59.炭素のもと
〈死者蘇生〉のように代償の重い儀式では、リコイル抜きのための休止期間が組み込まれる。死霊術士に限った話ではない。
魔法は使うほど反動に晒される。制度上も、身体的にも、倫理的にも、リコイルは適度に抜くよう促される。リコイルは毒素のようなもので、抱えすぎると命に関わるからだ。
だが、休めと言われて、「はい」と素直にうなずくような性格なら、こんな仕事はしていない。
バルドは自分の腕を見る。針が刺さり、そこから透明な管が伸びて精神安定剤を流し込んでくる。この薬は、感情の波を浅くする。怒りも、悲しみも、焦燥も、今はずいぶん遠くにある。
薄靄のかかったような感覚こそあるが、思考はむしろ研ぎ澄まされていた。
バルドは立ち上がった。
管が引かれて腕に小さな痛みが走るが、無視する。足元で、点滴台のキャスターが鳴った。
点滴台を押して、個室の外に出る。
窓のない廊下を進む。いくら歩いても、誰とも出会わなかった。
*
屍体安置室と銘打たれた扉の前で、バルドは立ち止まった。
当然のように、扉に手をかける。
扉を抜けると、死の気配が飛び込んでくる。バルドにとっては日常の空気だ。空気は冷たく、消毒液のにおいが混じっている。人間の体臭が一切残らない環境は、人間らしさを排除するために最適化された場所のようにも思われる。
そこには、屍体が二体、積まれていた。
台車に載せられた黒い袋が複数。床には区画線と番号が振られているのに、台車は番号の前に勝手に置かれていた。タグは足首ではなく、袋の口にまとめて結ばれているものもある。札には日付、番号、それから「触媒化待ち」とだけ印字されていたが、紐がねじれて絡まり、札と袋が対応していない。
雑すぎる。
「……『屍体安置室』ね」
バルドの口から皮肉が漏れる。
管理局内であっても、「触媒化」の素材として扱うことが決まったものなら、規定違反とまではいかない。
――わかっている。だが、制度が許しても、自分は許せない。
違和感を覚えたのは、タグを何気なく読んだときだった。
屍体袋に掛けられた紐は二つ。結び目が重なり、局章の刻印が二つ並んでいる。
(……二重封印されている)
記憶が、勝手に引き出される。以前、触媒汚染で暴走した《出力なし》の屍体にも、同じように追加封印を施したことがあった。
ざっと目を走らせる。紐とタグは互いに絡まり、札の位置がずれているが、二体とも二重封印済みの屍体であることがわかる。
バルドは、点滴台の棒を握り直した。
感情は抑えられているはずだったが、この嫌悪感だけは、薬では鈍らない。
(管理局側で二重封印されている屍体。この運用は、どちらも《出力なし》か……)
そのとき、足音が聞こえた。
迷いがない。ここに慣れている足取り。目的地に向かっているものの歩き方だった。
顔を出したのは、女だった。背丈はバルドと同じくらい――加齢促進療法で少年期を飛ばされ、必要最低限の成長に留められた彼に並ぶなら、女でも相当な小柄だ。
痩せた体型で、瞳に意思の強さが灯っている。
女はバルドを見て驚いたように身を引いたが、すぐ表情に気丈さが戻った。少し棘を含んだ声が落ちる。
「は? 誰? なにしてんの?」
「見りゃわかるだろ。片付けだ」
バルドは視線を屍体へ戻し、台車の位置を直した。
「あんたが死霊術士じゃなかったら、生きたままダイヤモンドにしてやる」
「ネクロマンサーだ。……なんて?」
「〈鉱物置換〉してやるって言ったの」
「ああ……。変成術士か」
女は鼻で笑う。
「あんたがネクロマンサーだってのは驚きだわね。血まみれで祈ってる老人ってイメージだったけど」
「血まみれにはならない」
「うそつけ」
女は台車の上に載っている屍体の顔を見て、ほんの一瞬だけ息を飲む。だが、次の瞬間には表情を戻した。ひるんだ自分をすぐに切り捨てられる。専門魔術士とはそういうものだ。
「やるなら番号順に。タグは表。読める向きに揃えて」
「当然だ」
バルドは淡々と言い返す。
女の口は悪い。だが、こういう場所ではそのほうが合理的だとバルドは知っている。遠回しに言えば伝わらない。人を事故から遠ざけるには、命令に近い言葉が要る。
人を傷つける言葉だ。しかし、役に立つ。――バルド自身もそうだった。
「で、おまえは何しに来たんだ」
「だから、〈鉱物置換〉よ。そこの屍体を加工するの。ダイヤモンドにね」
ダイヤモンド。触媒としても素材としても優秀な鉱石だ。
特に、〈死者蘇生〉時には、ダイヤモンドの粉を大量に――具体的には、二十四キロ分を――消費する。
ダイヤモンドは炭素の塊だ。そして、人間の体に含まれる炭素はおよそ二割弱。
単に魔法を齧った程度の人間では、屍体を渡されても宝石には変えられない。
だが、変成術士は違う。
中身だけを抜き取って、別のものに置き換える専門家だからだ。
優秀なトランスミューターに成人の屍体を二、三体分渡せば、二十四キロのダイヤモンドを揃えられるだろう。
バルドが口を開く前に、女はふっと笑った。
「大量のダイヤモンド粉。ネクロマンサー。……やっぱり、そういうことか」
「まだ間に合ってなかったのか。道理で悠長なわけだ」
バルドの言葉は、呆れに近かった。
女が肩をすくめる。
「ダイヤモンド化って代償が重くてねぇ。それで、一体目でぽっくり死んじゃったらしいのよ。前の担当」
女は屍体の山を指差す。バルドは露骨に顔をしかめる。
そして、女は名乗る。自分にラベルを貼るように。
「変成術士のシャガ。そっちは」
「死霊術士バルド」
「どうも」
握手はない。
シャガの指が、台車の袋を叩く。
「こんなことのために、魔法を学んだんじゃないんだけどね」
軽い調子で言いながら、シャガは手袋をはめた。口では嫌がっているのに、手は止まらない。止められない事情がある。
バルドは点滴台を少し引き寄せた。
「しょうがない。存在する術は、誰かが使うものだからな」
「失伝はするじゃん」
「それは運用側の都合だろ。忘れられても、技術そのものが消えるわけじゃない」
「だから、あたしのせいじゃないって?」
「なんでおまえのせいなんだよ。おこがましいぞ」
シャガが、にやりと笑う。
「慰めの才能はゼロだね、ネクロマンサーくん」
「慰めてない」
短く返してから、バルドは屍体袋に捺された封蝋を指で示した。
「それより、これは何だ。わざわざ二重封印してる。触媒汚染が起きやすい《出力なし》は増えてはいた。でも、事例としてはごく少数だ。なんでここに二体もある?」
「さあね……。こっちは来たものを加工するだけだし。封印の意味まではわかんないよ」
シャガの視線が屍体に落ちる。だが、その目に思考を走らせている様子はなかった。




