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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第三章 死者蘇生(リザレクション)

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56.目くらましと本命

 リメンは廊下へ出た。

 保全課の喧噪を抜け、保全記録庫のある棟へ入ると、空気の質が変わる。紙と、糊と、古いインクの匂い。壁には、「閲覧申請は窓口へ」という、リメンには見慣れた掲示が掲げられている。


 受付の当直はひとり。台帳と朱肉の前で、眠そうな目をしている。

 リメンは用件だけを告げた。


「照会です」


「はい。こちらに署名をお願いします」


 差し出された記録簿の署名欄。その上に、細い注意書きがある。


 ——閲覧・貸出の記録は監査局に送付されます。


 リメンは見慣れた注意書きを横目に、署名した。


 記録庫の扉を開けると、壁際の棚に、引き出し式の索引箱が整然と刺さっている。無機質な札の列は、保管庫に振られた扉番号のようでもある。


 リメンは文書棚の前で立ち止まり、該当の受理簿を引き出した。革表紙の分厚い台帳。さしずめ紙でできた墓碑銘だ。


 名前はコンスタンティノス・アルギロス。移送番号を割り当て、保管庫へ格納。

 ここまでは、死後資産管理局の書式(テンプレート)

 だが、次の欄で指が止まった。


 ――施行受理番号が、抜けている。


 ありえない。この欄を空けたまま死者蘇生(リザレクション)が通るはずがない。

 それでも、受領欄は捺されている。政府連絡室の角印だった。

 さらに、その名目の欄は「移送」。――死者蘇生(リザレクション)の文字がない。


「……おかしいな」


 リメンは独りつぶやく。

 ページを閉じる手が、ほんのわずか重くなる。


 *


 課長室へ戻ると、グレイヴスは腕を組んで椅子にもたれていた。その背後に立つジェーンの視線が、こちらへ吸い寄せられる。

 リメンは台帳を机に置き、要点だけを切り出した。


「保管庫に割り振られるまでは通常通りでした。しかし、死者蘇生(リザレクション)の施行受理番号がありません」


 グレイヴスがうなずく。


「《死者蘇生(リザレクション)施行台帳》を通っていないんだな」


「はい。死者蘇生(リザレクション)対象者は、管理局の台帳に載った時点で、控えが関係部署と監査局へ回ります。しかし、今回はその手順が飛ばされています。

 ――代わりに、政府連絡室の印で受領されていました」


「政府連絡室のやり口だな。向こうで独自の番号を振ってるから問題ないというお(ため)ごかしだが」


 グレイヴスの口角が皮肉気に持ち上がる。しかし視線は鋭いままだった。


「照会されるのがよほど嫌とみえる。監査局に対して後ろ暗いことでもあるのかね。……今に始まったことではないがな」


 リメンはさらに下をなぞった。


「名目は《移送》です。……蘇生ではありません」


 グレイヴスが訊く。


「担当は」


 リメンの指が、担当欄の一行で止まる。


「窓口は、政府連絡室の渉外係ですね」


 その下に、もう一つ欄がある。術式監理。そこにも名前はない。

 当然だ。コンスタンティノス・アルギロスは――少なくとも、死後資産管理局の台帳上では――《移送》でしかない。

 リメンが低く言う。


「ここから先は、照会状が要ります」


 リメンが言うと、課長室の空気がわずかに締まった。

 グレイヴスは黙り込む。沈黙に迷いはない。ただ、情報の順番を組み替えている。


「一件だけの照会は目立つ」


 呟くように言って、彼は指を一本立てた。


「リメン。泳がせている不整合を三件ほど、すぐに用意できるか」


「はい」


 返答は短い。ジェーンが眉を上げた。


「何それ? わざと変な記録を残してるってこと?」


「順番待ちだ。不備がない、というのはデメリットでもある。――切れる手札(カード)が減るからな」


 グレイヴスの言い方は淡々としていた。設備の定期メンテナンスについての話でもしているかのような軽さだった。


「放置しても今すぐ事故にはならん不備がある。放っておいて向こうの責任が重くなるなら、尚更(なおさら)こちらが有利だ。急いで潰す理由はない。そういうものには使い道がある。今回は、()()()()()だ」


 グレイヴスはその存在を前提に話を進める。


「それを混ぜろ。照会は『是正』で通す。一点狙いに見せるな」


「承知しました」


 ジェーンは思わず口をつぐんだ。その周到さに、少し背筋が冷えた気がした。

 グレイヴスは視線を戻す。


「照会を出せば通知が飛ぶ。相手はそれを嫌がっていた。こちらも同じ条件だが」


「はい」


「うちに非はない。制度上はな」


 グレイヴスは断言した。そのきっぱりしすぎた態度を、ジェーンは以前も見た。教会から――アシェルからの抗議文を受け取ったときにも、まったく同じことを言った。


(ほんとかなあ。でも、今は……)


 グレイヴスは、逡巡の間を与えなかった。


()()()()()()()()()。先に手を打ったほうが勝つ」


 グレイヴスは椅子から身を起こし、机の引き出しを開けた。中から出てきたのは決裁印の箱だった。


「リメン。照会状の雛形を出せ」


「はい」


 リメンが手元のバインダーから紙を取り出す。カーボン紙を一枚噛ませ、控えが二通になるように重ねる。


 グレイヴスはペンを取り、迷いなく書き始めた。

 責める文言は一つもない。受付で止められるような名目は一つもない。


 ——台帳不整合の是正。

 ——保管責任の明確化。


 書き終えると、グレイヴスは最後に書き添えた。


 ——移送名目で受領されながら、政府連絡室印が押捺されている件につき、事故防止のため確認。


「ここは《保全課》だ。屍体の保全を第一とする。――()()()()見つけた不備を照会するのは当然の職務だ」


 扉はある。

 だが、それを開けるには、こちらの名を名乗らなければならない。

 名を名乗った瞬間、向こうもこちらの名を知る。

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