58.照会を通す ②
第一保管庫の朝は静かだ。
音が反響しないように設計されている。足音も、声も、柔らかい絨毯に吸われる。静かな環境では、異変はすぐにわかる。ここで問題が起きれば、必ず発覚する。
グレイヴスが扉の前に立つと、守衛が敬礼をした。
「写しの持ち出しは禁止です。抜粋は監査用紙に限ります」
読み上げる声に感情はない。
グレイヴスは横に立つタリエンを見た。
「立会いを頼む」
タリエンはうなずくだけだった。
そこへ、署名簿が差し出される。守衛が該当ページを開き、朱肉の蓋を外した。
「閲覧者名の記載をお願いいたします」
グレイヴスが先に署名した。
次にリメンが署名する。文字がやや硬い。緊張しているのがわかる。
ジェーンにはペンが渡されない。随行資産は閲覧権限を持たない。制度は、人を排除するときほど静かである。
守衛が一歩、ジェーンの前へ出た。視線が胸元の黒タグに落ちる。確認は一瞬で終わった。
「随行資産はこちらに置いてください」
ジェーンは黙って壁際へ退き、背筋を伸ばして立った。腰掛けが二つあったが、彼女はどちらにも座らなかった。
最後にタリエンが署名する。
その一行が加わった瞬間、『監査局が関与した』という証明が刻まれる。
守衛が受領印を押す。
朱印は許可だが、同時に拘束でもある。ここから先は、誰も自由には動けない。
「では」
守衛が外扉を開け、内側の鉄格子を外す。さらにもう一枚、内扉を開ける。
保管庫の内部は、整然としていた。どこまでも記録のために作られた秩序だった。
守衛が一つの箱を引き出し、作業台に置く。
大ぶりな封筒が取り出された。口には死後資産管理局の封蝋が押されている。
薄い封筒だが、中身が軽いとは限らない。
守衛がその封緘を丁寧に切ると、内側にもう一枚、封筒が現れた。糊付けはされておらず、口に角印だけが捺されている。
政府連絡室の印だった。
グレイヴスは急かさない。
先に動いたのは、タリエンだった。指先で制止する。
「待て。そのまま広げるな。まず表紙と目次だけだ」
守衛は封筒から書類を引き出しかけたまま止まる。
グレイヴスは紙面を覗き込み、整理するように言った。
「やはり、管理局の番号ではないな。うちの台帳を経由していない」
タリエンが補足する。
「政府連絡室の案件の形式だ。この番号があるだけで、管理局の施行管理を外れていることはわかる。それ自体は、問題ではないがな」
問題ないと言い張るための番号だ。
グレイヴスはその言葉を言わない。言葉を呑み込むのは慣れていた。守衛や監査局の前で、余計な名を口にする理由はない。
考えを切り替えるため、口角をわずかに引き締める。
書類の一枚目、注意欄に短い文言がある。
グレイヴスが無感情に読み上げた。
「『本件は管理局《施行台帳》への登録を要しない』」
《施行台帳》――局内でも最重量の施行を束ねる台帳だ。当然、〈死者蘇生〉も含まれるが、それだけではない。ここに載るのは、随行資産化――〈屍体操作〉や〈死者問答〉のような、記録から落ちれば、事故が起きたとき影響範囲が跳ね上がる類の施行である。
監査局の人間がその場で、この注意文が「どの施行」を免除する扱いなのかまで推測するのは困難だろう。
リメンが何気ないようすで返す。
「登録がなければ、管理局内からは参照できません。これでは、手順の不備も拾いにくいですね」
グレイヴスは頷いた。
「照会の突合すらできん。『記録がなければ、問題もない』という運用になりかねない」
見えなければ存在しない。そんなものは不正の温床だ。それはタリエンも知っているはずだった。タリエンはそれを持ち上げて、ゆっくりと言う。
「――添付書類は二枚あるが、別保管だ。別保管については、是正の照会では開示できない」
グレイヴスは、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「台帳に載せない。添付もない。――この二つをやられると、こちらとしては困るな。これでは不備の確認もできん。再発防止策も講じられない」
あえて感情語を混ぜる。タリエンは視線を上げた。
「そうだな。だが、《是正》の範囲で踏み込めるのはここまでだ。調査範囲を拡大する場合は、照会理由の格上げが必要になる」
「まだその必要はない」
グレイヴスは即答した。攻撃のにおいを出す必要はまだない。
「まずは、台帳側の整合と保管責任だけを詰める。規定の範囲でな。それでいい」
言葉を残して、グレイヴスは扉の外へ出る。
ジェーンは立ったまま、微動だにせず待っていた。




