5.パズルと取引
「まずは、腕からやろうか」
バルドは前腕の橈側を切開し、骨折部を露出させた。骨膜起子で橈骨の骨膜をめくり、ゴム球付きの金属カニューレで生理食塩水を流す。
腕の中を温水ですすがれる奇妙な感覚に耐えながら、ジェーンが恐る恐る口を開いた。
「そ……そんなじゃぶじゃぶ洗うの?」
「汚れたままくっつけるわけにはいかないからな」
「屍体でも?」
「屍体でも」
バルドは淡々と答えながら骨鉗子を左右にかませ、ゆっくり牽引する。ぐ、という小さな音とともに、断面がぴったり付いた。
痛みはない。だが、骨が元通りに噛み合う瞬間のコツンと「収まった」感覚は、確かにわかった。
「わお。パズルみたいね」
「パズルだ。答えは決まってる」
骨の継ぎ目を指の腹でなぞる。わずかな段差も残さないよう位置を決めてから、周囲にワイヤーを掛けて固定する。次に、筋膜を丁寧に寄せてから、皮膚を細かく縫い上げた。
「指は動かせるか?」
ジェーンは指の節を一本ずつ折り、握ったり開いたりしてみせる。
「問題ないな」
彼女が何か言う前に自己完結し、そのまま下肢へ目をやる。
足背を持ち上げて角度をつくる。腓骨を露出させ、整復用の器具をそっと滑り込ませて、ずれた骨を寄せる。
脛腓の段差を指先で押し戻しながら、距骨が脛腓に噛み込む形にぴたりと合わせた。
「骨ってどうやってくっつくの?」
「生体であれば、自己修復に頼る。魔法がなくても傷ひとつ残さず治る唯一の部位だからな」
バルドは手を止めずに言う。
念入りに洗ってから骨片の面を合わせ、ワイヤーを仮に掛けておく。脛腓間のズレを指先で整えながら締め込めば、足首はそれらしい形に戻った。
「——屍体では、無理だが」
「じゃああなたは、骨をくっつけるために時間を創るの?」
「面白い表現だ。だが、近いかもな。結果だけをみれば、そういうことになる」
生命が本来時間をかけてやる仕事を、魔法で強引に肩代わりしている。それくらいは言えそうだ。
そんなことを考えながら、バルドは創縫合を終える。副子で全体を固定し、包帯で圧迫した。
「よし」
そう言って、彼はジェーンの首を寄せた。断面を数センチだけ切開し、新しい面を露出させる。
頭部を両手で支え、頚椎の角度を慎重に合わせる。カチ、と骨が打ち合う乾いた音が耳に届く。
それくらい、この部屋は静かだ。
「……処置室って、いつもこんなに静かなの?」
「いつもはもう少し騒がしい」
「騒がしい?」
筋膜と靭帯の位置を確認しながら、バルドは淡々と言葉を継いだ。
「音楽をかけながらやることもあるし、時間が合えば学生が立ち会う。新人が入ることもあるな。解剖はそのまま講義に使えるから」
ジェーンは目を丸くした。
「わたしも教材になるの?」
「おまえは特殊すぎるから、まだ秘匿されるだろう。学生には荷が重そうだしな」
「荷が重いの? なんで?」
その質問の答えは、しばらく帰ってこなかった。
バルドは深い層へ向けて慎重に針を通していた。そのまま、筋膜を引き寄せて縫いはじめる。縫合の手が軌道に乗ってきたところで、彼は再び口を開いた。
「動く人体を切り刻むのは、誰だって抵抗がある」
ジェーンは目を瞬いた。
「もしかして、あなたも?」
「感覚としては、死の付与をするときに似てるな。冷や汗が出る直前みたいに体温が上がり、後頭部がざわざわする。……嫌じゃないが」
「なんか、悪いわね」
「知れば学部の連中は口角泡を飛ばしてでも見たがるだろうな。だが公開はしない」
「どうして?」
「おまえは教材にしない」
それだけ言って、今度は皮膚の表層を細かく縫い始める。
「喋ったり動いたりしたらそこにばかり気がいくだろ。こんなにきれいに死んでる屍体は教材向きなんだけどな。もったいない」
「なーんか、傷つくなぁ」
冗談まじりにジェーンが言えば、バルドも軽く応じる。
「しょうがないだろ。事実なんだから」
縫合糸が首を一周したところで結び目を作り、そこに触媒液を垂らす。
黒糸が淡く光り、魔力が流れ込んでいく。
指の腹を首、腕、足それぞれの整復部に軽く当て、低く詞を滑らせると、手技で寄せた人体のパズルが、術式で固定されていく。
消毒の匂いに、癒合用触媒の重たい甘さが混ざった。
「おわりだ」
「えっ。もうくっついたの?」
「くっついてるところだ。あまり激しく動くな」
ジェーンは仰向けのまま、首元にそっと触れた。腕を持ち上げてみる。彼女が指先でたどる間にも肌の継ぎ目は溶けはじめていて、やがて痕一つない滑らかな肌になった。
「……きれい。なんか、いい匂いもするし」
「触媒のせいだ。すぐに飛ぶ」
バルドは器具をバッグに収めてから、ジェーンに向き直った。
「話がある」
「なに?」
「取引がしたい」
バルドは椅子に腰を下ろし、処置台に横たわっているジェーンと視線を合わせる。
「ぼくはおまえを監視下に置きたい。だから、逃げずに協力しろ。代わりに、おまえの身体探しを手伝う」
「協力って、何を?」
「ぼくが外に出るときについて来い。その先で、必要な手伝いをしてもらう」
ジェーンは少し考える。
「そしたらわたしの身体を探すのを手伝ってくれるってわけ?」
「手がかりがあればな」
「そういうのって、肉体をくっつける前に言うもんじゃないの? 直しちゃったら強請る材料がなくなっちゃうじゃない」
バルドは不快そうに顔を顰めた。
「死にかけの人間に取引を持ちかける治癒師はクズだと思わないか?」
「なるほどね。——他には?」
「他? それ以上、何を望むんだ」
ジェーンは小さく笑う。処置台の縁を両手で押して起き上がり、そっと足を床へ下ろした。
一歩、二歩と、踏み出す。
「……歩ける」
「当たり前だろ。誰が繋ぎ直したと思ってる」
一片の迷いもない断言に、ジェーンの肩の力が抜ける。
「……わかった。身体が見つかるまではここにいるわ。よろしくね。ネクロマンサー」
「バルドでいい」
ジェーンは一瞬きょとんとしたが、やがてゆっくりと笑った。
「了解。じゃあ、バルド。……それ、本名じゃないよね」
「違うに決まってるだろ。魔術士が本名を名乗ると思うのか?」
魔術士は本名を名乗らないし、他の誰にも呼ばせない。そんな常識も知らないのか、という口調だった。数日前の自分を見ているようで、ジェーンはほんの少し気恥ずかしくなる。
「まあ、そうよね。……その、ありがとう。直してくれて」
バルドはゆっくりと立ち上がって、バッグを持ち上げた。
「なら、さっそく労働をしてもらうとしよう。――ついてこい」




