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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第三章 死者蘇生(リザレクション)

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53.遺言書

 ジェーンはベッドの足元に立ち、バルドの指先を見ていた。

 視線を上げれば、顔が見える。彼の表情を見たら、人形のふりを保つ自信がない。ここで人になってしまうことだけは、避けなければならない。


 だが、職員は向こうへ行ってしまった。隙ができた。誰にも監視されない、短い空白が。


 ジェーンは、その時間に耐えられなかった。黙り続けているのは見殺しに近いとさえ思った。


 見てはいけないと思いながら、それでもバルドの顔を見てしまう。


 彼の視線は点滴にあった。何かを待っているような目だった。それを見て、胸骨の奥がぎゅっと痛んだような気がした。


 正しさはわからない。ただ間違いだけがわかる。

 焦燥に押されて、声が出た。


「なんで、遺言書を書いたの」


 バルドは億劫そうに目を閉じた。


「〈死者蘇生(リザレクション)〉には命に関わる代償があるからな」


 ジェーンは彼の足元に立ちつくしたまま問う。


「なんで。どうして、あなたなの?」


「そうなってる。登録が……。専門領域なんだよ。死者の蘇生が。笑えるだろ。……そんなこと、できやしないのに」


 少し擦れたような声だ。笑おうとしているようだった。


(できやしない? ――じゃあ、これは何なの)


 ――無神論が諦めるものの最たる例が《死》だ。大抵のネクロマンサーはそれを覆すために人生を捧げている。


 バルドはそう言った。彼が信仰を持っていると知った日に。

 だが、彼はいま、死を覆す職能があることを前提に拘束されているのではないのか。それなのに「できない」と言う。


 ジェーンは質問を飲み込むのに失敗した。


「……でも、あなたは死者の蘇生をやらされるんじゃないの」


「違う」


 ゆっくりと、言い直すみたいに続けた。


「あいつらの言う《成功》と、ぼくが言いたい《蘇生》は、違う」


 そう言い切って、バルドは目を開けた。視線の先にあるのは、自分の腕の管だ。透明な液が、静かに入りこんでいく。


「ぼくは、蘇生ができることになってる。エレゲイアの〝続き〟が、ぼくに入ってるからな」


「続き?」


「研究も、何気ない言葉も」


 視線が点滴針の埋まった腕に落ちる。そこに答えを探すみたいに。


「……断れないの?」


 声が、少しだけ鋭くなってしまう。


「聞いてただろ。借金がある。それも理由だ」


「理由って。そんなの……」


「弱みがあるほうが、扱いやすいんだろ」


 言葉は諦めよりも理解の色が濃い。

 契約が首輪なら、弱みは鎖だ。


 滴下は続いている。


「……エレゲイアって、あなたの先生?」


「そう。師匠だ。治癒と、死霊術の」


 そこで、ほんの一瞬だけ、バルドの目が遠くなる。回想に沈みかけたが、ふと戻ってきた。


「もう死んだらしいが」


 死んだ。

 彼の口からその言葉を聞いたのは、初めてかもしれない。バルドが()()()()を指すときは、いつも「死を付与された」とか「屍体になった」といった機能的な言葉しか用いなかった。


 バルドは低い声で続けた。


「さっき知った。隠されてたんだ」


 バルドはそこで、言葉を飲み込んだ。

 そこで彼はふと顔を上げて——軽く笑った。ジェーンはその声に困惑して、彼の顔をじっと見てしまう。


「あまり深刻に捉えるな。自信はある。……不本意だけどな」


「自信って……」


「あいつらの言うクソみたいな定義に当てはめれば、術はほぼ成功する。ぼくがやればな」


 ジェーンは足元に立ったまま、指先を見る。

 指先が、膝の横で小さく握られている。

 バルドは続けた。


「……予後がどうなるかはわからないが」


 わからない。そう言っても、滴下の速度はずっと正確だ。時間が、彼の身体の行方を先に決め打ってしまう。


 バルドのまばたきが遅い。肩の力が抜けかけていて、項垂れるように座っている。点滴さえなければ、眠そうにも見えた。


 カーテンの向こうで、靴音が近づいてきた。短い猶予が終わる音だった。


 職員がカーテンを開けた。まず部屋全体を一度だけ見回してから、バルドの点滴ラインを目で追う。

 表情は変わらなかった。


「死後資産の最終移送先は、タフィオ市区連合教会。受領者は信仰者(クレリック)のアシェル。——相違ありませんか」


「ああ」


「任意で構いませんが、教会をご指定の理由をお伺いしても?」


 バルドは職員を見ないまま吐き捨てた。


「言うつもりはない。規程通りなら受理しろ」


 職員は頷く。


「問題ありません。受理します」


 そこで、職員の視線がジェーンへ動いた。

 ジェーンの背筋がわずかに硬くなる。

 硬くなったのを自分でわかって、すぐ緩める。物のふりを続ける。


「随行資産はこちらで保管しておきましょうか?」


「いや。管理局に返しておけ」


 バルドはジェーンを見ないまま言い、職員は頷いた。


「かしこまりました。管理局へ返送します」


 ジェーンは動かない。物のままでいる。

 だが、バルドの声に、ひとつだけ反応してしまう。


 ——返しておけ。


 返される。管理局に着いたら動ける。声が出せる。彼の見えないところで、次の手を打てる。……それでも胸の奥が痛いのは、置いていかれるからだ。


 滴下が、止まった。

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