63.伝言
グレイヴスが出勤すると、照明だけが点いた保全課フロアに、ただ一人だけ男が立っていた。首から《一時来訪者》の札を下げている。
無言で差し出された封筒に、朱で『親展』『至急』とあるのが見えて、眠気が引っ込んだ。
封を切る前から、嫌な予感だけが先に立った。
素早く封を切って、重要なところだけを拾い読みする。
《貴局より出向中の死霊術士バルドは、施行業務中に発生した術式反動により、心肺停止に準ずる仮死状態となり、直ちに当院の措置を受け、附属療養室へ収容した。》
文面を最後まで読み切る前に、グレイヴスは言った。
「なら、管理局附属の治癒院に移しておけ」
「それはできかねます。現在、隔離措置がかかっておりまして」
グレイヴスは鼻を鳴らした。
「仮死したついでに拘束、ってことはないだろうな」
「まさか。拘束命令など出ておりません」
グレイヴスは発言を聞き流しながら、《心肺停止に準ずる仮死状態》の文字をなぞる。
「蘇生とはいえ、儀式の代償にしては、重すぎだな」
唐突な話の転換に、来訪者は言い淀んだ。
「まあ……はい。不可解ではあります」
「不可解?」
「もっとも、個人差がありますので」
グレイヴスの背後に置いてある《備品》が身じろぎしたような気配がしたが、彼は黙殺した。
*
食堂は昼前で空いていた。席は半分以上が空席だ。
廊下から持ち込まれた消毒液の匂いが、配膳のスープの匂いに混ざってわからなくなる。
グレイヴスは壁際の端の席に座り、書類を開く。
そのとき、頭上から声が落ちた。
「隣、座るよ」
軽い言い方だが、声はかすれている。
グレイヴスが顔を上げると、女が立っていた。トレーを片手に持っている、もう片方の腕は不自然に動かない。腕には包帯が巻かれていて、首にも白い包帯が一周していた。端がずれて、肌に赤い滲みが見える。
怪我は新しいが、雑に処置されている。本人が急いで巻いたか、最低限の応急処置だけで現場に戻されたか、どちらかだ。
「よそをあたれ」
拒否ではなく警告として言ったつもりだったが、女は平然と線引きを無視した。
「あんたがグレイヴスだよね」
名を呼ぶ声に、確認よりも選別の響きがあった。
「そうだ」
グレイヴスが短く答えると、女は許可を待たずに座った。
「じゃ、よかった」
「何がだ」
「話が通じる相手に当たったってこと」
女はスプーンを持ったが、食べない。手がわずかに震えるのを、握力で抑えつけている。
「用件を言え」
グレイヴスが促すと、女は一瞬だけ笑いかけて、すぐにやめた。笑うと首の傷が痛むのだろう。包帯の下で喉が動いた。
「バルドは生きてる?」
「なぜ死んでると思う?」
「ま、そりゃそう言うよね」
女はぽつりとつぶやいてから、必要最低限だけ名乗った。
「あたしはシャガ。変成術士」
「要件は?」
グレイヴスがもう一度だけ促すと、シャガは周囲を見回した。
「……あんたのとこのネクロマンサーから伝言を頼まれてね。二つも」
シャガはさらに声を落とす。
「まず一つ目、『《出力なし》は生前の終末保全から洗え』ってさ」
グレイヴスの指が止まった。
生前の〈終末保全〉――生きているうちに屍体処置に近い工程を済ませることだ。これを施すことで、死後に誰も触れなくても状態が保てるようになる。
つまり、死後の工程が丸ごと省ける。屍体の保全には大いに貢献する。グレイヴス個人としては、管轄内に住む住民全員に施して欲しいくらいだ。
――だが、触れなくていい、というのは、誰かに触れさせたくない、ということでもある。
「理由は聞いたか?」
シャガは肩をすくめた。包帯が擦れて顔が歪む。
「知らないよ。わざわざ『線を洗え』って言うなら、偶然じゃないって言いたいんじゃないの?」
「お前はどこまで知ってる」
「何も。あたしは加工屋。《出力なし》ってのが何の隠語かも知らないね」
グレイヴスは静かに先を促す。
「二つ目は?」
「『《随行資産》の件は変成術から洗え』だってさ。こっちも意味わからないけどね」
随行資産――ジェーン・ドゥ。あれはいまここにいない。保全課から出さないよう伝えてあるからだ。
アンデッドというにも規格外の存在。
そして、《出力なし》の肉体に憑依し続けている。――雑にいろんな場所へ赴いたわりに、ただの一度も、触媒汚染を引き起こさなかった。それどころか、他の《出力なし》の暴走を、一時的にせよ止めてさえみせた。
グレイヴスは立ち上がった。
この場でこれ以上話すと、誰かに拾われかねない。
「伝言は受け取った」
「了解。じゃあね、課長さん」
立ち去るグレイヴスの背中に向かって、シャガは軽く手を挙げる。動きは小さい。首と腕のどちらも痛むのだろう。
グレイヴスは書類を開き直し、保全課の回線へ短く命令を流した。
「リメンとルツを呼べ」




