65.検分室にて ②
ただ一つ、腑に落ちないことがあった。
検分室の隅で黙っていたジェーンは、思わず口を挟んでしまう。
「その……加工で《出力》を潰したのはわかるけど。それで、どうして屍体が《触媒汚染》になって、暴走するの?」
「あ~。それ、すごくいい質問じゃないの、サウィン?」
右から左へ投げられた視線を受けて、サウィンは小さく息をついた。壁際から一歩だけ前へ出る。
「まず、〈死者問答〉が何をしてるか知ってるのか」
ジェーンはバルドの言っていた言葉を思い出す。
――これは《回答候補》の一つだ。屍体に残っている情報をかき集めて、生前の癖をほぼ完璧に再現している。
「……屍体の情報を引き出す?」
「それでいい。《痕跡》は死んだ身体に残る信号だ。――つまり、まだ動く」
「まだ動く? どういうこと?」
「中身が動くって話じゃない。《痕跡》は記録というより信号だ。死んでもすぐゼロにはならない。生前の癖で組まれた回路の名残りが、残響みたいに揺れている。そのばらけた信号を揃えるために、触媒を使っている」
指先で空をなぞって、一本の線を引く。
「通常は、痕跡が外へ抜ける《出力経路》が開いている。喉と気管支のあたりにある。いわゆる排気口だな。不用意な触媒反応は、そこから逃げていく。〈死者蘇生〉は、その逃げる流れを拾っている。それが《出力》だ。
だがこの刻印は、その《出力経路》を塞いでいる。反応は外へ抜けない。だから拾えない」
「読み取り不可ってやつね~」と、シュラウドが軽く口を挟む。
「読み取れないだけならいい。問題はそのあとだ」
サウィンの視線が刻印に落ちる。
「触媒は、魔術反応を誘発するという点で、着火剤のようなものだ。正確には、痕跡を増幅するスイッチに近い。普通の屍体なら、うっかり〝火〟がついても燃え広がらない。反応は外へ抜けて、そこで終わるからな」
「出口が塞がれてたらどうなっちゃうの?」と、シュラウドがわざと素朴に聞く。
「逃げない。溜まり続ける。内部に熾火――残り火が居座る。
そうやって『次の着火で一気に燃え広がる状態』に固定されたものを、《触媒汚染》と呼ぶ」
ジェーンは唇を噛む。
「じゃあ、《出力なし》は、『静かな屍体』じゃなくて……」
「不発弾」
シュラウドがにやりと笑う。
「性質としては『怒れる屍体』だよねえ。周りを巻き込むんだから」
「……そうだな」サウィンが淡々と肯定する。
「喉だけなら、黙るだけで済むんだが。だが呼吸の通り道まで封じてたら、何も逃がせやしない。内圧が上がる。そしたら破裂する」
「破裂?」
ジェーンが聞き返すと、シュラウドは指を弾くみたいに手をパッと開いた。破裂のジェスチャー。
「ホラ、人体って落下したら《頭》が開いて飛び散っちゃうでしょ? あれ」
でしょ? と言われても困る――だが話の筋だけは追えて、ジェーンはつい曖昧に頷いてしまう。
「そういうの、街中だと『野次馬が増えるから嫌だ』ってバルドがぼやいてたよねえ。回収も面倒だって」
バルドがいかにも言いそうな言葉に、ジェーンは思わず笑ってしまった。
――でも、前は。
汚染した屍体にジェーンが触れた瞬間、暴走が鎮まった。
理屈はわからない。確かに止まった。手を離すと、また反応が再開した。
(わたしが触っている間だけ、止まる。……どうして?)
ジェーンは指先を握り込み、ちらりとグレイヴスを見る。
この場で口にしていいのか。
沈黙を破ったのはルツだった。
「ま、要は、何らかの目的があってやってそうってことよね」
グレイヴスは、ゆっくりと息を吐いた。
「触媒汚染事故に見えるように設計してる可能性はある」
状況証拠に過ぎない。刻印の位置も、素材も、反応の出方も、まだ「偶然」で片づけられる余地はある。だが、仮説のままにしておくには、点同士を繋げられる線が太すぎる。
別々のはずの点が、ひとつの意図に向かって噛み合いすぎていた。
グレイヴスはふと、バルドの顔を思い浮かべた。
バルドは《出力なし》の承認確認を何度も通してきた。だからこそ、違和感に気づいたのかもしれない。
ルツが軽くうなずき、検分票に追記する。
《声帯及び主気管支に刻印。銀反応あり。出力経路封鎖の意図が疑われる。》
「現時点では断定できないけどね。刻印の細部を複数の屍体と比較して、絞り込んだほうがいいわね。バラバラなら、工作じゃない可能性もあるわけで」
シュラウドが受け取るように口を挟んだ。
「比較対象として、《出力なし》屍体を一体回してくれる? 印が出なければ、今回の線が異常だって確定するからね」
グレイヴスは即座に頷いた。
「ルツ、お前は使われた薬剤の配合を記録しろ。シュラウドとサウィンは《死霊術士の見解》を報告にまとめろ。シュラウドは印について、サウィンは死者問答についてだ」
「了解~。保全課長さんにも読める文章にしてお届けしますよ」
「不要だ。余計な言葉は削れ」
「いやあ、それを削れないのが俺の専門性なんでねえ」
シュラウドは軽く笑いながら、もう作業に入っていた。




