に体重を預けた。身体が重い。骨が重力に引きずられるような怠さだ。それに逆らうように、サウィンは座面に座り直す。
「だからこそだ。そんな状態じゃあ、そのまま死ぬ可能性が高い。せめて生きている間に顔を見ておきたいと願うのは変だろうか。同業者として、本人の状態を見ておきたいというのは?」
上役は小さく首を横に振る。
「ごもっともだと思います。ただし――」
上役は言葉を切って、何でもないことのように続けた。
「あなたには、死霊術士バルドの『確認』をお願いしたい」
サウィンは、寝不足で乾ききった目をゆっくり瞬いた。瞳は相変わらず乾いたままだった。
「……。死んでない、と言わなかったか」
「言いましたとも。バルド氏の生命維持は成立しています。ですが、彼の状態はどうにも異様だ」
「そうだな」
頷くと、上役は淡々と続ける。
「そこで、あなたの専門の範囲で、『確認』をしてほしくてね」
サウィンは一度、視線を落とした。封筒は萎んで、潰れている。吐き出された書類に倫理は印刷されていない。
「何を確認すればいい?」
「仮死が長引いていることについて、本人に思い至ることがあれば、断片でもいいから知りたいんですよ。拾えませんかね、単語だけでも」
サウィンの心にじわりと苦みが広がる。
(意識のない人間から、自白を引き出せっていうのか)
それは死霊術士が〈精神略奪〉と呼ぶ魔法だった。戦時中――まだ屍体の骨が公然と触媒として出回っていた頃に発展した秘術の一つだ。
鹵獲した敵兵の《痕跡》を操作して自白を引きずり出す。それは、屍体に直接喋らせる〈死者問答〉の応用でしかない。
ここの連中は、死霊術の知識にも歴史にも疎い。専門職について詳しくないのは致し方のないことだが、そうでなければとても出せない、冷血な提案でもあった。
忌々しい、とサウィンは思う。
彼らは、彼らなりの都合だけを話している。
だが、断ることも面倒に思えた。押し返し、跳ね除けて、懇切丁寧に説得したところで、それでも結局は別の形で同じ要求が来るのだ。手を汚すのが自分でなくなるだけ。押し付けられる側が挿げ替わるだけ。そういう積み重ねに、サウィンは摩耗していた。
上役は顔の表皮を笑みの形に歪めた。サウィンにはそのようにしか見えなかった。
「手順の選択は、あなたの裁量に委ねます」
「……やるだけ、やってみる」
仮死なら、死者に準じるはずだ。そういう建前でやれるだろう。
《観測統計式》に載せず、ただ信号を表面から拾うだけなら、禁忌に触れない。取れる情報は限られるから相手は不満に思うだろうが、それで満足してもらうしかない。
何にせよ、やるしかなかった。




