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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第三章 死者蘇生(リザレクション)

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61.儀式の準備

「……ダイヤモンド化の代償は、『肉体の炭素の減少』か?」


「そうだよ」


 シャガは小さく首をかしげたが、取り立てて隠すことでもないらしく、さらりと答えた。

 バルドはうなずく。


「わかった。――伝言を頼まれろ。無事に戻れたらでいい」


「はー? そんな義理はないけど」


「おまえが死んだら、ぼくがおまえの伝言を届ける」


 シャガは胡乱げな視線をよこしたまま、黙っている。

 バルドは平然と続ける。


「炭素が減ったら、身体が物理的に崩れやすくなる。そういう患者の延命をしたことがある。――現に、前任者は死んでるだろ」


「ああ……ネクロマンサーって、もともと治癒師(ヒーラー)だっけ」


 舌打ちでもしそうな表情で、シャガがつぶやく。


「死後資産管理局・保全課のグレイヴスに伝えろ。『《出力なし》は生前の終末保全(エンバーミング)から、《随行資産》の件は変成術(トランスミュート)から洗え』とな」


「二人とも死んだら意味ないじゃん」


「そうなったらしょうがない」


 バルドはまっすぐ見つめた。


「おまえの遺言も言え」


「言うわけないじゃん。遺言ってのは相手を選ぶもんなの」


「そうやって、みんな黙ったまま屍体になったが」


 ありふれた言い回しだ。一般論のはずだった――死霊術士(ネクロマンサー)の口から出てくるものでなければ。

 ()()()という声色に、実在の名前が何百もあった。

 シャガは一瞬だけ目を逸らした。だが、すぐにバルドを見返す。強い意思の灯った目で。


「いやだね。どうしても聞きたければ、死んでから〈死者問答(ダイアログ)〉しな」


「……わかった」


 バルドはうなずいて、ゆっくりと扉を開けた。

 扉の先に点滴台を押しやり、管が引っかからないよう、腕を一度持ち上げて通す。

 背中で静かに扉を閉める。


 廊下の突き当たりに、もう一枚、扉があった。

 プレートは《儀式室》。その下に短い注意書きが貼られている。


《反動抜き未完了者の入室は、監督官の許可を要する》


 バルドはそれを一瞥しただけで、踵を返した。

 儀式には、もう少しかかる。変成術士(トランスミューター)がダイヤモンドの粉を揃えれば、死者の蘇生が成せる。


 *


魔術反動(リコイル)チェック、正常です」


 声が頭上から降ってくる。バルドはベッドから身体を起こした。

 職員が、点滴の接続部に指をかけた。


「点滴、外しますね」


 バルドは拒まない。透明な管が抜け、腕に小さな痛みが走った。すぐに止血パッドが貼られる。点滴台は壁際へ寄せられた。


「監督官の許可は下りています。こちらへ」


 ダイヤモンドの粉は用意できたらしい、とバルドは心の中で思う。短くうなずいてから、職員の後ろについた。


 廊下の突き当たりに、昨日見た扉の前に立つ。

 儀式室。


 重い扉を押し開けると、蝶番が軋む。消毒液の匂いがふっと後ろに退き、焦げた蝋の匂いが前から来た。背後で扉が音もなく閉まる。


 バルドは、目の前の祭壇を見た。


 祭壇の上には、コンスタンティノス・アルギロスが横たえられていた。見えるのは顔だけだ。喉元まで白布がかけられている。皮膚は冷たく白く、終末保全の痕跡が整っていた。


 美しい仕上がりだった。

 だが、それは死者の尊厳のためではない。


 管理しやすくするために手を入れられた屍体。

 それをわかっていながら、美しいと感じる自分が不快だ。


 ガラス越しに男が立っている。監理係だ。声はやわらかい調子を取っているが、語尾は固い。


『準備に必要な時間は?』


 バルドは頷きもせず、声だけを返した。


「触媒と儀式の場さえ用意できれば、すぐにでも。知ってるだろ」


 監理係の眉は動かない。


 *


 床に円を引いて、呪文を一本ずつ丁寧に刻む。

 次に、蝋を小鍋に移し、弱火にかける。焦げる手前の匂いが立つ。そこへ薬草を混ぜる。だが、薬草は最後に入れると決まっている。火を通しすぎると蝋が濁ってしまうからだ。技術的な理由だ。


