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アンダーグラウンドへようこそ  作者: 遠野 文弓
第三章 死者蘇生(リザレクション)

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52.儀式の準備

 最初に差し出されたのは、簡易検査機器だった。

 金属や触媒のスキャン。医療の顔をした装置が、胸元を滑る。


 それを見下ろしながら、バルドは息を吐いた。


 これまで自分が積み上げてきたものは、ただの弱みだった。努力ではなく、履歴だ。たった一枚の紙が、そう告げていた。結局、紙を書き換えられる側の手に渡れば交渉材料に落ちる。


 ——自分が必死に守ってきたものは、その程度の価値しかなかった。


 検査が終わると、職員は次を告げた。


「待機室へご案内します」


 バルドは立ち上がり、反射で出口を見る。

 ジェーンがついてくるのが見えた。


 ——ここでは、彼女は「随行資産」として扱われる。持ち主に付随する資産。人ではなく、手続きの対象だ。


 もし職員が彼女を「同行者」と認識すれば、話を聞いた証人として処理されるだろう。きっと、生かしはしない。

 殺せなくても、魔法を封じる棺桶に閉じ込めることはできる。それは殺すより手間だが、殺すよりは人道的で、正しい手順だ。


 待機室は消毒液の匂いがした。窓はなく、光は均一に入ってくる。


 職員が、ジェーンへ目を向けた。


「では、随行資産とのリンクを切ってください」


 命令は淡々としていた。随行資産は、術者とリンクして動かすものだ。そういうことになっている。

 彼女は自分の意思で動ける。切るべき(リンク)などない。だが、最後までそう見せなければならない。


 バルドはゆっくりとジェーンに近づく。距離を詰めすぎれば親密に見える。一歩ぶんだけ、耳元に届く位置に立つ。


「ジェーン」


 ジェーンがこちらを見る。目を伏せ、表情を消す。命令を待つ人形みたいに。演技が上手い。状況が彼女にそれを強いる。


「ぼくの合図だけ待て。何を聞いても動くな。……頼む」


 命令の形にして、言葉を削った。削りきれなかったところに、本音が残る。


「リンクを切る。……おやすみ。ジェーン・ドゥ」


 ジェーンが、ほんのわずかに喉を動かした。返事を飲み込むみたいな動き。

 まつ毛が一度だけ下がる。合図みたいに。


 そして、ジェーンは動かなくなった。目も動かさない。よくできた人形のように。


 助かった、と思った瞬間、吐き気がする。

 彼女を「人として扱われない状態」にすることでしか守れない。その守り方は、屈辱と同じ形をしている。


 サイドテーブルにトレーが置かれた。

 透明な袋。細い針。ラベルの貼られた小さな瓶。

 手順の順番が、既に決まっている。


「……精神安定剤か」


「万全を期するため、施行前に死霊術の反動(リコイル)を抜いていただきます。術者によっては動揺が施行の妨げになりますので」


 死霊術の反動(リコイル)――感情鈍麻が抜ければ、要らない感情まで返ってくる。とりわけ、動揺や拒絶は術の成功率を著しく下げる。

 促され、バルドはゆっくりとベッドに腰掛けた。


 針が腕に埋まり、冷たいものが入ってくる。点滴筒(チャンバー)から透明な液が落ち始めた。それを眺めていたバルドの口が、勝手に動く。


「……あの婆さんは?」


 何を聞くつもりだったのか、自分でもわからなかった。ただ、聞かないといけない気がした。


 職員が、小さく首を傾げる。


「婆さん?」


死霊術士(ネクロマンサー)エレゲイア」


「婆さんという歳でもなかったような……」


「あの人はずっと止めようとしてただろ。なんでまだキャンセル・プロジェクトを続けてる?」


「ああ……」


 職員の表情が、ふと暗くなる。


「前任者の……死霊術士(ネクロマンサー)エレゲイアの件は残念でした。だからこそ、今回は徹底しているんです。貴殿の安全のために」


 声は暗いながらも平坦だった。事実の列挙だ。だが、そこに含まれる意味を、バルドは正確に察した。察してしまった。

 口だけが、先に動いた。


「……うそだ。そんな、いつ?」


 自分の声が、どこか他人みたいに聞こえた。涙も胸の痛みもまだ来ない。身体の反応が遅い。鎮静のせいで、怒りも恐怖も遠い。

 職員は顔を伏せたまま答える。


()()()()中に」


 職員の背後でジェーンが目を見開いたので、睨んで牽制する。


 動くな。何を聞いても突っ立ってろ。――頼む。


「エレゲイアほどの術者が死んで、気づかないことがあるか」


「情報は秘匿されていまして。関係者以外には開示されませんでした」


「……ぼくは、関係者じゃないのか」


「貴殿はもうキャンセル・プロジェクトから()()されていましたし、エレゲイアの親類でもないでしょう」


 それで、終わり。

 その言い方は、解放されない側の口ぶりで恩赦を語るような調子だった。


 バルドの指先が、シーツを掴む。

 力を入れているのに、手の内側から力が抜けていく。


 ベッドの横には点滴スタンドが立ち、透明な管が、バルドの腕へつながっている。職員は点滴の接続を確かめ、滴下の速度を見てから言った。


「施行に先立ち、遺言書を提出できます」


 バルドは点滴の管を見ていた。視線を動かすのさえ億劫だ。


 それでも、噛みつくところは噛みついた。


「紙を寄越せ」


 職員は頷き、紙とペンを差し出した。


 紙を受け取る手つきは速い。ペン先を紙に触れさせ、筆圧を強く込める。


 書き上げられたそれを、職員は受け取る。


「手続き処理のため、少し離れます。あまり動かないでくださいね」


 職員が、カーテンの向こうへ下がった。

 扉は開けたままだったが、足音が遠のいていくのかわかった。

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