 だが本当は、それだけじゃない。


 薬草を入れたら、儀式は始まってしまう。最後に投入する。その工程は、直前までやめる余地を自分に残すようだった。形式上でも逃げ道があれば、自分を騙せる。そうしないと、手が止まってしまう気がした。


 ガラス越しに映る監理係の顔が、反射して二重に見えた。


『資材の取り扱いに支障はありませんか』


「支障はない」


 答えは簡潔に済ませる。監理係の見た目は人間だったが、吐かれる言葉には相変わらず人間らしさがない。


 遮光瓶を素早く開ける。注射器を差し込んで必要量だけ分注し、瓶口を拭って、すぐに封を戻す。手元の記録簿を開いて、ペンを走らせる。日時、担当者、使用量……。一つずつ、項目を埋めていく。


『薬剤の開封ログは記録済みですか』


「記録済みだ」


 声は冷たく出た。手も落ち着いているように見える――ように、動かしているだけだ。

 注射器の扱い、蓋を締める動作、ペンの走らせ方。一つひとつの動きが慎重すぎて、かえって露骨になる。

 己の死を目前にしたものの怯えが、所作の端から滲んでしまう。



 コンスタンティノス・アルギロスの顔を見ながら、彼について知っている情報を断片的に思い出してみる。思考が勝手に接続する。書類の記述が、目の前の肉体に重なる。


 病死。急性心筋梗塞。生前終末保全(エンバーミング)済み。名は立派で、政治の匂いがする。ここにあるのは名ではなく、肉体だ。紙の都合で動かされる肉塊にすぎない。


 視界が一瞬、ぐらりと揺れる。

 あれだけ慎重に抜いたはずの反動(リコイル)は、儀式を進めるほど、急速に蓄積していく。


 ガラスの壁に反射する自分の姿を見る。

 判然としない。どのような顔をしているのかわからない。ただのっぺりとした袋を被っているような、赤みがかった灰色のかたまりが動いている。



 贄の一つとして、術者の身体の一部を要する。自分の指にナイフで切り傷を付ける。思いのほか切り過ぎて、皿が真っ赤になってしまった。

 問題はない。痛みはない。ただの贄に精密さが求められることもない。


 反動(リコイル)が、薬の膜を押し破っている。感覚が、現実を拾わなくなる。

 生者の理屈が遠のく。別の世界が立ち上がり、死がまた一歩近づく。


 死霊術のリコイル――《感情鈍麻》とは、つまるところ治癒師(ヒーラー)が用いる言語体系に合わせただけだ。死霊術士(ネクロマンサー)にとってそれは、個々の癖のままに編まれた死後の()()()()だった。


『――。――?』


 何を言っているのかわからない。あれは、祈りではない。



 感覚が鋭くなっていく。視界はどんどん冴えていく。

 物音が増える。小さな気配もわかる。監理係の呼吸の音さえ聞こえる。口元が動くと、その言葉より前に喉の振動が見えた。中身のぎゅうぎゅうに詰まった袋の口が小さく開いて、はくはくと動く。


 監理係が窓に手をついた。べた、とガラスに肉袋の端が二つ、張りついた。丸くて、赤子の(ほお)のように柔らかそうだった。


 コンスタンティノス・アルギロスの身体を覆う白い布を取り払う。脈拍と呼吸を測るための電極を貼り付け、心電計に繋ぐ。心電計は沈黙を貫いていた。


 どろどろに溶けた脂肪みたいな蝋に、薬草を投じる。


 〈死者蘇生(リザレクション)〉は成功する。あいつらの基準に当てはめれば。


 *


 ――報告します。

 準備工程中、規定上の異常はありませんでした。

 術者には独語と感情鈍麻が見られ、現在、定型確認への有意味な応答はありません。

 ただし、詠唱は途切れておらず、工程の順序も崩れていません。停止条件には該当しません。

 以上です。



 ガラス越しに、監理係は声を発する。


『――そのまま続行しろ』

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